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第一市場の歴史

ページ番号30

2007年10月1日

平安時代  鎌倉時代  室町時代  戦国時代  江戸時代  大正時代

戦時統制時代及び戦後  数次にわたる市場法改正  現在の中央卸売市場

第一市場の歴史

 

平安時代
 京都市の市場の歴史は,今から千二百年前,桓武天皇遷都からはじまります。当時の市場は,東西に一つずつあり,「東西市」と称され,平安時代400年間つづきましたが,内容は低調でありました。この東西の両市場には,市司(いちつかさ)という管理者の仕事をする役所が置かれ,財貨の交易,器物の真偽,度量の軽重,売買価格などを取り締まりました。
 現在の中央卸売市場の「業務規定」が,東西市の規則であった「関市令」の内容をほとんど汲んで,創新というより,むしろ脈々として変わらぬ大道を打ちたてているのも注目に値します。

 

鎌倉時代
 平安時代の反動として,質実を旨とした鎌倉時代(1185~1333年)は,騒乱の渦中にまきこまれ,このため商工業は非常におとろえを示し,東西市は名ばかりとなってしまいました。
 この時代の商工業者は,「式」のちに「座」とよばれる同業者の組合をつくり,組合員の制限や地域の指定をして営業上の特権を得ていました。「座」というのは,「物をすえ置く場所」すなわち「売場」のことであります。この「座」に属する商人を「座人」といい,人数に制限があるほか,この座人の取り扱う物品は,その区域内において他の商人が入り込んで販売することが許されず,座人は各々販路を限定して独占的勢力範囲を維持したので,他の商人の営業地域は非常にせばめられていました。

 

室町時代
 ついで室町時代に入りますが,この時代は鎌倉時代の延長といえます。
 南北朝を統一して足利氏の勢力が強まり,「室町幕府」を興したため,京洛の地はますます趣きを深め,京洛も北へ発展し,上下の2京に形を変え,上京では上立売,中立売,下立売の3市場を設け,下京では四条立売の市場が許可されました。しかし,幕府が財政窮乏におち入った結果,悪政をしき,そのために暴動が起こり,京都は大修羅場となって上下市場とも徹底的にふみにじられてしまいました。その後,粘り強い当時の商人たちは,「座」の権益を確保し,めざましい振興ぶりを示しましたが,応仁の乱により京都は決定的な廃墟となってしまったのです。

 

戦国時代
 織田信長の時代(1574年)に入ると,なお,権門によって衣食しようとする商人の勢力を打破するために「座」を廃し,だれでも自由に営業できる「楽市」または「楽座」と称する自由市場を設けました。信長の意志をついだ秀吉も,「座」を押さえて商業自由の道をひらくことに力を注ぎ,そして大いに京都の商工業の興隆を企てた結果,後の江戸時代以降伝統をほこる魚市場,塩干魚市場,青物市場の芽ばえがここにはじめて現われました。京都における食品市場の最初のものとして銘記すべきでしょう。

 

江戸時代
 江戸時代に入って,京都の食品市場は,元和年間(1615~1623年)幕府がはじめて魚問屋の称号を許し,万治(1658~1660年)寛文(1661~1672年)年間に上の店,錦の店,六条店の3店を魚市場とし,安永3年(1774年)問屋町,中堂寺,不動堂の3青果市場及び西納家の塩干魚市場に「商規の定札」が下附され,市場の株制度が確立されました。
 これが今日の いわゆる「市場開設」の許可であります。
 享保年間(1716~1735年)上の店には12店,錦の店には11店,六条店には2店の魚問屋があり,西納家には19店あったようです。これらの市場問屋は,業ごとに組合を設け,申合せ条目を定め,一定の冥加金を上納するとともにこれに対し特別の保護を受けるが,また,おのおの仲買を定めて鑑札を渡し,出入には必ず携帯させ,売買取引には仲買人以外は一切参加させませんでした。そのほか,違約処分について仲買人組合の規定を定め,日々市場に搬入される魚類は新鮮なものを選び,腐敗に近いものは決して売買しないなどの申し合わせとともに,仲買人以外または違約処分などを受けた仲買人は,一切市場に立ち入ることを許さないということにしています。
 この江戸時代には,国家経済はようやく「交通経済」の段階に進み,都市においては,いやが上にも市場の発展をあおることになりました。しかし,町人層に真の営業の自由はなく,同業者数の制限と世襲制をもって永々の特許の専業を「株」と称していました。

 

明治時代
 明治維新と同時に,江戸時代の旧来の株式制度はその一切を葬られ,商業者には一般に鑑札を下附されることになり,市場も全く個人の自由開放にゆだねられることになりました。自由放任となった各市場は,その取締規程はあるけれども,ただ道府県令により衛生保安上の取締りを受けたのみなので,同業相互の競争が激しくなり,なかには失敗して転廃業するものも少なくありませんでした。
 そのころ,京都府知事から組合組織令が発令され,組合が結成されましたが,数年を経ずして有名無実となり,その後再三組織が改められてまいりました。
 このように京都における各食品市場も消長盛衰はまぬがれませんでしたが,明治30年前後から各市場にそれぞれ任意申し合せ的な組合が生まれて,いずれも自主的に規約を厳守し,同業者の競合の弊害をのぞくことにつとめる方向へ進んでいったのは注目されることであります。

 

