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京都市消防局

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平成28年1月号 あの日あの頃

ページ番号192126

2016年1月4日


 私が京都市消防局に入ったのは,昭和55年4月1日です。第85期初任教育生として,42名が,当時,伏見区墨染にあった消防学校に入校しました。

 その頃の施設は古くて狭く,現在の消防学校や消防活動総合センターとは雲泥の差でした。体力練成でひたすらグラウンドを走り,消防訓練では「ポン操(ポンプ操法)」と呼ばれた隊長以下5名のバッグホース操法を行っていました。これは,消防車に5名が乗り組んで,隊長の「操作かかれ。」の号令で一斉に下車し,バッグホースでホースの路上4本延長の訓練と水損防止のための防水シート操法を実施するものです。放水の開始や停止は無線を使用せず,全て3番員が筒先と消防ポンプ車の間を走って往復し,更に予備ホース1本を担いでいました。3番員は,いかに早く走って伝令するかが,使命でした。



 このような訓練は,消防署配置後も,毎年,特別消防訓練として実施していました。当時の訓練は,現在のように実戦を想定したものではなく,操法訓練で,誰が何をするかが細かく決まっていました。各消防署では,河川敷や工事中の未開通の道路,浄水場の空地など,それぞれ,訓練場所を確保して練習していました。本番の訓練場所も,今は「旧ポンプ操法場」と呼ばれている伏見区向島の宇治川河川敷でした。

 現在の訓練形式になったのは,以前に,右京区の天神川太子橋付近にあった施設活用訓練場からです。そこは,元映画撮影所の跡地にプレハブの仮設建物を設置したもので,水利は地上式の水槽を使用していました。この右京区の訓練場が使用できなくなり,次は,伏見区竹田にある京都陸運局(京都運輸支局)事務所南側の敷地に,同様のプレハブ造で,施設活用訓練場ができました。水利は仮設の消火栓に変わりました。

 その後,現在の消防活動総合センター南側にある装備課駐車場の,更に南の空地に,同様のプレハブ造の仮設建物を設置し,訓練してきました。訓練内容もどんどん高度化,複雑化しています。最近の新任消防士は,そういう技術を消防学校で身に着け,消防署に配置されています。私が新任だった頃に比べれば,知識も技術も,全て数段上の優秀な人たちです。今後の京都消防の担い手として,期待しています。



 私の記憶に残る火災現場への出動は,昭和59年8月20日の午後1時過ぎのことでした。昼食を終えて休憩していると,右京区で林野火災第1出動が掛かりました。私は第1小隊の運転員として,小型動力ポンプと山林火災用資器材を消防ポンプ車に積載し,指令場所に向かいました。現場到着しましたが,火煙が確認できませんでした。進入経路が確定できず,隊長の状況確認を待っていると,航空隊が上空からの望見状況を伝えてきました。それは「指令場所から距離が離れており,ホース延長も困難である。」とのことで,消防ヘリコプターからの指示で転戦することになりました。

 結局,最初の指令場所とは反対側から進入することになり,林道を進んで谷川に水利部署し,やっとのことで放水できました。それから,翌朝の7時に現場交替部隊が来るまで,活動を続けました。あまりに長時間,放水したので,当時の消防ポンプ車はエンジンからのエグゾーストが夜間には真っ赤に焼けて見え,補助冷却しながら放水しました。山林火災は現場の特定が地上からでは難しく,的確に進入路を判断するためには,消防ヘリコプターと連携することが重要です。現在のように,上空からの映像を見ながら指揮できていればもっと早く鎮火できたでしょう。今後,新しい機材や消火方法が開発され,被害が少なくなることと思いますが,山林火災では,慌てて闇雲に進むと自分の命も落としかねないということを,肝に銘じておかなければなりません。


 私のキャリアの中で,救急の仕事は,39歳のときに専科教育・救急標準課程を受講し,救急隊員の資格を有してから始まりました。私が新任であった頃は,救急隊に2名以上救急資格者がいればよかったので,私は資格なしで代理勤務をしていました。当時は救急の知識もなく,隊長の指示どおり動くだけでした。救急車の装備も貧弱で,酸素ボンベと止血材やシーネぐらいの積載でした。急病の場合はバイタルの測定もなく,観察(意識,呼吸,脈)をするぐらいで,後は酸素投与をしていました。

 そんな時代から救急隊員として救急車に乗り組んでいましたが,私が向島救急隊長として乗り組んだときは,救急車の装備も機材も大幅に進歩し,高度化されていました。救急救命士制度は既に実施されていましたが,救急救命士の養成が追いつかず,本署の救急隊のみが高規格救急車を運用しており,出張所の救急隊は2B隊と呼ばれる普通の救急隊でした。今では消防車にも除細動器が積載されていますが,当時はそれもない救急車でした。

 その後,私は救急救命士第10期生として45歳で救急救命士養成所に入所し,猛勉強の末,国家試験に合格し,救急救命士として4年間,出動件数が市内トップの四条救急隊として勤務しました。

 退職まで残すところ,1年と3箇月になりました。大過なく職務を全うできることを願って,筆を置きます。

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