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こども情報館(南区ってこんなまち)

ページ番号96707

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2022年7月7日


南区ってこんなまち

 

南区(みなみく)のようす
 京都市(きょうとし)の南西部(なんせいぶ)にある南区(みなみく)は、京都(きょうと)の大(おお)きな川(かわ)である桂川(かつらがわ)と鴨川(かもがわ)が流(なが)れており、水環境(みずかんきょう)の豊(ゆた)かな区(く)です。水辺(みずべ)を中心(ちゅうしん)に多(おお)くの野鳥(やちょう)が見(み)られ、うるおいのある景色(けしき)が広(ひろ)がり、自然環境(しぜんかんきょう)にめぐまれています。さらに、平安時代(へいあんじだい)以降(いこう)、これらの川(かわ)を使(つか)って全国(ぜんこく)から集(あつ)まる大量(たいりょう)の物資(ぶっし)を都(みやこ)に運(はこ)ぶ役割(やくわり)を担(にな)うなど、南区(みなみく)は交通(こうつう)の面(めん)で重要(じゅうよう)な場所(ばしょ)となりました。今(いま)も、京都駅(きょうとえき)があり、名神高速道路(めいしんこうそくどうろ)のインターチェンジや京都高速道路(きょうとこうそくどうろ)に接(せっ)し、国道(こくどう)1号(ごう)、24号(ごう)、171号(ごう)などの幹線道路(かんせんどうろ)がたくさん通(とお)る「京都(きょうと)の玄関口(げんかんぐち)」として京都(きょうと)のまちを支(ささ)えています。

 また、農業(のうぎょう)に合(あ)ったよい土(つち)とよい気候(きこう)にもめぐまれ、昔(むかし)から、「九条(くじょう)ねぎ」などの野菜(やさい)の名産地(めいさんち)として全国(ぜんこく)に知(し)られています。

 

  • 桂川
  • 九条ねぎ

 

南区(みなみく)のれきし

らじょうもん模型

 南区(みなみく)の地域(ちいき)は、数万年前(すうまんねんまえ)の先土器時代(せんどきじだい)から人(ひと)が住(す)んでいて、縄文時代(じょうもんじだい)からは、豊(ゆた)かな水(みず)にめぐまれた環境(かんきょう)を生(い)かした農業(のうぎょう)が行(おこな)われていました。後(のち)に平安京(へいあんきょう)が造(つく)られるときには、都(みやこ)の建設(けんせつ)を支(ささ)える重要(じゅうよう)な地域(ちいき)のひとつとなったとも言(い)われています。延暦(えんりゃく)13年(ねん)(794年(ねん))に平安京(へいあんきょう)が開(ひら)かれると、都(みやこ)の表玄関(おもてげんかん)に当(あ)たる「羅城門(らじょうもん)」や、当時(とうじ)の京都(きょうと)でただ二(ふた)つしか許(ゆる)されなかった寺院(じいん)の「東寺(とうじ)」、「西寺(さいじ)」が置(お)かれるなど、南区(みなみく)の地域(ちいき)は都(みやこ)にとって重要(じゅうよう)な場所(ばしょ)として栄(さか)えました。

 明治時代(めいじじだい)から後(あと)は、日本(にほん)の近代化(きんだいか)が進(すす)む中(なか)で、広(ひろ)い農地(のうち)が工場(こうじょう)や倉庫(そうこ)などとして開発(かいはつ)され、今(いま)は、京都(きょうと)の経済(けいざい)を支(ささ)える近代産業(きんだいさんぎょう)のまちとしても栄(さか)えています。

 南区(みなみく)が誕生(たんじょう)したのは昭和(しょうわ)30年(ねん)(1955年(ねん))です。明治(めいじ)の頃(ころ)、今(いま)の南区(みなみく)の区域(くいき)は、大内村(おおうちむら)及び七条村(しちじょうむら)の一部(いちぶ)、東九条村(ひがしくじょうむら)、吉祥院村(きっしょういんむら)、上鳥羽村(かみとばむら)、久世村(くぜむら)に分(わ)かれていました。これらのうち、久世村(くぜむら)以外(いがい)の村(むら)が昭和(しょうわ)6年(ねん)(1931年(ねん))までに下京区(しもぎょうく)となり、昭和(しょうわ)30年(ねん)(1955年(ねん))に、南区(みなみく)となりました。さらに昭和(しょうわ)34年(ねん)(1959年(ねん))に久世村(くぜむら)が南区(みなみく)に加(くわ)わり、今(いま)の南区(みなみく)となりました。

