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テーマ「文化芸術を未来へ育んでいくまち・京都」

ページ番号4497

2012年7月31日

  • コーディネーター
     上平 貢会長(京都市芸術文化協会理事長)
  • 司会・進行
     茂山七五三委員(大蔵流狂言師,京都能楽会理事長)
  • パネリスト
     赤松玉女委員(京都市立芸術大学美術学部助教授)
     鈴木千鶴子委員(京都市教育委員会委員)
     常森壽子委員(京都市立芸術大学音楽学部教授)
     村井康彦委員(京都市美術館長)
  • 文化芸術を育むまち京都

    村井委員

     

     京都の文化芸術をどのように考えていくのか。京都はどういうものか。京都の特徴・特質について指摘,整理したい。
     一つめは,8世紀後期から9世紀初めに京都の母体・平安京の造都がなされたが,それが千年の長い歴史を超えて,人々の生活の営みが長い間京都で続けられているということが持つ意味を考えたい。以前,「京都の人は京都に飽きなかったのか?」という質問をされたことがあったが,継続こそ力であったと言うことができる。「京都」はもともと「都」ということであり,「京都」は一般名詞であった。しかし,この「京都」が長い間続いたため,それが固有名詞となり,文化の蓄積が行われてきた。
     二つめは,京都ほど多様な住民が住んでいたところはないということである。時代により,主役は交代したが,天皇,公家,武家,僧侶,神官,町衆そして「道々の上手」といわれる文芸に関わった人達がいて,多様な人々がそれぞれ影響しあって,京都の文化を極めて豊かなものとした。そして16世紀には都市民が様々な文化の受け皿となり,かれらの次元において新しい文化に組み替えていった。今日の伝統文化は16世紀の時期に作り上げられ,都市文化が出来上がってきた。
     今制定しようとしている条例は,市民にとってどうあるべきかということを考える必要ある。それは,16世紀以来,京都が負い続けてきた課題と共通のものであり,そこから出発するべきである。

     

    フォーラム003

    鈴木委員

     

     文化芸術について考えるとき,桝本市長が御挨拶の中でよく,「日本人のこころのふるさと,京都へようこそ」とおっしゃっている。本当にそうだなぁ,と思うが,それは京都が日本文化のふるさとだからであろう。そんな京都に感謝すると同時に,次の世代へ文化を引き継ぐ責務があることを自覚したい。
     京都の学校・教育・子育てという点から話をしたい。京都には,番組小学校という素晴らしいものがあった。明治政府が学制をひいて学校を作る前の明治2年,京都では,「番組」という町会単位で町衆がお金を出し合って64の番組小学校が出来た。釜戸(=経済力)の数に応じてお金を出し合ったのだが,それは子どもがいる世帯かどうかは関係がなかった。また,学校を造っただけではなく,運営のためにもお金を出し続けた。そのため,町衆は学校の運営にも携わっており,地域が教育のことについて意見を出し,学校の方もそれを尊重した。
     京都では,教育を皆で一緒に支えていこうという姿勢があり,それが自分たちの責任でもあった。それが,京都の気風であり,文化財産である。私が考える生活文化とは,京都の言葉遣い,言い回し,気配り,門掃き,打ち水などのようなものが京都の大事な生活文化である。着物や料理については,季節感を重視する。これらのことは,認識されにくい故に廃れていってしまう可能性がある。電車の中で,地べたに座っている子どもを見るにつけ,私は「地べたずわり禁止条例」をつくってはいかがかと思う。文化を次世代につなげていくためには,それらを大人が認識することが,重要である。

    担い手を育てる仕組・環境

    常森委員

     

