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こども情報館(みてみよう歴史)

ページ番号97185

2023年8月28日


みてみよう歴史
京都のまちはよく「歴史都市(れきしとし)」といわれるね
平安京ができてから1200年以上もの長い歴史があるんだよ。きょうとの歴史をちょっとのぞいてみようよ

平安京の誕生から京都市ができるまで

平安京地図

延暦13年(794年)、唐(とう)(中国の都)、長安をお手本に、京都に平安京が造られました。東西に約4.5キロメートル、南北に約5.2キロメートルの長方形で、政治を行う役所(大内裏)が置かれ、その中心に天皇の住まい(内裏)がありました。そこから南の玄関口となる羅城門まで、まっすぐ朱雀大路(今の千本通)が通されました。

まちは、ごばんの目のように計画的に造られましたが、右京はしめった土地が多く、人が住みにくかったので、人々は左京に移っていきました。そのため、京都の東側の発展が進んでいきました。

 

東が左京、西が右京となっているのは、内裏(天皇の住まい)から南にみて、右側を右京、左側を左京と呼んだからなんだよ。

平安時代の京都~貴族と武士~

平安時代に大きな力を持ったのは、藤原氏という貴族でした。むすめたちを天皇と結婚させて、天皇と親戚関係になったのです。藤原氏は、天皇を助けて政治を行う「摂政」や「関白」という地位にのぼり、力をのばしていきました。

平安時代の末期には、貴族よりも武士の力が強くなり、平氏が力をのばしていきました。平清盛の時代にいちばん大きな力を持ちましたが、清盛が死んだ後、平氏は源氏に破れ、源頼朝が鎌倉幕府を開きました。

 

平安時代(へいあんじだい)の貴族(きぞく)
平安時代は、紫式部の「源氏物語」や、清少納言の「枕草子」など、女性の書いた文学が残された時代でもあるんだよ。

室町時代の京都~にぎわいと応仁の乱~

応仁の乱が始まった地を示す石碑

鎌倉幕府が足利尊氏にほろぼされた後、室町幕府が開かれ、将軍は京都に幕府をおきました。

この時代に造られた金閣寺はごうかな北山文化を代表し、銀閣寺は質素で味わい深い東山文化を代表する建物です。

また、京都のまちが、上京と下京に分かれました。上京には、内裏(天皇の住まい)や幕府があり、下京には、商工業者(商売をしたり、ものを作ったりする人)が中心にまちを作っていきました。

応仁元年(1467年)、室町幕府の将軍のあとつぎ争いから、応仁の乱が起こりました。これは、京都のまちの大部分を焼け野原にしてしまう大きな戦いで、11年も続きました。

西陣織で有名な「西陣」という地名は、応仁の乱のとき、山名宗全が率いる西軍が陣を置いたことが始まりだよ。

秀吉の「京都・大改造」

御土居

室町幕府の力が弱まると、たくさんの武将が領土を広げようと争いました。天下統一まであと一歩のところで、織田信長が明智光秀の裏切りにあって自害した後、豊臣秀吉が、天下を統一しました。

秀吉は、金ぱくでおおわれた「聚楽第」というごうかな建物や伏見城を建てました。

また、東は鴨川、西は紙屋川、北は鷹峯、南は九条にいたる長さ約23キロメートルにおよぶ土塁(土を盛り上げたもの)でまちを囲みました。これは「御土居」といい、京都のまちを、外からのこうげきや洪水から守るためのものでした。

「寺之内通」や「寺町通」は、秀吉が京都にあるお寺をここに集めたことからそう呼ばれるんだよ

平和な江戸時代とゆれた幕末の京都

高瀬川一之船入

慶長5年(1600年)の関が原の戦いで勝った徳川家康が、江戸幕府を開きました。江戸時代の京都は、政治的には平和な世の中でした。商人・角倉了以が、大堰川(桂川)や高瀬川を切りひらいたため、船を使って物の行き来が活発になり、経済が発展しました。

しかし幕末(=江戸幕府の末期)には、佐幕派(幕府を守る考えの人たち)と尊王派(天皇中心の政治を目指す人たち)が対立しました。

そして慶応3年(1867年)、幕府が国を治める権利を朝廷へ返すことになりました(これを大政奉還といいます)。

都が東京へ。そして始まった近代化

新政府軍と旧幕府軍が、京都の鳥羽・伏見で激しく戦い、新政府軍が勝ち、明治2年(1869年)、日本の都が、京都から東京に移されました。京都のまちがさびしくなることを心配した人たちは、活気を取りもどすために、次々と近代化を進めました。

琵琶湖の水を京都に引く疏水工事もそのひとつです。21歳の田辺朔郎が、多くの困難を乗りこえ、実現させました。おかげで豊かな水がもたらされ、水力発電が可能になり、日本初の路面電車が実現しました。

このほか、外国の技術を取り入れたり、全国に先がけて小学校を作ったりしました。

このときに、平安神宮が造られたり、時代祭が始められたんだよ。
  • 南禅寺の水路閣
  • 日本初の路面電車

京都市が誕生!

明治22年(1889年)に、国が全国に39の「市」を作ることを決め、「京都市」が誕生しました。はじめは、京都府知事が京都市長の仕事をしていましたが、自分たちの手で京都のまちを支えていきたいと思った人々が、国に強く働きかけました。そして、明治31年(1898年)、市民によって新しい京都市長が選ばれ、市役所ができたのです。

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