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こども情報館(南区ってこんなまち)

ページ番号96707

2023年8月28日


南区ってこんなまち

南区のようす

 京都市の南西 部にある南区は、京都の大きな川である桂川と鴨川が流れており、水環境の豊かな区です。水辺を中心に多くの野鳥が見られ、うるおいのある景色が広がり、自然環境にめぐまれています。さらに、平安時代以降、これらの川を使って全国から集まる大量の物資を都に運ぶ役割を担うなど、南区は交通の面で重要な場所となりました。今も、京都駅があり、名神高速道路のインターチェンジや京都高速道路に接し、国道1号、24号、171号などの幹線道路がたくさん通る「京都の玄関口」として京都のまちを支えています。

 また、農業に合ったよい土とよい気候にもめぐまれ、昔から、「九条ねぎ」などの野菜の名産地として全国に知られています。 

  • 桂川
  • 九条ねぎ

南区のれきし

らじょうもん模型

 南区の地域は、数万年前の先土器時代から人が住んでいて、縄文時代からは、豊かな水にめぐまれた環境を生かした農業が行われていました。後に平安京が造られるときには、都の建設を支える重要な地域のひとつとなったとも言われています。延暦13年(794年)に平安京が開かれると、都の表玄関に当たる「羅城門」や、当時の京都でただ二つしか許されなかった寺院の「東寺」、「西寺」が置かれるなど、南区の地域は都にとって重要な場所として栄えました。


 明治時代から後は、日本の近代化が進む中で、広い農地が工場や倉庫などとして開発され、今は、京都の経済を支える近代産業のまちとしても栄えています。


 南区が誕生したのは昭和30年(1955年)です。明治の頃、今の南区の区域は、大内村及び七条村の一部、東九条村、吉祥院村、上鳥羽村、久世村に分かれていました。これらのうち、久世村以外の村が昭和6年(1931年)までに下京区となり、昭和30年(1955年)に、南区となりました。さらに昭和34年(1959年)に久世村が南区に加わり、今の南区となりました。

南区のみどころ

  東寺(教王護国寺):平安京が造られた時に、国の寺として西寺とともに造られ、後に弘法大師(空海)によって真言宗の総本山として発展しました。京都の中でも、平安時代から場所や建物の配置が変わっていないただ一つの史跡として大変貴重で、平成6年(1994年)には世界文化遺産にも登録されました。平安京のまちは、今の京都より南西方向にあったことがわかっていますが、これも、東寺を基準に特定されたものです。高さ55メートルの東寺の五重塔は木造の建物として日本一の高さと美しさで、京都のシンボルと言われています。また、毎月21日は、「弘法さん」の市(いち)が開かれ、多くの人でにぎわっています。

 六斎念仏:南区では、「六斎念仏」が始まったところとも言われており、久世、吉祥院、上鳥羽の地域に、それぞれ国の重要無形民俗文化財に指定されている「六斎念仏」が伝わっています。「六斎念仏」は、仏教で不吉な日とされる「六斎」日に、鉦や太鼓を叩き、おどりながら念仏を唱える行事で平安時代に始まったと言われています。後に歌舞伎などの影響を受けて、芸能としての要素も加わり、今の形になりました。

 

  • 東寺
  • きっしょういんろくさい念仏

南区のじまん

くぜ工業団地周辺

南区は、働くひとが4人以上いる製造業(ものを作る仕事)の事業所が600近くもあります。これは、市全体の約21パーセントにあたり、京都市の11の区のなかでは一番多い数です。そこで働く人々は約1万8千人にもなり、やはり京都市の11の区のなかで一番多い人数となっています。こうした事業所の中には、世界の先端をいくハイテク企業や独自の技術を持ったものづくり企業がたくさんあり、京都経済の先頭に立って活躍しています。

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