 

南区(みなみく)のみどころ

 東寺(とうじ)(教王護国寺(きょうおうごこくじ)):平安京(へいあんきょう)が造(つく)られた時(とき)に、国(くに)の寺(てら)として西寺(さいじ)とともに造(つく)られ、後(のち)に弘法大師(こうぼうだいし)(空海(くうかい))によって真言宗(しんごんしゅう)の総本山(そうほんざん)として発展(はってん)しました。京都(きょうと)の中(なか)でも、平安時代(へいあんじだい)から場所(ばしょ)や建物(たてもの)の配置(はいち)が変(か)わっていないただ一(ひと)つの史跡(しせき)として大変貴重(たいへんきちょう)で、平成(へいせい)6年(ねん)(1994年(ねん))には世界文化遺産(せかいぶんかいさん)にも登録(とうろく)されました。平安京(へいあんきょう)のまちは、今(いま)の京都(きょうと)より南西方向(なんせいほうこう)にあったことがわかっていますが、これも、東寺(とうじ)を基準(きじゅん)に特定(とくてい)されたものです。高(たか)さ55メートルの東寺(とうじ)の五重塔(ごじゅうのとう)は木造(もくぞう)の建物(たてもの)として日本一(にほんいち)の高(たか)さと美(うつく)しさで、京都(きょうと)のシンボルと言(い)われています。また、毎月(まいつき)21日(にち)は、「弘法(こうぼう)さん」の市(いち)が開(ひら)かれ、多(おお)くの人(ひと)でにぎわっています。

 六斎念仏(ろくさいねんぶつ):南区(みなみく)では、「六斎念仏(ろくさいねんぶつ)」が始(はじ)まったところとも言われており、久世(くぜ)、吉祥院(きっしょういん)、上鳥羽(かみとば)の地域(ちいき)に、それぞれ国(くに)の重要無形民俗文化財(じゅうようむけいみんぞくぶんかざい)に指定(してい)されている「六斎念仏(ろくさいねんぶつ)」が伝(つた)わっています。「六斎念仏(ろくさいねんぶつ)」は、仏教(ぶっきょう)で不吉(ふきつ)な日(ひ)とされる「六斎(ろくさい)」日(び)に、鉦(かね)や太鼓(たいこ)を叩(たた)き、おどりながら念仏(ねんぶつ)を唱(とな)える行事(ぎょうじ)で平安時代(へいあんじだい)に始(はじ)まったと言(い)われています。後(のち)に歌舞伎(かぶき)などの影響(えいきょう)を受(う)けて、芸能(げいのう)としての要素(ようそ)も加(くわ)わり、今(いま)の形(かたち)になりました。

 

  • 東寺
  • きっしょういんろくさい念仏

 

南区(みなみく)のじまん

くぜ工業団地周辺

 南区(みなみく)は、働(はたら)くひとが4人以上(にんいじょう)いる製造業(せいぞうぎょう)(ものを作(つく)る仕事(しごと))の事業所(じぎょうしょ)が600近(ちか)くもあります。これは、市全体(しぜんたい)の約(やく)21パーセントにあたり、京都市(きょうとし)の11の区(く)のなかでは一番多(いちばんおお)い数(かず)です。そこで働(はたら)く人々(ひとびと)は約(やく)1万(まん)8千人(せんにん)にもなり、やはり京都市(きょうとし)の11の区(く)のなかで一番多(いちばんおお)い人数(にんずう)となっています。こうした事業所(じぎょうしょ)の中(なか)には、世界(せかい)の先端(せんたん)をいくハイテク企業(きぎょう)や独自(どくじ)の技術(ぎじゅつ)を持(も)ったものづくり企業(きぎょう)がたくさんあり、京都経済(きょうとけいざい)の先頭(せんとう)に立(た)って活躍(かつやく)しています。

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