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門川市長,祗園祭山鉾連合会吉田理事長共同記者会見(2011年6月15日)

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2023年4月12日

「仙台七夕まつり」での祇園祭山鉾の囃子等の披露

【門川市長】
 東日本大震災で甚大な被害を受けられた被災地の皆さんへの支援の一環として,祇園祭山鉾の囃子等を,多くの観光客で毎年賑います伝統行事「仙台七夕まつり」において披露することとなりましたので,財団法人祇園祭山鉾連合会の吉田孝次郎理事長と共に御説明させていただきます。
 これまで,京都市では,被災地に約1,200人の職員を派遣し,復興を支援するとともに,多くの市民のボランティアの方々にも現地で尊いボランティア活動をしていただいております。また,400人近い多くの方々が,京都にお越しになっておられ,地域の方々と御一緒に支援させていただいています。
 震災発生以来,私は,こうした生活に直結した支援,これも大切でございますが,同時に,何とか京都らしい方法で,被災された皆さんの心を癒し,元気になっていただくことができないか考えてまいりました。このことを財団法人祇園祭山鉾連合会の吉田孝次郎理事長に相談致しましたところ,同様の思いを抱かれておられ,「仙台七夕まつりに祇園祭が参加させていただいてはどうか」ということになりました。早速,京都市から仙台市に打診しますとともに,仙台七夕まつり協賛会の会長であり,仙台商工会議所の会頭でもあられる鎌田宏(かまたひろし)さんに,立石義雄京都商工会議所会頭からも話をしていただきましたら,「是非とも」ということになりました。そこで,吉田理事長と協議させていただき,8月6日から8日までの3日間開催される「仙台七夕まつり」に総勢40名ほどが出向きまして,長刀鉾の日和神楽,そして綾傘鉾の傘と駒形提灯を披露することになりました。
 また,今回の披露に併せまして,京都から多くの方々に東北地方へ行っていただいて,被災地を激励し,「仙台七夕まつり」を盛り上げていただきたいと考えております。そこで,旅行会社に新たな商品企画を呼び掛けましたところ,現在企画中の旅行会社もありますが,現時点で,近畿日本ツーリスト,JTB,トップツアーの3社に御賛同いただきまして,新たな旅行商品を企画いただきました。これらを「祇園祭と行く!仙台七夕まつり応援ツアー」として,京都市としても積極的にPRし,仙台をはじめとする東北地方の復興を観光の面から,文化の面から支援していきたいと思っています。
 さらに,昨年から開催致しております「京の七夕」と「仙台七夕まつり」を通じた被災地の七夕交流も深めたいと考えており,仙台の七夕飾りを今年の「京の七夕」の会場に飾りたい。また,京都市では,被災した文化財の修復についても,京都の技術力を活かすべく,文化庁をはじめ関係者と今調整を行っておりますし,七夕交流では,市民ぐるみの取組として,「仙台七夕まつり」の会場で販売致します「京の七夕絵はがき短冊」の売上金全額を被災地の文化財保護に充てることなども検討していきたいと思っております。
 さて,祇園祭でございますが,平安時代の貞観11年(西暦869年)に始まりました。この年は疫病が全国的に流行り,また,「貞観地震」と言われるマグニチュード8.5の大地震が東北地方を襲いました。1142年前であります。まさに千年に1回の大地震であります。当時の朝廷が天災を引き起こす怨霊を鎮めるために行った「御霊会」という儀式が祇園祭の起源だと言われております。この「御霊会」では,現在,二条城の南にございます神泉苑に66本の鉾を立て,平安を祈願しました。この66という数字は,当時の日本の国の数であります。平安京の平安だけではなく,日本全国の平安を祈ったのが祇園祭の始まりであります。祇園祭は,いわば「京都から日本の災いを払拭していこう,京都から日本を元気にしていこう」という,鎮魂と復興への願いが込められて始まった祭であります。無形文化遺産になる所以だなあとも思いますし,先人の偉大さを改めて実感するところであります。
 また,祭で奏でられます,「コンチキチン」の祇園囃子は,中世の戦乱や江戸時代の大火で度々途絶えることがございました祇園祭の復興の象徴でもあり,永年にわたり京都の町衆を元気にしてきたものであります。
 一方,七夕行事でありますが,中国からもたらされた星に対する信仰が日本の祖霊信仰等と結びついたものとされており,特に東北地方では,御先祖さんや亡くなった方々の魂を祭るという意識が強いと言われております。今年の「仙台七夕まつり」は,「復興と鎮魂」をテーマに,東北地方が元気を取り戻すことを願い開催されます。
 1142年前に,日本の国すべての平安を祈願して始まった祇園祭が,東日本大震災からの復興と犠牲者の鎮魂の願いのもとに行われる「仙台七夕まつり」に合流しますことは,京都ならではの,歴史的な重みのある取組であります。また,祇園祭を先人から受け継ぎ今日に伝える京都の人々が,仙台,東北を訪れ,共に復興と鎮魂を祈ることは,心の通った尊い支援であろうかと思います。
 私は明日(6月16日)の夜出発しまして,17日に被災地を訪問し,被災された方々を激励すると同時に,今現在も仙台やその周辺都市で様々な支援活動をしている40人近い職員を激励致します。そして,仙台市の奥山市長,庄子仙台七夕まつり協賛会実行委員長とお会いして,この祇園祭山鉾連合会の取組等を御説明すると同時に,二条城のライトアップの収益金の中から500万円と,先だって,時代祭の平安講社から七夕まつりの支援金としてお預かりした556万円余りを合わせた1000万円余りをお届けして,資金面からも支援していきたいと思っております。

