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京都市消防局

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平成28年3月号 あの日あの頃

ページ番号193822

2016年3月1日


 昭和49年4月1日,夢と希望とそして一抹の不安を胸に消防学校の門をくぐり,3月で早42年になろうとしています。あと1箇月余りで退職を迎えることとなりました。まずは,この場をお借りして,諸先輩方並びに同僚の皆さんに対し,深く感謝申し上げ,筆を進めることとします。

 さて,消防学校での初任教育修了後,私は中京消防署警防課第二係第2小隊に配置となり,日々,業務をこなしていました。当時は二係制(一係・二係)で6当務1休日,1隊が7名配置であったと記憶しています。今は受付業務がなくなってしまいましたが,当時,昼間は隊員1名が順番で1時間毎に交代し,夜は2名で,受付業務に当たっていました。業務内容は,一般加入電話や災害の受信,一斉指令電話の応対,庁内放送,来署者の対応等々,署の顔(署長代理)として多忙を極めていたように思います。

 以前の中京消防署の受付は,堀川通御池の角のとても目立つ位置にあり,かつ,ガラス張りの部屋で,また,直近には二条城や二条陣屋等の観光名所があるため,受付前は観光客の往来が非常に多くありました。その頃,私が苦手だったのは,他の行政区の観光地への道順案内等をすることでした。消防の受付業務以外に,市民サービスの一環で観光名称等(市バス系統含む)を覚えることも必要とされ,随分,苦心したものです。観光客対策は,管内の地水利要図プラス観光案内図と解説書を入手して,何とか対応できるようになりました。余談ですが,受付業務中,外国人の方とはできるだけ目線を合さないようにしていたことを思い出しました。

 また,受付業務中に災害出動があれば長時間勤務することととなり,合間をみて出動後のガレージ内の整理整頓や現場活動ですすだらけになり,冷え切った体で帰ってくる隊員のため,風呂の準備をするなどして出動隊の帰署を待っていました。

 今では想像し難いことですが,当時の災害服装は自前の軍手のほかに,ゴム長靴,防火衣,防火帽の出で立ちで,放水活動をすれば軍手はもちろんのこと,作業ズボンはずぶ濡れで,長靴の中まで水浸しになって帰署するのが当たり前でした。特に冬季の帰署時は,冷たさで手足がしびれるほど過酷なものでした。ちなみに,当時の消防車の様子はというと,ドアなどはなく,ボンネットタイプのトヨタFC100やFHと呼ばれる車両でした。その中で新任の隊員は,車両後部の荷台の僅かな空間に乗車して,出動していました。本署の第1小隊を「先発」,第2小隊を「後発」と呼んでいたと思います。今でいう指揮隊はなく,当時,中隊副長(今の副指揮隊長)が第1小隊に乗り組み,第2小隊に中隊長が乗り組み,指揮活動に当たっていました。

 だらだらと「今と昔」について書き綴ってしまいましたが,拝命以来42年の間に,個人の装備品も車両も資器材も随分進化し,ハード面の充実により消防活動等は昔に比べ,よりスムーズに行えるようになってきたと実感していますが,消防人にとって,マンパワー,人間性の向上は,いつの時代においても必要不可欠なものです。間もなく,この職場を去りゆく者から皆様に一言,現状に満足せず,日々,色々なことに挑戦し,自己研さんを重ねられ,市民の付託に応えられる真の消防人として歩まれんことを祈願しつつ,筆を置きます。


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