サキョウ見聞録 その26 左京の奥山へ3 大見・尾越(おおみ・おごせ)の旅
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2026年1月20日
左京区の北部山間地域の「大見(おおみ)」、「尾越(おごせ)」という地域をご存じですか?
正しくは、大原大見町と大原尾越町であり、大原の中心地から北西の山間部に位置します。北部山間地域の百井(大原百井(ももい)町)の北、花脊(はなせ)の東、久多(くた)の南といえば、なんとなくイメージできますでしょうか。
「洛北誌(旧京都府愛宕郡村志)」によれば、大見村、尾越村は1889年(明治22年)に小出石村、百井村とともに大原村に合併されたのだそうです。1908年(明治41年)末現在で、大見の人口は22世帯138人、尾越は11世帯75人だったと記録されています。

大見、尾越は、1975年頃までに無住集落化しています。大原大見町は2020年の国勢調査によると人口は2人、大原尾越町は0人。
標高600メートルを超える高地に位置し、1920年(大正9年)発行の「大原村誌」(児童用)によると、「ことに百井、大見、尾越は寒さが強うて、長い間雪にとざされる」とあります。寒さが厳しい地域なのですね。また、林業が盛んな地域だったとあります。
鯖街道の針畑越えのルートは、北の久多から八丁平を経由して尾越、大見を抜けて尾根づたいに花背峠の方に続いていました。明治時代頃には、久多で生産された木炭を鞍馬に運搬するために、尾越には木炭の中継問屋があったといいます。大見、尾越でも主要産業として薪炭の生産は盛んだったそうで、鞍馬に卸していたそれは「鞍馬炭」と呼ばれて名高かったそうです。他のルートの整備と自動車の導入などによってそのルートが廃れ、尾越が最奥地の集落になってから、尾越、大見の順に住民の離村が進みました。
今回はそんな大見・尾越への旅です。
大見へ
百井の三叉路。大原百井町も標高が620メートルくらいあり、都市部とはかなり気候が違います。夏は涼しく、冬は寒いです。右に曲がると、「大見・尾越」。青い看板では、「尾越」の読みが「おこせ」になっています。左に曲がると「百井別れ」を経由して鞍馬方面に向かいます。
地域の夏祭り「ももいなつまつり」の会場になる元大原小学校百井分校の前を通り過ぎます。
百井の地鶏料理の名店「とり幸」さんもこのあたり。これから杉木立の中を抜ける道に入っていきます。大見まで約6km。
百井から3kmを過ぎたあたりで現れる分岐。大見の集落の方には左の道を進みます。
右に進んだ先にあるものは後ほど。
大見の集落が見えてきました。このあたりは標高が600メートルちょっとと、実は百井よりも低いのですが、冬の積雪量はかなり多いそうです。草刈りもされており、人の営みが今もあることがあちこちから感じられ、荒れ果てた感じはありません。家々からは今にも人が出てきそう。
このちょうど右手に大原小学校大見分校があった場所がありました。1973年に休校、2018年に廃校となってから解体されたそうで、校舎はありませんでした。
人は住んでいないようですが、雪から建物を守るためかつっかえ棒がされています。
大見の三叉路。左右の通りは鯖街道の針畑越えのルートで、右に行くと尾越に、左に行くと大見尾根を越えて花脊に続くルートです。
正面のお地蔵様。花を手向ける人が絶えて久しいのでしょう。お顔もなくなっており、住民がいなくなった頃から時が止まったままのように見えます。赤い前掛けには、こどもの名前などが書き込まれていました。
すぐに尾越には向かわず、この三叉路を左に寄り道することにしました。
「通行止」となっています。通れないことはないのでしょうが、冒険はせず歩いて進むことにしました。
右にはビニルハウスが。もう使われてはいないのかもしれませんが、電柵やネットがきちんと張られており、今も使っていると言われてもおかしくないくらい状態はよいです。
このあたりの道路を歩いていると、私の存在を検知してアラートが鳴るお宅がありました。草刈りもされており、日常的に人の出入りもあるのでしょう。
大見川の風景。このあたりは八丁平に近いせいか、湿原の雰囲気があり、広い平地になっています。美しい景色です。大見川は淀川水系の河川で、琵琶湖にそそぐ安曇川の源流です。
ここから道沿いに更に奥に進むと、志古淵神社がありますが、時間の制約があり断念。
先ほどの三叉路に戻り、尾越方面に進みます。
