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『朝鮮通信使ゆかりの地』説明立札を設置しました

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2016年10月13日

朝鮮通信使ゆかりの地を国内外に発信

◆朝鮮通信使について

  「朝鮮通信使」は,江戸時代に朝鮮王朝から友好関係の証として派遣された外交使節団です。朝鮮半島から船で海を渡り,江戸に向かうまでの道程の中で,京都にも滞在し,その足跡を市内各所に残しました。

◆朝鮮通信使ゆかりの地に説明立札を設置しました

 2008年10月,京都市内のゆかりの地に,それぞれの地の朝鮮通信使との関わりを4箇国語(日本語,韓国・朝鮮語,英語,中国語)で説明する立札を設置しました。

立て札設置場所地図

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(1)大徳寺(北区紫野大徳寺町)

 大徳寺は,文禄・慶長の役の前に豊臣秀吉が誘致した朝鮮からの使節団を含めると,合計4度,朝鮮から訪れた使節団に宿を提供しました。国交回復後は,戦で朝鮮から連行され京都近辺に住まうようになった被虜人が宿館に訪れ,帰国を促す通信使の随員達から家郷の消息を聞いて涙したという逸話も残っています。

大徳寺立札

(2)本法寺(上京区小川通寺ノ内上る本法寺前町)

 文禄・慶長の役の終息後,松雲大師(ソウウンデサ)惟政(イジョン)という高僧の一行が,徳川家康新政権の状況調査のため朝鮮から派遣され,ここに宿泊しました。家康との会見を待つ間,京都五山の著名な僧侶たちが訪れ,詩文の交流をしたり,仏教や儒教の知識について筆談問答を重ねました。

本法寺立札

(3)相国寺慈照院(上京区今出川通烏丸東入る相国寺門前町)

 朝鮮との外交のため対馬におかれた役所には,京都五山から僧侶が一名ずつ二年交代で派遣される仕組みとなっており,相国寺慈照院からも通算5人の僧侶が派遣されました。そのうちの一人でもあった9世住職別宗(べっしゅう)祖縁(そえん)が使節団の主立った人びとと取り交わした詩文や絵画資料などの逸品が,当院には数多く残されています。


相国寺立札

(4)本能寺(中京区寺町通御池下る下本能寺前町)

 享保4(1719)年,八代徳川吉宗将軍の即位を祝うため,江戸時代に入って9度目の使節団が入洛した際,本寺に一夜滞在し,夜に将軍の命で盛大な宴会が催されました。使節団一行は本能寺のことを「壮麗なことは比すべきものがない」と述べています。

本能寺立札

(5)本圀寺跡(下京区柿本町)

 寛永13(1636)年以来「朝鮮通信使」の定宿とされ,7回にわたり,一行約400名の宿館として用いられました。通信使の随員の記録によると,当時の本圀寺には相輪をもつ五層の楼門や石や木竹を配した趣のある庭があったといいます。なお,本圀寺は昭和46年(1971)に山科区へ移転しました。

本圀寺跡立札

(6)唐人雁木(とうじんがんぎ)跡(伏見区淀本町)

 「雁木(がんぎ)」とは,大坂から船で淀川を逆上って入洛した朝鮮通信使一行の,上陸地点に設けられた桟橋のこと。通信使一行のための乗り物などが用意され,おびただしい人馬が動員されました。一行は,ここから琵琶湖畔の朝鮮人街道を経て,東海道を一路江戸へ向かいました。当時と今とでは川筋が変わっており,実際の場所は立札設置点より約200メートル北方の納所側の地点とされています。

唐人雁木跡立札

お問い合わせ先

京都市 総合企画局国際化推進室

電話:075-222-3072

ファックス:075-222-3055

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