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京都市消防局

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平成28年10月号 あの日あの頃

ページ番号205726

2016年10月3日



 情報があふれ,覚えることはできないし,忘れることも多い年齢になったが,あの日のことを忘れることはない。

 平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から一週間ほどたった頃,私も兵庫県神戸市の長田消防署に派遣された。神戸には弟夫婦が住んでいたこともあり,以前から家族でもよく出掛けていた。六甲の山並みや神戸の港がお気に入りで,思い出の多い町であったから,私は「精一杯頑張ってくる。」と意気込んで行った。

 既に長田消防署に派遣されている消防隊と交代するため,マイクロバスで大阪を抜けて西に向かったが,長田に近付くにつれ,本で読んだ活断層の地震や都市直下型の地震がどういうものなのか,分かってきた。

 長田の町に立ったとき,焼けた臭い,ほこり,寒さ,遠くに聞こえるいくつものサイレン。焼け尽くされた町を歩く人。皆どこへ行くのだろうと思うと,胸が詰まった。

 私たちは長田消防署に待機し,パトロールと火災出動に当った。深夜にも出動があったが,私の隊は残留となった。長田消防署の署員の中には,もう1週間も家に帰っていない方や家族の安否が分からないという方もおられた。それでも私たちに,「パンがあります。自由に食べてください。」とか「トイレの使い方,コツがあるんですよ。一緒に行きましょう。」と,とても親切にしてくださった。

 夜は,長田消防署の講堂の床に毛布を敷いて寝た。寒さに耐えて息を潜めていると月明かりが差し込んで,とても明るかったのを覚えている。

 そんな中,あと1時間で交代部隊が到着するというときに出動が入った。倒壊したビルの地下から煙が上がっているというものだった。私が防火衣を着て消防車に乗り込もうとしたとき,「山田さん,誘導します。真ん中に乗せてください。」と言って,隊長席の横に長田消防署の署員が乗り込んできた。出動途上も「この道をまっすぐに行けば近いんですけど,高架が下がっていてダメです。迂回しましょう。」などと誘導をしてもらい,現場活動も無事に終えることができた。

 長田消防署に帰隊したときには,交代部隊が到着していた。私たちの帰隊を待っていた上司から,活動の報告と消防車の引き継ぎを急いで済ませ,帰りのバスに乗るよう,指示を受けた。帰りの準備を急ぐように私が隊員に伝えて振り返ったとき,先ほど誘導してくれた長田消防署の署員が近付いてきて言った。私はお礼を言おうとしたが,彼が先に話し掛けてきた。

 「山田さん,覚えていますか?」

 「えっ。」

 「福岡の意見発表会で一緒でしたよ。」

 すぐには分からなかったが,言われて思い出した。いつだったか,私は,福岡県で開催された全国消防長会消防職員意見発表会に参加した。そのときのことだ。各支部の代表が舞台の袖に並べられた椅子に座って発表の順番を待っていたが,私の隣の近畿支部代表が神戸市消防局の職員だった。発表するまでは緊張して話さなかったが,私が先に終わり,彼が戻ってきてようやく,一言,二言,話をした。少し笑ったかもしれない。

 ただそれだけの会話だったし,横一列に座っていたから私は顔もはっきり覚えていなかった。消防車の横で,きな臭い防火衣を着たまま,そこまでの記憶をたどって我に返ったとき,「ありがとうございました。」と明るく言って,彼は消防署内に戻って行った。

 再会というには,私の対応はあまりにも冷たかった。帰路,かつて友人や家族と肩を並べて歩いた神戸市街の惨状を目の当たりにし,言葉も出なかったが,倒壊した家を見るたびに,誘導してくれた長田消防署員の家はどうだったんだろうとか,御家族は大丈夫だったのだろうかなどと思いが巡り,「なぜ,追い掛けてでも,一言,声を掛けなかったんだろう。」と後悔した。

 その後,仕事で何度か神戸を訪問した。神戸市消防局や水上消防署には行ったが,長田消防署に行くことはなかった。応援出動のあと,すぐにでも何か支援物資を持って会いに行けばよかったと今も後悔しているし,震災のニュースを見るたびに,長田消防署を離れる直前の一部始終がよみがえってくる。阪神・淡路大震災が忘れられない。


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