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京都市消防局

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平成28年12月号 あの日あの頃

ページ番号207753

2016年12月1日



 転機,消防学校の桜が咲き乱れた春

 私が,消防に入ったときは,オイルショックで日本中がトイレットペーパや洗剤など,ほとんどの物資の

買い占め騒動が起こっていました。

 のんびり鹿児島の指宿で生まれ育った私も就職する年頃になりました。

 当時は,鹿児島や熊本でも採用試験があり,九州人が京都市消防局に大量に採用されました。

 民間企業の給料が高くて,公務員の安月給と言われ,公務員の人気がなかった時代です。

 高倍率で狭き門,優秀な人材が入っている今と,大きく変わりました。

 私は,大阪市消防局と京都市消防局に合格し,迷った末に,国際文化都市で観光客なら誰もが知る

京都が良いと思い京都市消防局を選びました。

 桜の花が咲き乱れる昭和50年4月入校,鬼のように恐ろしい教官だらけの消防学校に,京都府下の委

託生と共に,75人が昼夜を問わずしごかれまくりました。

 当時は4箇月で卒業できました。


 うだるような京都の熱い夏

 8月には全員が各署に配属されました。私は伏見本署,出張所と勤務し,愛情と厳しさいっぱいの上司

と先輩にいろいろ教わり少しずつ成長していきました。

 昔は,同じ釜の飯を食うのが当たり前で,食材料の買い出しと晩ご飯作りは新米の大事な仕事でした。

 消防人は,家庭でも奥さんより上手にご飯作りができる方が多いのです。

 若者たちへ,ご飯作りが上手というだけで合コンに行っても女の子に重宝され,もてたのです。これは本

当の話です。

 昔の夫婦は,主と従でしたが?今では良きパートナーが当たり前の時代なのですね!

 夏の火災と言えば,出張所で勤務中,夜中にどでかい染色工場火災があり最先着隊で到着すると,と

てつもなく大きな炎と火の粉が舞い上がっていました。水利部署後,1線高圧放水するもあまりにも火勢

が強く,放水する水が蒸発してしまい全く勢いは衰えません。輻射熱があまりにも熱く,後方の遮蔽物ま

で退却し再度放水を続けました。後着隊の応援でやっと消火することができました。


 秋と言えば収穫と台風の季節

 上京消防署に勤務中のことでした。

 大型台風がやって来て京都も暴風雨になっていました。

 夜の教養時間が終わるとすぐに出動指令が鳴り響き,現場に向かいながら,こんな日にまさか燃えて

はいないだろうと思いながら現場到着すると,3階建ての大きな医院の2階が全面燃焼中で窓から炎が

吹き出し,3階に延焼拡大中でした。

 大きな炎と濃煙と多量の雑品に苦労しながら消火しました。

 台風のときでも炎上火災はある。油断したらあかんと学習しました。

 


 京都の冬は底冷え,体の芯まで冷える。

 南本署で勤務中には何回もアパート火災に出動しました。今なら1室の焼失で済んでいますが,当時

は現着すると木造2階建てのアパート1棟が全面燃焼中という火災がよくあり,残念なことに焼死者も多

く発生しました。

 その後,延焼拡大防止措置として界壁が設けられ,大火はなくなりました。

 昔は,炎上火災も多く,鎮火が入らないうちに,別件の出動指令で転戦,濡れたホースを急いで巻直

し,次の現場で放水したこともありました。


  消防隊30年,救急隊12年,警備畑一筋,これまで5,000回を超える緊急出動の中を無事故運転でこれました。

  消防生活42年は,あっという間に過ぎました。たくさんの消防人と接し,励ましと応援をいただき本当に心から感謝してお

  ります。

  75期生は,消防学校を卒業後,今までに殉職された太田さんを含め8人の同期生の方が亡くなりました(合掌)。

  最後に後輩の皆様に一言,消防は人様の命を守るとても尊い仕事です。

  くれぐれも皆様お体を大切にして消防人生に邁進してください(感謝)。


  • 目次

お問い合わせ先

京都市 消防局消防学校教育管理課

電話:075-682-0119

ファックス:075-671-1195