【吉田理事長】
 今,貞観11年に,今年の3月11日と同じような規模の地震があったという話がありましたが,偶然の一致とはいえ,私はその事実を知って,ますます祇園祭というものの深い意味を絶えず思い返しながら,これから先のお祭に取り組んでいかなければならないと思いを新たにしています。「京都祇園祭の山鉾行事」が無形文化遺産に登録されたことは非常に結構ですけれども,それを50年,100年先に伝えていくという責務を持っていると思います。
 そのときの地震の様子が,三代実録という日本の正史の中で次のように書かれています。「(貞観11年)5月26日,陸奥の国,地大いに震動す。流光昼のごとく隠映す。しばらく人民は叫び,伏して起きることあたわず。あるいは家屋が倒れて圧死し,あるいは地が裂けて埋もれる。崩れ落ちるものは数知れず,海は唸り,その音は雷に似る。海水は浜辺から数十百里の内陸にまで至りその端は知れない。原野も道もすべて海となり,舟に乗る遑(いとま)もない。山に登ることも及び難く,溺死者千人ばかり。資産,稲の苗ほとんど一つとして残るものなし。」というものです。こういうことと,我々の年々行います祇園祭の元の姿「祇園御霊会」というものが軌を一にして始まっている因縁を思いながら,仙台の七夕まつりに参加したいと思います。日和神楽は毎年7月16日の宵山の夜10時過ぎから11時にかけて,囃子のあります12の鉾や曳山が屋台を組んで,それに町内の印の提灯をかけ,太鼓方2名,囃子方,鉦方が8名ほど,笛が十数名を1チームとして,各町内を出発しまして,四条の寺町東にあります八坂神社のお旅所に詣でます。これは17日巡行当日の天気に恵まれますようにという願いを込めて行くわけですが,お旅所の前では神楽唐子という祇園囃子の中でも最も清らかな曲を演奏します。それを聞いていただきますと,まさに祇園囃子は鎮魂の曲だと皆さんも分かっていただけると思います。
 近年の祇園祭というのは,京都市の都市機能を超えた群衆の出がありまして,動く美術館と言われるような神様の目に美しいものを届けて鎮まってもらおうという思考や清らかな祇園囃子が雑踏の中にややうずもれているのではないかという心配をしている一人でもあります。祭に群衆が集まるのは結構なことですけれども,本当にしみじみとしたこの祈りの気持ちというものがどこまであの群集に届いているのかということが訝らざるを得ないこともあります。ごみは散乱しますし,ごみ対策だけでも数百万の金をかけて清掃しなければならないというのは群集が集まりすぎていることの一つの証であり,祭の楽しみが露天での買い食いにほとんど取られているのではないかという心配すらします。そういうところにあって,1142年前の東北の状況,今年の3月11日以後の状況なんかを重ねて,我々はなぜ,祭をするのかということ,祇園祭は何のために祭をしているのかということを人様に知ってもらうだけではなく,祭を執行している自分たちが思いを新たにしていかなければならないと思っています。そういう意味で,今回の,七夕まつりに長刀鉾の日和神楽,綾傘鉾の宵山の状況を示す駒方提灯を披露するとともに,巡行パンフレットを千部ほど集まられた人々に配布することによって,美しいものを神の目に届け,美しい音楽を神の耳に届け,神の魂に鎮まってもらおうという趣旨や32基の鉾の状況も知ってもらえるだろうと思います。最初市長は「鉾でも持っていければなあ。」とおっしゃったんですが,一基持って行くのに100人がかりでかからなきゃならんようなものを持っていけば,かえってこれは,現地の方に迷惑を掛けるだろうということを私は心配しましたので,即座にそれは消えて,もう少し運びやすく,かつ鎮魂の曲を奏でる装置を持っていくことで喜んでもらえると思っています。

