琵琶湖疏水の歴史(2)

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2010年4月14日

第2章 第1疏水

 

 

 明治14年2月,京都府知事に任命された北垣国道は,京都に近く水量の豊かな琵琶湖に着目し,疏水を開削することにより,琵琶湖と宇治川を結ぶ舟運を開き,同時に動力(水車),かんがい,防火などに利用して,京都の産業を振興しようとしました。
 この計画を実現するため,疏水線路の調査,測量,設計にとりかからせ,その案を政府にはかり,工事計画の準備を進める一方,上・下京両区(当時の京都市は上・下京区の二区)の事業として行うため,勧業諮問会と上・下京連合区会に諮問しました。
 しかし,その間京都府案の設計変更とそれに伴う工事費の増額や,滋賀県,大阪府に対しての補償などいろいろな問題が起こり,その計画を実現するまでに約4年の歳月を要しましたが,ようやく明治18年1月29日政府の起工特許を受け,同年6月に着工し,明治23年3月に大津から鴨川合流点まで完成し,そこから伏見までは明治25年11月に着工し,明治27年9月に完成したのです。

 

 

第1疏水縦断面図

第1疏水縦断面図

 第1疏水の流量は毎秒8.35立方メートル(300立方尺)で,大津市三保ヶ崎の取水点から長等山をトンネルで抜け,山科北部の山麓をめぐり蹴上に出て,蹴上から約36メートルの落差をインクライン(傾斜鉄道)で下って鴨川に至り,鴨川合流点から下流は鴨川左岸,深草,伏見を経て濠川に出ます。また,途中には舟運のために閘門が各所に設けられました。

 

蹴上インクライン(運転当時)

蹴上インクライン(運転当時)

 

現在のインクライン(形態保存中)

現在のインクライン(形態保存中)

特に,第1トンネル(長等山のトンネル)は,当時我が国最長のもので多くの人達がその成功を疑いましたが,山の両側から掘っていくほかに,山の上から垂直に穴を掘りそこから山の両側に向けて工事を進めていく竪坑(シャフト)方式を我が国で初めて採用し,工事の促進を図りました。

 

第1竪坑

第1竪坑

 

第2竪坑

第2竪坑

 

第2トンネル西口

第2トンネル西口

 この難関であった第1トンネルの開通により,関係者は疏水事業の成功を確信したのでした。
 竣工式は明治23年4月9日疏水本線が鴨川に合流する少し東の夷川船溜で行われ,その前日の竣工夜会では,市内各戸に日の丸と提灯が揚げられ,船溜南側に祇園祭りの月鉾,鶏鉾,天神山,郭巨山が並び,如意岳の大文字も点火され,付近は人出で埋まり,盆と正月が一緒にきたほどの賑やかさと報道されており,市民の喜びがいかに大きかったかを物語っています。
 水力発電は疏水起工時の諸目的の他に,主として工業動力に振り向けられ,紡績,伸銅,機械,タバコ等の新しい産業の振興に絶大な能力を発揮し,京都市発展の一大原動力となりました。そして,明治28年には我が国最初の路面電車(京都駅~伏見)が開通しました。
 また,明治36年には第3トンネル入口に日本最初の鉄筋コンクリート橋が完成しました。
 疏水工事(第1疏水の大津~鴨川及び疏水分線)の費用は総額で125万円余りを要し,その財源には産業基立金,国,府補助金,市公債などのほか,特別に全市民に課税された目的税も充当され,疏水工事にかけた市民の期待がうかがわれます。

お問い合わせ先

京都市 上下水道局水道部疏水事務所

電話:075-761-3171

ファックス:075-752-3083