     洋楽が入ってきたのは,1853年のペリーの来日の時の軍楽隊であるとされている。その後,明治時代に,スカラ座のプリマドンナが日本に来て,オペラを歌った。京都に音大が出来たのは昭和27年である。一時は廃止という議論もされたが,やがて,京都市立美術大学と統合され,現在の京都市立芸術大学となった。
     日本の洋楽の歴史は浅いが,本当に洋楽のレベルは高まった。京都芸大も音大から53年目にあたり,世界的なレベルで活躍する卒業生も増えている。日本のオーケストラの約1割の楽団員が市立芸大の卒業生であるということは誇るべき実績である。
     京都芸大の演奏会にも多くの市民が聞きに来て下さる。1月のオペラでは立ち見が出たほど,観客も増えている。今年,市立芸大では「京芸ルネッサンス2005」事業を立ち上げ,音楽会を至るところで展開している。市民が暖かく見守ってくれるので,生徒は伸び伸びと卒業していく。しかし,才能のある若い人がヨーロッパ等海外で修行を積んだ後,帰ってくる場所は東京になってしまう。そういう若者達が京都に帰ってこられるチャンスが多くできれば,良いと思っている。

    赤松委員

     

     京都には,市立芸大をはじめとして,芸術系の大学がたくさん集中しており,1つの都市にこれほど集中していることは珍しく,このような都市は貴重である。京都に芸術を学びたいとして,他都市からやってくる。私自身も京都のまちに歴史的な魅力を感じるとともに,作り続けるというエネルギーと京都市民の「目利き」に自分が育まれることに魅力を感じた。芸術系大学が京都に増えたのもその現れである。学部から博士課程まで備えた美術学部,音楽学部があり,かつ伝統音楽研究センターを併せた総合芸術大学で,市民に支えられている公立の学校があるのは京都のまちだけである。
     今,美術の世界では,従来の形を超えた作品が増えてきている。写真やインスタレーション,また部屋の中での展示だけではなく,部屋全体あるいは建物に収まらない展示というものがなされ,表現方法が多岐にわたってきた。芸大もそれに対応できる研究機関となることが望まれている。京都で生活し,作品を発表している人達が京都の芸術文化を支え,育てていくと思っている。京都芸術センターで若い芸術家を支援しているが,そういったことが京都の芸術の豊かさにつながっていくと考える。

    新しい文化を創造し続けることの重要性

    赤松委員

     

     創造意欲を継続してかき立てるシステムが必要。そして,時代に応じたフレキシブルな対応が必要。単にお金をかけるだけでなく,若い芸術家を京都市の資産として,アイデアを取り入れて,コーディネートができる仕組みができていけばいい。京都芸大もソフト面で,資産を有効に活用するため,協力していきたい

    鈴木委員

     

     今の子ども達は実体験が不足している。便利な時代であるが,どこかに手作り感があった方がいい。子どもに対して,じっくりと時間をとってあげることが大切。そして,子どもに実体験をさせるために,まずは手伝いをさせる。自然体験も大切。そうしたことを通して,子どもは情緒を磨き,感性を発達させる。京都市においては,「京(みやこ)子ども土曜塾」など様々な体験の場を子ども達へ提供している。芸術に限らず,何かを体験させてやっていくことが,子どもが将来,文化を理解するに当たって大事であると思う。

    常森委員

     

     京都のあるロータリークラブの記念行事として,今年の4月に京都市立芸術大学の学生,市民の応募者などが集まり,第九の演奏会が実施された。これはロータリークラブと芸大の人の中に知り合いがいたためにできたが,このようなことができるようにコーディネートをしてくれる機関があればいい。そうすれば,京都の中でもっと文化芸術の結びつきができてゆく。

    村井委員

     

     「京展」も若い人達の応募が増えてきており,一層の発展を期待している。一概には言えないかも知れないが,優れた作品とは,伝統に取り組み,格闘した人の作品である。京都は千年を超える歴史の中であらゆる場面を経験しているが,豊かな伝統に浸っていればいい仕事ができるわけではない。連続と非連続という過程が必要である。かつて,千利休の師匠が四畳半の茶室を考案し,利休の時代に茶室は四畳半が常になっていたが,利休は四畳半の中に更に二畳を囲って茶室を作った。千利休といえども,伝統を踏まえながら伝統と格闘するというプロセスを経ていた。伝統の中に課題を見出すことが創作に結びつく。

    お問い合わせ先

    京都市 文化市民局文化芸術都市推進室文化芸術企画課

    電話:075-222-3119、075-222-3128 (京都芸大担当)、075-222-4200(政策連携担当)

    ファックス:075-213-3181

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