【門川市長】
 なお,まだ,現地と調整中ですけれども,できれば,福島市でも祇園囃子等を御披露させていただきたいと思っています。

【吉田理事長】
 祇園祭山鉾連合会としては,現地の皆様に御迷惑を掛けてはいけないので,これから一月ほどかけて慎重に検討したい。また,文化庁からの情報によると,今度の地震で東北地方の祭を執行する道具類がずいぶん被害を受けているようです。そういう東北四県の祭具の補充,補修等に使っていただけたらいいなという気持ちで義援金を集めたい。額については,集めてみないと分からないですが,今回の日和神楽等の披露にかかる費用に匹敵するぐらいのことは最低目標にして動きたいなと思っています。

質疑応答(要旨)

<報告案件に関する質疑>

(スケジュールについて)
記者
 派遣する3日間の具体的なスケジュールは。
市長 これから現地と調整します。

(仙台七夕まつり応援ツアーについて)
記者
 応援ツアーには何人程の参加を見込んでいるのか。
市長 人数はわかりませんが,多くの方に御参加いただきたいと思います。震災以降,東北地方を訪れる観光客は非常に少なく,旅館等もガラガラだと伺っています。現地に行ってお祭に参加することは,東北の皆さんを励ますと同時に経済活性化の一助になります。この趣旨を沢山の方に御理解いただければと思います。
記者 応援ツアーの対象は京都市民に限られるのか。
市長 限りません。

(事業実施の経緯について)
記者
 今回の披露に至った経緯は。市長が理事長に打診したのか。
市長 私も山鉾連合会も同じことを思っていました。
 祇園祭は,当時の国の数と同じ66本の鉾を立て,疫病や自然災害を鎮め,日本全国の平安を祈るところから始まっています。貞観地震の発生が貞観11年(869年)5月26日,御霊会が行われたのが6月7日です。御霊会の時までに,貞観地震の情報が都に伝わっていたかどうかを古文書で確認することはできませんが,当時の平安京は高度情報社会であり,比較的早く全国の情報が集まっていたと思われます。学者の多くも,貞観地震の情報は御霊会の時までに都に伝わっていたとおっしゃっています。1,100年前に東北地方を襲った大地震と祇園祭の起源との因縁を考えると,今祇園祭が仙台に行くのは大きな意味があるという意見を多くの方々から伺っています。
理事長 京都は現在も147万人が住む大都市ですが,1,100年前は日本一の大都会でした。今我々が思っているよりもはるかに京都の都市格は高かったのです。そこに大事な情報が届くシステムは当然あっただろうと思います。
 細かな話になりますが,実は「祇園御霊会」と言い出したのは,869年よりも約100年程後のことです。貞観地震の時には,まだ祇園さんはありませんでした。その約100年間のことについて,私は歴史学者ではないので細かくは分かりませんが,869年6月7日に神幸祭をしていたということは言い切らない方がいいかも知れません。
市長 当時の京都は,世界5番目の大都市で,人口は15万人から20万人であったと推計されています。
理事長 1,100年前に1,000人以上の人が溺死したということがきっちりと歴史書に書かれているというのは随分重みのあることだと思います。私も,長い間,平安京に住む人たちの安穏を祈るのになぜ66本の鉾が神泉苑に持ち込まれたのかが理解できなかったのですが,今回,全国の国数に準じた66本の鉾を持っていった理由がよく理解できました。
記者 綾傘鉾が選ばれた理由は。
理事長 実は,綾傘鉾の棒振囃子も派遣したかったんです。棒振囃子は,踊りが伴う特殊な形態で,アピールできると思ったのですが,我々が仙台に行く日は福知山市のお祭に出演する先約がありました。2,3日前まで調整していたのですが,残念ながら実現できませんでした。
記者 綾傘鉾が持っていきやすいということもあるのか。
理事長 駒形提灯は規模が大きく,運ぶのに非常に困難を伴います。綾傘鉾のものも規模は大きいですが,比較的運びやすいだろうということで決定しました。

(義援金等の支援について)
記者
 義援金はどのように集め,寄付するのか。
理事長 文化庁に問い合わせたところ,公益財団法人文化財保護・芸術研究助成財団というところに被災地の文化財保護に関する窓口があることが分かりました。この窓口を利用すれば,義援金を東北地方周辺で行われる祭の道具の補修に回しやすいのです。日赤等を通じると,もっと大きな枠組で被災された方全体が対象となります。その方が意味は大きいのかもわかりませんが,我々のささやかな義援金を効果的に使っていただくには,使途を限った方が良いのではないかと考え,今回はこの窓口を通じて応援させていただくことにしました。各町内の皆さんもその方が良いという反応でした。
 皆様も御存知のとおり,四条通や室町通の中心部にある鉾と端の方にある静かな山とでは状況が異なりますので,一律いくらということは考えていません。それぞれの町内の事情に応じて募りたいと思います。
記者 祭具を補修するというのは,同様に祭を執行する立場としてどういう気持ちか。
理事長 祇園祭でも,「新しい物を作った」「修復した」と毎年新聞等で報道されますが,2,000万円の物を作れば,町内の持ち出しが500万円ある訳ですから,実際はそんなに容易いことではありません。ましてや,東北の素朴な祭を考えると,執行するだけでも大変なことだと思います。そんな中,今回,人的・物的な損害を受けられ,さぞや難渋しておられるだろうと我が事のように感じます。

