琵琶湖疏水の歴史(1)

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2010年4月14日

第1章 京都の復興と水力発電

 

 

琵琶湖疏水目論見実測図


琵琶湖疏水目論見実測図
測量 島田道生

 

 京都は平安京以来千年の間,我が国の首都として栄えてきましたが,明治2年に東京へ都が移り,産業も急激に衰退し,人口も急減していきました。
 この衰退していく京都を復興させるため,特に産業の振興を図ろうと計画されたのが疏水事業でした。
 その目的としたところ,規模の雄大さは当時としては画期的なものでしたが,その反面これに伴う種々の困難や障害も非常に大きなものでした。
 しかし,事業の主唱者である北垣国道知事をはじめ,工事を担当した田邉朔郎,府市関係者,市民が京都市の将来を考えて,いかなる困難をも克服して疏水事業を完成させるという一致した決意のもとに,この事業が成し遂げられました。
 当時,我が国の重大な工事はすべて外国人技師の設計監督に委ねていた時代にあって,すべて日本人の手によって行った我が国最初の大土木事業であり,歴史的変遷に伴い利水の用途に変更があったものの,今日においても約147万市民の上水道の水源や水力発電のほか,多目的利用がなされています。

 

 当時,市の年間予算の十数倍という膨大な費用を投入した大事業の主任技師として北垣知事に選ばれたのが,工部大学校(現在の東京大学)を卒業したばかりの青年技師田邉朔郎(採用当時は満21才)でした。
 日本人の技術で行う土木工事としては,今までに例を見ない大工事であり,当時の未発達な土木技術や貧弱な機械・材料に悩まされながら工事を進めました。工事の遂行に当たっては,ダイナマイトとセメント以外の大半の資材を自給自足し,夜に技術者を養成,昼には実践するという現代ではおよそ想像もつかない努力の積み重ねでした。

 

蹴上発電所で明治24年の発電開始当時に使われたペルトン水車(国産品)





 疏水計画は着工前後に何度も変更されましたが,最も大きな変更は,工事の途中で田邉朔郎ほかが水の利用方法等について米国へ視察に行き,水力発電の実用化に踏み切ったことです。
 明治24年,蹴上に日本最初の商業用水力発電所が稼働したことは,我が国文明史に大きな足跡を残しています。

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京都市 上下水道局水道部疏水事務所

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