スマートフォン表示用の情報をスキップ

現在位置:

こども情報館(中京区ってこんなまち)

ページ番号96568

ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

2022年7月7日


中京区ってこんなまち

 

中京区(なかぎょうく)のようす

たかせぶね


中京区(なかぎょうく)は、京都市(きょうとし)のほぼ中央(ちゅうおう)にあります。面積(めんせき)は7.38平方(へいほう)キロメートル、地形はほとんど平(たい)らですが、南西方向(なんせいほうこう)へゆるくかたむいています。また、京友禅(きょうゆうぜん)とかかわりの深(ふか)い堀川(ほりかわ)は、京都市(きょうとし)のほぼ中央(ちゅうおう)を南北に流(なが)れる河川(かせん)です。そのほか、木屋町通二条(きやまちどおりにじょう)をやや南に下がった高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(えどじだいしょき)に開(ひら)かれた運河(うんが)(陸地(りくち)を掘(ほ)って作った水路(すいろ))で、川面(かわも)に浮(う)かぶ一そうの高瀬船(たかせぶね)から、江戸時代(えどじだい)に船の行き来が盛(さか)んだった頃(ころ)の様子(ようす)がうかがえます。

 

中京区(なかぎょうく)のれきし

壬生寺本堂

 
中京(なかぎょう)は江戸時代前期(えどじだいぜんき)、海外との貿易(ぼうえき)や呉服店(ごふくてん)、両替店(りょうがえてん)(=昔(むかし)の銀行(ぎんこう))などでお金をためた豪商(ごうしょう)(広く商売(しょうばい)をする商人(しょうにん))たちが暮(く)らした新町通周辺(しんまちどおりしゅうへん)や、金貨(きんか)・銀貨(ぎんか)を作る仕事(しごと)を幕府(ばくふ)から任(まか)された金座(きんざ)・銀座(ぎんざ)があった両替町周辺(りょうがえまちしゅうへん)など、室町通(むろまちどおり)を中心に、京の経済(けいざい)を支(ささ)えてきたまちでした。
 また、「壬生狂言(みぶきょうげん)」で有名(ゆうめい)な壬生寺(みぶでら)は、江戸時代末期(えどじだいまっき)、新撰組(しんせんぐみ)の屯所(とんしょ)(=活動(かつどう)の基地(きち)となるところ)に近いため、隊士(たいし)の訓練場(くんれんじょう)として使(つか)われていました。境内(けいだい)の「壬生塚(みぶづか)」には、新撰組(しんせんぐみ)のリーダー近藤勇(こんどういさみ)の胸像(きょうぞう)や隊士(たいし)のお墓(はか)がまつられています。
 現在(げんざい)の中京区(なかぎょうく)は、いくつかの村がいっしょにまとめられたり、下京(しもぎょう)へ取(と)り入れられたりして、昭和(しょうわ)4年(1929年)4月に、上京区(かみぎょうく)の南部(なんぶ)と下京区(しもぎょうく)の北部(ほくぶ)を区(く)の範囲(はんい)として生まれました。

 

中京区(なかぎょうく)のみどころ

 二条城(にじょうじょう):慶長(けいちょう)8年(1603年)、江戸幕府(えどばくふ)初代将軍(しょだいしょうぐん)の徳川家康(とくがわいえやす)が京都御所(きょうとごしょ)を守(まも)り、将軍(しょうぐん)が京都(きょうと)へ来たときにとまる所(ところ)として造(つく)ったお城(しろ)です。幕末(ばくまつ)(=江戸幕府(えどばくふ)の末期(まっき))には、大政奉還(たいせいほうかん)(=幕府(ばくふ)が国を治(おさ)める権利(けんり)を朝廷(ちょうてい)に返(かえ)すこと)の舞台(ぶたい)にもなりました。また、平成(へいせい)6年(1994年)12月には、世界文化遺産(せかいぶんかいさん)に登録(とうろく)され、まちのシンボルとなっています。
 町衆(まちしゅう)のいぶきが感(かん)じられる地域(ちいき):少し大通りを外れると、昔(むかし)、京都(きょうと)の中心であったといわれる「へそ石」のある六角堂(ろっかくどう)や、明治時代(めいじじだい)のレンガ造(づく)りの建物(たてもの)が残(のこ)る三条通(さんじょうどおり)、問屋街(とんやがい)の室町通(むろまちどおり)、寺院(じいん)が建(た)ち並(なら)ぶ寺町通(てらまちどおり)、祇園祭(ぎおんまつり)でにぎわう鉾町(ほこまち)、京の台所(だいどころ)として知られる錦小路通(にしきこうじどおり)があります。

  • 二条城
  • 京都府京都文化博物館の別館

 

中京区(なかぎょうく)のじまん

京友禅の水洗い


 室町(むろまち)は、江戸時代(えどじだい)より織物(おりもの)をあつかう問屋街(とんやがい)として栄(さか)え、京都(きょうと)の経済(けいざい)を支(ささ)えてきました。
 「京友禅(きょうゆうぜん)は水の芸術(げいじゅつ)である」といわれています。職人(しょくにん)たちがおこなう「友禅流(ゆうぜんなが)し」も、むかしの堀川(ほりかわ)のような清流(せいりゅう)があったため、美(うつく)しく染(そ)め上がりました。今は堀川(ほりかわ)をはじめとする河川(かせん)が使用(しよう)できなくなりましたが、屋内(おくない)に作られた人工の川にすんだ地下水をくみあげて、水洗(みずあら)いをし、伝統(でんとう)ある京友禅(きょうゆうぜん)の美(うつく)しさを守(まも)り続(つづ)けています。

上にもどる

  • 前のページへもどる
  • トップページへもどる

フッターナビゲーション