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こども情報館(中京区ってこんなまち)

ページ番号96568

2023年8月28日


中京区ってこんなまち

中京区のようす

たかせぶね

中京区は、京都市のほぼ中央にあります。面積は7.38平方キロメートル、地形はほとんど平らですが、南西方向へゆるくかたむいています。また、京友禅とかかわりの深い堀川は、京都市のほぼ中央を南北に流れる河川です。そのほか、木屋町通二条をやや南に下がった高瀬川は、江戸時代初期に開かれた運河(陸地を掘って作った水路)で、川面に浮かぶ一そうの高瀬船から、江戸時代に船の行き来が盛んだった頃の様子がうかがえます。 

中京区のれきし

壬生寺本堂

中京は江戸時代前期、海外との貿易や呉服店、両替店(=昔の銀行)などでお金をためた豪商(広く商売をする商人)たちが暮らした新町通周辺や、金貨・銀貨を作る仕事を幕府から任された金座・銀座があった両替町周辺など、室町通を中心に、京の経済を支えてきたまちでした。

 また、「壬生狂言」で有名な壬生寺は、江戸時代末期、新撰組の屯所(=活動の基地となるところ)に近いため、隊士の訓練場として使われていました。境内の「壬生塚」には、新撰組のリーダー近藤勇の胸像や隊士のお墓がまつられています。

 現在の中京区は、いくつかの村がいっしょにまとめられたり、下京へ取り入れられたりして、昭和4年(1929年)4月に、上京区の南部と下京区の北部を区の範囲として生まれました。

中京区のみどころ

 二条城:慶長8年(1603年)、江戸幕府初代将軍の徳川家康が京都御所を守り、将軍が京都へ来たときにとまる所として造ったお城です。幕末(=江戸幕府の末期)には、大政奉還(=幕府が国を治める権利を朝廷に返すこと)の舞台にもなりました。また、平成6年(1994年)12月には、世界文化遺産に登録され、まちのシンボルとなっています。

 町衆のいぶきが感じられる地域:少し大通りを外れると、昔、京都の中心であったといわれる「へそ石」のある六角堂や、明治時代のレンガ造りの建物が残る三条通、問屋街の室町通、寺院が建ち並ぶ寺町通、祇園祭でにぎわう鉾町、京の台所として知られる錦小路通があります。

  • 二条城
  • 京都府京都文化博物館の別館

中京区のじまん

京友禅の水洗い

 室町は、江戸時代より織物をあつかう問屋街として栄え、京都の経済を支えてきました。

 「京友禅は水の芸術である」といわれています。職人たちがおこなう「友禅流し」も、むかしの堀川のような清流があったため、美しく染め上がりました。今は堀川をはじめとする河川が使用できなくなりましたが、屋内に作られた人工の川にすんだ地下水をくみあげて、水洗いをし、伝統ある京友禅の美しさを守り続けています。 

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