大正時代
 京都3店の魚問屋市場は,時世の推移と伝統的な習慣の固守による営業競合の経費過多から,秩序は乱れ道義はすたれ倒産するものしきりとなったので,一日も早く3店を一場に集中し,市場の基礎の建直しをはからなければという計画のもりあがりは,魚市場統一への機運のいちじるしい現われであり,このようにして明治末期から大正にかけて厳然たる市場態勢がすえられてまいりました。

 

中央卸売市場法の制定と揺らん期
 中央卸売市場法が制定される直接の契機となったのは,大正7年の米騒動であったといわれています。米その他の必需的食料品を安価に供給し,国民の消費生活の安定をはかる必要性が痛感されるようになり,政府も大都市における公設小売市場の設置等の対策を講じましたが,同時に公設小売市場の機能を十分に発揮させるためにも,中央卸売市場の設置を必要とする旨の建議請願書が政府に提出され,数々の経過ののち,中央卸売市場法が大正12年3月公布されることになりました。
 中央卸売市場法の立案,施行の過程において,既存の卸売市場の吸収,統合,既存問屋の処理が卸売人の単複論などの形で政治的な問題となりましたが,政府及び関係者の努力の結果,昭和2年12月 11日,京都市場は全国注目の中で最初の中央卸売市場として誕生したのです。

 

戦時統制時代及び戦後
 京都市場は,発足以来順調に発展してきましたが,昭和12年に日華事変がぼっ発し,続いて昭和15年に主要食料品の公定価格制が実施されるに至り,市場本来の価格形成機能は失われ,単に集分荷の場所となりました。特に商品の評価機能を大きな業務としていた仲買人はその存在意義を失い,昭和16年には仲買制度が廃止されました。それに伴って,卸売会社も配給統制下の実施機関となりさがりました。
 青果,鮮魚に対する統制は,一時撤廃されましたが,まもなく再開されました。生鮮食料品の統制は,昭和22年の果実を皮切りに相つぎ撤廃され,仲買制度も復活,市場機能がよみがえってまいりました。また,朝鮮戦争が始まった昭和25年ごろから我が国経済の復興はめざましく,それについて中央市場の取扱量も伸長を続けました。

 

数次にわたる市場法改正
 市場法は,大正12年制定以来,ほとんど改正されないまま推移しましたが,昭和30年代に入り新時代に適応するため数次の改正が行われました。昭和31年には,生鮮食料品の流通事情の変化,集散市場化の事情,卸売人の規制等にかんがみ,当面必要な改正が行われました。昭和33年には,市場取引および卸売人の財務状況について再び改正を行いさらに強力な規制を行うこととなりました。昭和36年の改正は,中央卸売市場の開設整備関係の新たな規定を設けるとともに,中央卸売市場の業務の適正かつ健全な運営を確保するための規定の整備強化を図ることとしました。

 

現在の中央卸売市場
 近年の生鮮食料品の生産および流通の状況をみると,①産地の大型化と出荷の計画化,②消費の多様化と平準化,③小売業の変革,④労働需給構造の変化,⑤都市形成の進展と過密化など,卸売市場をめぐる生鮮食料品の流通環境が大きく変化してきており,これらに対応して取引の適正化と流通の円滑化をはかるため,中央卸売市場,地方卸売市場の整備の計画的促進を期するための措置と,その適正かつ健全な運営を確保するための措置を内容とする卸売市場法が,50年の歴史をもつ中央卸売市場法に代わって昭和46年7月1日から施行されました。
 しかし,中央卸売市場をめぐる諸般の状況はその後も著しく変化してきていることから,平成11年7月には,卸売市場法が28年ぶりに改正され,卸売業者及び仲卸業者の経営体質の強化,公正かつ効率的な売買取引の確保等の措置が講じられました。これを受けて,京都市中央卸売市場においても業務条例を改正し,平成12年6月1日から施行しています。一方,市場施設は過去数次にわたり時代に即応して整備を進めてきましたが,現状は,基幹施設の老朽化と狭あい,過密化等により,市場機能が低下するおそれがあらわれはじめていたので,今後の流通事情の変化にも十分対応でき,かつ快適な環境づくりをもあわせた近代的な市場を昭和51年度から10か年計画で整備するよう取り組んで来ましたが,その前期工事として青果棟が完成し,昭和56年5月から使用を開始しました。そして,昭和56年度から後期工事として水産棟の整備に着手し,昭和61年4月には主要施設が完成しました。引続き,昭和61年度からは関連施設整備3か年事業に着手,昭和63年度末に完成し,大規模増改築事業を完了しました。
 また,市民の食生活の安定・向上に資するという公共的使命をより一層発揮するための「京都市中央卸売市場の活性化について」(提言)を平成元年11月に受け,市場の活性化に着手しています。あわせて,中央卸売市場を取り巻く流通環境は,めまぐるしく変化しており,それに対応した施設整備事業が必要となってきています。
 平成3年度から平成6年度は,第五次中央卸売市場整備計画に基づいて,また平成8年度以降は第六次中央卸売市場整備計画に基づいて,市場機能の拡充に積極的に取り組んできました。平成12年度には,国の第七次中央卸売市場整備計画(平成13年度~22年度)に対応した施設整備計画を策定し,さらに市場機能の強化・充実を図っていきます。

お問い合わせ先

サイト管理元 京都市中央卸売市場第一市場
電話: 075-311-6251 ファックス: 075-311-6970

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