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京都市消防局

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平成27年10月号 あの日あの頃

ページ番号188832

2015年10月1日


 「私も「あの日あの頃」の原稿を書く年齢になったのか。よく,30年余り,消防吏員としてやってこれたな。」と思い,これも,今は定年退職された諸先輩方のお陰と感謝しています。

 この原稿を書くに当たって,何を書けばよいのか迷いましたが,要救助者を安全に避難させるために気付いたこと,それ以来,そのことで確認していることについて述べさせていただきます。

 私は,消防学校を卒業し,東山消防署に配属となり,それから2年後,泉涌寺消防出張所に配属となり,一応,自分では「一人前になった」と思っていた頃でした。確か11月頃だったと思います。当時はまだ,出動指令は人的操作による長一点の信号の後,地区別出動の音声指令で出動していました。出張所で執務中に,「第77南地区〇〇・・・」の出動指令が流れ,出動しました。

 「2階建てアパートの2階から出火し,出火室の家人は避難したもよう。」との無線を傍受し,現場到着したところ,2階の端の部屋の窓から火炎が噴出していました。隊長は,「F3,第2出動要請」の無線発信を行い,状況を確認するために現場へ急行し,我々隊員は消火栓に水利部署し,我を忘れて放水活動をするべしで活動していました。そのアパートは違反建築物で片側にしか階段がなく,鉄骨造り中廊下式で階段の反対側にある奥の部屋からの出火でした。2階に進入し,放水をしようとしたときが火災の最盛期で,狭い廊下は炎でいっぱいになり,懸命の放水活動をしていました。消火残水は熱湯となり,廊下が川のようになっていましたが,当時は,防火服の下は銀長靴を履いていましたので,足元から熱気を感じる程度でした。その放水中に,階段に一番近い部屋のドアが開いたのです。放水することに必死で,要救助者検索のことが私の頭の中から抜けていたのです。40代の男性だったと記憶していますが,「なぜ逃げなかったのか?」と混乱する頭でその人に理由を聞くと,「煙と炎で前が見えず,熱いため,様子を見ていた。」とのことでした。私は「至急,避難して,安全な所に行ってください。」と言いました。そのときには,やや火勢が弱まり,肌に感じる熱さも若干,収まってきたので,私は「行けるだろう。」と判断しました。

 しかし,その人はドアから出て2~3歩の所で,「熱い。」と言って,また,自室に戻ってしまいました。「どうしたんですか?」と私が聞くと,その人は,「流れている水が熱くて歩けない。」と訴えてきました。足元を見ると,サンダル履きだったのです。私たちは,先ほど述べたように銀長靴を履いていたので,足元に流れる消火残水が熱湯になっていてもその熱さは気になる程ではなかったため,気付けなかったのです。

 「長靴はありませんか?」と男性に聞くと,「長靴は持っていない。」と言われました。「では,革靴でもいいです。」と,再度,尋ねると,「革靴なら持っている。」と言われたので,「革靴を履いてください。何か,足場を探しますから,少し熱いですが,我慢して,1階まで避難してください。」と告げました。それで,ようやく,その方は1階まで避難することができました。私が最初に足元に注意を払い,サンダル履きではなく,靴を履くように伝えていれば,その方はもっと早く避難できたのです。

 それから私は,避難誘導を行うときは,靴を履いているかどうかを注意深く見るようになりました。また,服装も見るようになりました。そして,自分自身の災害時の服装も,しっかりしていなければ市民の生命を守ることはできないと,感じた災害でありました。

 私も,消防吏員として勤務するのはあと数年になりましたが,後進の若い隊員に私の体験談を伝えて,私よりも立派な消防吏員としてやっていってもらいたいと願っています。



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