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京都市消防局

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平成28年4月号 あの日あの頃

ページ番号194627

2016年4月1日



 私は京都市消防局に採用される前,大阪府堺市にて8箇月ほど,一般企業に勤めていましたが,消防士という職業への憧れから退社し,昭和54年から昭和56年まで,アルバイトをしながら職員採用試験の勉強をしていました。

 猛勉強の末,採用試験に合格し,昭和56年10月,伏見区墨染通沿いにあった当時の京都市消防学校に入校し,半年間の楽しくも苦しい学校生活(初任教育)を送りました。

 それまで送ってきた生活とは異なる非日常的な毎日の連続で,同期生と共に汗をした訓練などの風景を,今も鮮明に思い出すことができます。


 半年間の初任教育を終え,消防学校を卒業し,配属されたのが右京消防署で,ここから私の本格的な消防人生が始まりました。

 昭和57年から平成3年までの10年間勤務した右京消防署での思い出を掘り起こしてみると,様々な災害出動がありました。大規模な事業所での火災,活動時間が10時間以上に及び,現場で夜を明かした山林火災や台風が京都を通過するときに起こった炎上火災など,数え上げると切りがありません。

 その中で,冬場に起こったある火災現場での出来事が,私にとって最も印象に残っています。右京消防署から他の行政区へ屈折はしご車で応援出動したときのことで,塔上放水のため出火建物の上にバスケットを旋回した途端,操作不能に陥りました。空気呼吸器を着装していなかった私は,濃煙の中にバスケットごと飲み込まれ,「俺はここで死んでしまうのか。」と覚悟をしました。数分後には,操作が可能になり,今もこうして元気に勤務していますが…。操作不能になった原因は,作動油が寒さのために一時的に凍結したものと推測されます。今では,消防車に,活動隊員全員分の空気呼吸器が配置されていますが,当時は,消防車に2~3基の積載だったと思います。この現場からの引揚げ時に,梯体につららが多数できていたのが印象的でした。

 もう一つ,御室消防出張所が建て替えになり,新庁舎で勤務できたことは,とても嬉しい体験でした。何もかもが新品で,事務所も広く,あの頃には珍しく土足厳禁の職場でした。



 年齢が40歳を迎えた頃から,月日の経過が加速したように感じます。

 また,自分では若いつもりでも,皮膚の艶が無くなり,体力の回復にかなり時間を要しますし,同僚からの非番や休日の飲み会への誘いも,随分,少なくなりました。今年で58歳を迎える今を自覚しており,周りの皆さんも気遣ってくれているようです。しかし,「あと2年…まだ5年」は,何とか現役で動けるよう,ウォーキングやサイクリングなどを通じて災害現場で活躍できる体力・筋力の維持に努めています。

 定年退職を迎えたときに,自分を振り返って,消防の仕事を選んで良かったと思えるように,残り数年を過ごしたいと思います。


 私がまだ若かりし頃の災害現場と現在の災害現場とで,「人を助ける」という活動に違いはありませんが,今は使用器材の充実や災害現場活動マニュアルの策定など,安全性が図られています。

 災害現場活動だけでなく,市民のニーズが多種多様化し,市民の命を守ることにつながる業務に対して,より一層のプロ意識を持って対応していかなくてはならない時代にあります。これから京都消防を担っていく後輩の皆さんには,厳しいと感じることもあると思いますが,この重圧に負けずに,いつか退職する際には,表現方法は違っても「良きかな我が消防人生」と思えるよう,業務にまい進して欲しいと願います。


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