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こども情報館(下京区ってこんなまち)

ページ番号96636

2023年8月28日


下京区ってこんなまち

下京区のようす

JR京都駅

 下京区は京都のまちの中央部にあります。現在の区域は、東は鴨川、西は西高瀬川、北は四条通、南はJR東海道線で囲まれた範囲にだいたいなります。面積は、6.82平方キロメートルで、京都市内でいちばんせまい区であり、地形はほぼ平らです。区の南部にあるJR京都駅は、東海道新幹線、JRの各線(東海道線、山陰線、奈良線、湖西線)が乗り入れています。ほかにも、近鉄京都線と市営地下鉄烏丸線がつながったり、いろんなバスの路線が駅前から発車したり到着したりしていて、ここは京都の玄関口です。また、烏丸五条の交差点は、東から走っている国道8号の終点で、西向きにのびる国道9号、南向きにのびる国道24号、北向きにのびる国道367号の出発点となっています。交通の面でとても重要な場所で、東西には国道1号も走ります。 

下京区のれきし

平安京すざくおおじ跡の石碑


 延暦13年(794年)に平安京が開かれると、都の中央を南北に走る朱雀大路(今の千本通)を中心に縦と横に通りが走り、まちが形づくられました。今の下京区は、全体が平安京の中にふくまれ、東市・西市という市場を中心に商業が栄えます。その後、まちの西側はしめった土地が多かったのでさびれますが、東側は、商業と手工業のまちとして発展を続けます。室町時代の中期に応仁の乱が起こり、まちは一時すたれますが、四条通を中心にだんだんと回復し、豊臣秀吉の京都大改造や東本願寺・西本願寺の周りに寺内町がつくられたことで、七条通までが再び栄えました。明治12年(1879年)、三条通を境にして上京区と下京区が誕生し、昭和30年(1955年)に今の形となりました。

下京区のみどころ

西本願寺:東山に建てられた親鸞聖人の廟堂(=死んだ後の骨を納める建物)に始まります。現在地に移ったのは、豊臣秀吉の寄進(=土地をお寺に寄付すること)を受けた天正9年(1591年)のことです。境内には、国宝などの文化財に指定されている多くの建物があり、世界文化遺産にも登録されています。

東本願寺:慶長7年(1602年)、徳川家康が本願寺第12代の教如上人へ現在地を寄進したことで誕生しました。その後、4度の火災にあい、今の建物は明治期に建てなおされたものです。
 少し東には、別邸の渉成園があります。季節の花々がさきほこる回遊式庭園(=中心の池を回りながら楽しむ庭園)は、国の名勝(=景色が美しい場所)に指定されています。周りに枳殻が植えられていたことから枳殻邸とも呼ばれます。

  • 国宝の西本願寺からもん
  • 東本願寺ごえいどう門

下京区のじまん

京仏壇の製作

 下京区は、伝統的な技法を使って日本の文化や生活に身近なものを作ってきた伝統産業のまちです。区内には、京仏壇・京仏具・京扇子・京人形・京友禅などを作る工房がたくさんあります。その中でも、東本願寺・西本願寺の門前町を中心に作られる京仏壇は、細かく分かれている仏壇作りの各工程を専門の職人たちが手作業で仕上げていき、最後にそれらを組み立ててできあがります。仏壇の内部をのぞくと、お寺の本堂に似せた細かなつくりとなっているのが分かります。

 また、下京区には、日本三大祭のひとつ「祇園祭」の34ある山鉾町のうちの17があります。山鉾町では、毎年7月になると山や鉾が建ち並び、祇園囃子が聞こえてきます。

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