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京都市消防局

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平成27年7月号 あの日あの頃

ページ番号184239

2015年7月1日


 早いもので60歳の定年まであと3年を切りました。この原稿が依頼されるような年齢になったと思うと感慨深いものがあります。過ぎ去った記憶の中から消防に入った当時のことなどを,断片的ですが,掘り起こしてみたいと思います。

 私が京都市消防吏員を拝命したのは昭和55年の4月でした。春らん漫の陽気の中,第85期初任科生として,同期生41名と消防学校の門をくぐりました。当時の出来事として,長島茂雄の巨人軍監督辞任と王貞治の現役引退,銀座の1億円拾得事件,ジョン・レノンの射殺事件,新宿バス放火事件,川治プリンスホテル火災,日本が不参加のモスクワオリンピック開催,静岡駅前地下街のガス爆発事故など,いろいろな意味で動きに溢れた世相で,バブル景気への助走期間ともいえる時代でした。

 初任科教育の6箇月を終えて署に配置されてからは,初めて運転員を命ぜられたことが印象に残っています。車両はトヨタ製のボンネット付トラックを改造したFC型と呼ばれるもので,ガソリンエンジンでした。エンジンルームは隙間だらけで,現在と比べるとかなり単純な構造でした。点火プラグやエアクリーナーの清掃,ラジエター冷却水の交換など,未熟な運転員に対して先輩方から色々と御教示いただきました。

 特にベテラン運転員の方は,地水利の知識も神様みたいな存在で,管内の消火栓,防火水槽等の地水利は完全に把握されており,「この地域は進入路が一方に限られるから,先着隊は奥の消火栓。」「この街区は同一配管の消火栓であるため,放水口数は2口までの場所。」等々。できの悪い新人運転員に手取り足取り教えていただきました。

 当時,ナビゲーションシステムはもちろんのこと,市内で統一された警防地図もなく,出動路線・水利選定用のツールとしてあるのは,各署がそれぞれ独自で作成した手作りの「地水利要図」だけでした。フリーハンドで描かれた道路は縮尺も正確でなく,同一ページでも中央部よりも周囲の方の縮尺が若干小さくなっている地図もありました。ただし,正確さは完全でなくても,自分たちの手で作ったものなので,非常に愛着の持てる地図でした。こんな状況でしたので,いざ出動となると後席と前席のコミュニケーションは活発にならざるを得ません。お互いの言葉だけが頼りです。「運転,出動経路はわかっているか。」「〇〇通を東進して△△通から進入します。」手作り地水利図を一心に見ていた先輩が「消火栓は△△通に進入してから右側3筋目の角。」等々。出動時の車両内はかなりにぎやかでした。今でも,出動車両の中で隊員が活発に意思疎通しているのは同じだと思いますが…。

 その後,救急救命士の隊長として10年以上救急車に乗っていました。特別な救急現場の経験はありませんが,毎回の救急現場をリフレッシュした気持ちで臨場しようと心掛けていました。救急現場は常に人間を相手にするところであり,傷病者の立場でものを考えていると,どうしても感情移入してしまい,ストレスがかすのように溜まってくることがあります。前の現場から頭を切り替えて次の現場に対応する。言い換えれば,うまく忘れることも大切だと思います。

 禅語に「忘筌 (ぼうせん)」という言葉があります。中国の古典,『荘子』の「外物篇」の「魚を得て荃(筌)を忘る。」からきています。荃は魚を取るために川で使う漁具(ヤナ)のことで,魚が取れれば,その用がなくなる。「物事の本質(成果)を得れば,会得するために使った言語などの手段をそのまま記憶しておく必要はない。忘れろ」という意味であったと思います。

 忘れると言えば私事で恐縮ですが,最近,とみに物忘れの度合いが進んだと自覚しています。特に固有名詞がなかなか思い出せず,「あれ」「これ」「それ」の使用頻度が増えてきており,家や職場で周囲の皆様に頭の体操を強要しているような有様です。

 また,現在,インターネットなどを通じて本質を得るための情報が周りに溢れ,身動きが取れなくなっているようにも感じることが多くなっています。

 ここらで一度リフレッシュして,ふんどしを締めなおし,残りの消防人生を全うしていきたいと思いますので,どうぞよろしくお願いします。



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電話:075-682-0119

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