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京都市上下水道局

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琵琶湖疏水の歴史(4)

ページ番号7495

2022年10月12日

第4章 第2疏水

 

 

西郷市長

 明治20年代後半にもなると、第1疏水の流量では毎年増大する電力の需要が満たせなくなり、また、地下水にたよっていた市民の飲料水が質・量ともに問題となってきました。
 そのため、田邉朔郎の進言を受けた初代京都市長 内貴甚三郎は、第2疏水建設の構想を打ち立てます。内貴は構想の実現を待たずに任期を終えますが、その構想は、第2代京都市長 西郷菊次郎へと引き継がれました。西郷は、三大事業(第2琵琶湖疏水の建設・上水道の布設・道路拡築及び市電の敷設)の実現に向けて奔走しました。第2疏水はその事業の中核として明治41(1908)年に着工し、明治45(1912)年に完成しました。
 この第2疏水の流量は、毎秒15.3㎥で、大津市観音寺の始点から第1疏水の北側にほぼ平行して建設されました。上水道の水源として汚染を防ぐため全線を掘抜きトンネル又は鉄筋コンクリート管の埋立てトンネルに設計されており、全長約7.4kmの流れは、蹴上で第1疏水に合流しています。

西郷市長(明治維新の英傑 西郷隆盛の子)

 

 

三大事業史文献

三大事業史文献

 

 

蹴上浄水場




 京都の水道は明治45(1912)年4月蹴上浄水場より給水を開始しましたが、その浄水方式には急速ろ過が採用されました。この方式は、今でこそ一般的なものとなりましたが、当時我が国で初めてこの急速ろ過方式を採用したのが蹴上浄水場です。
 給水開始当時の京都市人口は約50万人で、このうち給水人口は約4万人、一日の最大給水量は約3万立方メートルでしたが、今日では一日最大給水量も約56万立方メートルとなりました。
 また、現在は一日最大約73万立方メートルが給水できます。さいわいにして京都市は明治の偉大な先人たちが開削した疏水のおかげでこうした命の水を確保できるのです。

お問い合わせ先

上下水道局 総務部 総務課
電話: 075-672-7709 ファックス: 075-682-2711