曹洞宗の寺院、吸江院。「大原村誌」によると、「境内に見事なしだれ桜があって毎年5月頃美しく咲き乱れる」のだそうでしたが、しだれ桜を確認することはできませんでした。
尾越へ
大見を抜け、最奥の集落である尾越に向かいます。
急カーブと杉木立を抜けて、尾越の集落へ。百井の三叉路から8kmちょっと。鞍馬まで行くのとどっこいどっこいの距離ですね。
このあたりの標高は660メートルと、だいぶ高いです。気温も京都市の都市部と比べて7℃ほど低いです。
尾越の集落に入ってすぐにある、公衆電話があったというお宅。家の方に電話があることを示すしるしが出ています。
周囲を見回しても、きれいです。荒れ果てた感じではありません。
意外と新しく見えるログハウスも何軒かありました。
この写真に写っている庭の部分も、きちんと草刈りがされています。
近くの墓地も、きれいに掃除されていて、お花が手向けてありました。
これまで大見・尾越の集落を見てきましたが、無住集落という言葉が生み出す印象とはだいぶ違うように思います。尾越カントリーレイクという釣り堀の施設跡。ここが尾越集落の北端です。
かつてここに釣り客が詰め掛けていた頃はどのような景色だったのだろう、と想像せずにはいられません。尾越のその先へ
ここから林道久多尾越線であることを示す木製の看板。尾越の集落を抜けて八丁平~久多方面に向かいます。
林道は舗装されていませんが、いろんな目的での往来があるようで、メンテナンスはきちんとされていました。
路肩にあったお地蔵様
峰床山(みねとこやま)登山道。この手前に車を停めて、歩いて先に進みます。
このあたりの森林は久多市有林に属しています。久多市有林には、京都府内で2番目に高い峰床山や、近畿地方では珍しい高層湿原の八丁平もあります。ゲートが閉じていました。車で入れるのはここまで。「諸車通行禁止 京都市」とあります。
奥は「久多市有林管理舎 にのたに」の建物で、京都市経済局による看板がありました。かなり古いものです。にのたにの施設では、京都市森林文化協会の職員さんが、通信のテストをされていました。
来たる10月26日に開催される「花背トレイルラン」のコースの給水ポイントとなっており、また実況中継も行うとのことでした。ここから先は、峰床山~八丁平に向かうルートです。
大見・尾越への旅はここまで。
今回の旅では無住集落となった地域を巡りました。
しかしそれでも、人の営みがなくなったわけではないし、いろんな可能性を求めて、地域を訪れる人もいる。
尾越ではお宅のお庭で作業をする人の姿を見かけました。
集落をどういう呼び方をするかはあくまでも外からの目線であり、そこに住んでいた人にとっては「ふるさと」であり、関わりは「日常」なのだろうと思います。
八丁平について詳しく読みたい方は、「サキョウ見聞録 その11 八丁平で出会う、悠久の湿原と生きものたち」をどうぞ。
分岐の先で見たものは(おまけ)
時はさかのぼって、百井から3kmを過ぎたあたりの分岐。これを左の大見の集落方面には行かず、右に行くと、何があるのか。
やがて道路は突き当り、左右に延びるしっかりと舗装された道路が。
左はすぐに立入禁止の表示があり、右に進むと、写真のようなフェンスがあります。
こちらにも京都市による立入禁止の表示があります。
この写真の左の方に向かって更に道路を進むと、「京都北山修道院」という建物があります。
フェンスの向こうは、東に向かって、大きな橋です。銘板には「ひのこおおはし」「平成2年5月竣功」と彫られています。このあたりは大原百井町で、「ひのこ」と呼ばれる場所だそうです。花脊から大原の小出石を結ぶ「主要地方道 大原花背線」の施工済区間の一部ですが、現時点では事業休止となっており、この橋の向こうで道路は途切れています。
先ほどの突き当りの左側の立入禁止から先も、しばらく舗装区間があってその後途切れています。
もしこの道路が開通していたら、大見・尾越はどんな景色になっていたのだろう。「左京の奥山へ」シリーズ
この記事を書いた人
矢野裕史(左京区役所 左京の魅力づくり推進・山間地域振興課長)
左京区北部の花背在住の、左京区民歴20ウン年の自称左京ファン。冬は花背の山でシカを獲ったりしてますが、今年はなんやかやで山に入る時間をとれず悶々としています。
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