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こども情報館(右京区ってこんなまち)

ページ番号96708

2023年8月28日


右京区ってこんなまち

右京区のようす

磨き丸太

 右京区は京都市の西北部にあります。区の北部はほとんどが森林で、緑あふれる山々と清らかな水の流れなど、豊かな自然にめぐまれています。特に北部の京北地域は93%が森林であり、「北山杉」で知られる磨き丸太の産地として有名です。

 南部は桂川にそって土地がなだらかに傾斜(=ななめにかたむくこと)しています。桂川が流れる嵯峨・嵐山の辺りは、桜や紅葉が美しく、平安時代に貴族の別荘地になってから、京都の代表的な景勝地(=景色が美しい土地)のひとつになっています。区の面積は291.95平方キロメートルで、市の面積の35%パーセントもあり、一番大きな区です。また、人口も20万人をこえ、市で2番目に多い区です。

右京区のれきし

桂川

 右京の歴史は古く、平安京より前に朝鮮半島からやってきた秦氏がこの地方を中心に活躍していました。

 秦氏は、産業に関する新しい知識、特に織物の技術に優れていました。太秦という地名も、秦氏に由来するものです。戦国時代からは、桂川を利用してたくさんの物が運ばれるようになり、材木の多くは桂川を通じて都に運ばれていました。

 右京区は、昭和6年(1931年)4月に、嵯峨町と花園・西院・太秦・梅ヶ畑・梅津・京極・松尾・桂・川岡のそれぞれの村の1町9村が京都市に取り入れられて生まれました。その後、大江村・大原野村が入り、昭和51年(1976年)10月に桂川から西が西京区となり、分かれました。平成17年(2005年)4月に京北町が入り今の右京区になりました。

右京区のみどころ

  春は桜の御室、夏は新緑の嵐山、秋は紅葉の高雄、冬は雪の嵯峨など、右京区には全国的に有名な名所があります。また、太秦の広隆寺にある国宝第1号の弥勒菩薩像のほか、区内には、京都市全体の4分の1をこえる57件の国宝があり、世界文化遺産に登録された仁和寺、高山寺、天龍寺、龍安寺、そして国の天然記念物の九重桜で知られる常照皇寺など、数多くの優れた文化財にめぐまれています。

 桂川にかかる渡月橋は、月が橋をわたる様子に見えるとして、鎌倉時代の亀山天皇が名付けたともいわれています。洪水のたびに何度も流され、今の橋は昭和9年にできたもので、嵐山の風景がますます引き立つように考えて作られています。

  • 菜の花の咲く嵐山
  • 雪の嵯峨

右京区のじまん

東映太秦映画村での撮影風景


 右京区は映画産業との関わりが深いまちです。日本の映画は京都で始まったといわれます。その中心地の太秦は「日本のハリウッド」とも呼ばれ「日本映画史のふるさと」として知られています。映画のまち・太秦の始まりは、大正15年(1926年)で、阪東妻三郎という、当時、大変有名な俳優が作った、阪妻プロダクションによって、この地に最初の撮影所が建設されました。その後も昭和初期にかけて、次々に新しい撮影所が建設されていきました。松竹や大映、東映などの映画会社が撮影所を開き、太秦は「映画のまち」として発展していきました。人々の心に感動を与えた名作映画の数々が、この太秦で生み出されています。


「歴史都市・京都から学ぶ-ジュニア日本文化検定テキストブック-」から引用 

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