(派遣費用について)
記者
 派遣費用はいくらで誰が負担するのか。
理事長 文化庁からは,美術運送を使うように言われています。それだけでも大変な費用がかかるだろうと予測されます。
市長 概ね1,000万円位の費用がかかると考えています。
 仙台と京都の七夕の交流事業や二条城ライトアップの収益金等を充て,京都市として責任を持っていきたいと思います。

(今後の予定について)
記者
 来年以降はどう考えているか。
市長 七夕まつりの交流は続けていきたいと考えています。それがどういう形に発展していくかは,今年の状況を十分に踏まえ,幅広い方々の御意見を伺いながら考えていきたいと思います。
記者 福島市にも派遣予定とのことだが,他にもどこかに派遣することは考えているのか。
市長 今のところありません。
 福島市についても,受け入れ態勢が整うかどうか現在調整しています。

(京都市外への派遣について)
記者
 祇園祭が他の祭に出るのは珍しいことなのか。
理事長 まずありません。ましてや,東北まで出掛けるのは初めてのことでしょう。
記者 先程福知山市に行くと言われたのは。
理事長 京都府内のことですから。他にも,京阪電車の駅の構内で囃子を披露することなどもあります。
記者 祇園祭が京都府外に出て行くのは初めてか。
理事長 公の姿で出て行くのは初めてだと思います。個々の囃子保存会が何か友情の証に出演するということなどはあると思いますが,今回のように山鉾連合会が主となり,派遣内容等も決定して動くというのは初めてです。

<その他の質疑>

(節電対策について)
記者
 京都市の節電対策について教えていただきたい。
市長 大規模停電を起こさない,計画停電にならない,ということが今一番求められていると思います。従って,この度の15%節電要請については,京都市民,経済界,京都市を挙げて全力で取り組み,15%という目標を達成したいと思います。
 なお,市民の理解をより深めて,積極的な協力をしていただけるよう,関西電力には説明責任をしっかりと果たしていただきたい。このため,電力の供給状況と需給状況をリアルタイムにインターネットで分かるようにしていただくよう既に申し入れをしており,実施の方向で検討されています。これからも電力会社ときっちりと話をしていきたいと思っています。また,そのためにも京都市役所が率先して実行していきたいと考えております。
 東日本大震災に伴う節電ということでありますけれども,そもそも京都市は京都議定書誕生の地であり,また環境モデル都市であるということで,全国を牽引する低炭素社会,温暖化防止対策を進めてきました。そして,これまでから,ライフスタイルの転換など様々な取組を行ってきました。そうした取組とも重ねまして,対症療法的な緊急の取組も大事ですけれども,環境問題への取組がより深く広く広がっていく契機にもしていきたいと思っています。
 既に,関西電力からの要請までに,7月1日号の「市民しんぶん」で大きく節電を呼びかける記事を掲載することを決定したり,節電の取組を紹介するチラシ「夏のエコライフ3ステップ」を作っていました。これに「15%」という文字を急遽入れました。幅広く市民の方々に要請していきたいと思っております。

(節電の数値目標について)
記者
 関電の15%節電の要請は受け入れないという京都府の対応と京都市の対応とが異なることについて,市長のお考えは。
市長 私どもは,今回の関西電力の要請について,唐突感がある,あるいは十分な説明責任が果たされていなかったと思っています。
 しかし,東日本大震災で私たちが一番学ぶべきことは,常に想定外の事故が起こりうる。このことを踏まえ,ぎりぎりのところで勝負するのではなく,一定の余裕が必要だということであると思います。
 従って,電力会社から15%の節電が必要だと言われた時に,説明責任,情報開示をしっかりしていただくことを前提に,我々も努力していくべきだと思います。
 確かに,市立病院あるいは保育所等,法律においても対象にならない所への配慮は必要でしょう。しかし,例えば対象外となる上下水道事業においても,15%まではいかなくても,下水道事業で10%,上水事業で5%削減できないかと考えています。これまでから,節電に節電を重ねてきましたので,非常に厳しい状況ではありますが,我々がより一層の努力をしましょうということです。
 あるいは,クリーンセンターにおいても,これまで節電を徹底してやってきました。ごみの減少に伴い,当然ですが,発電量が減ってきています。ごみの焼却場は24時間燃えていますので,これが一旦消えると,また燃やすために物凄いエネルギーが必要ですので,燃やし続けて発電しています。年間1億7千キロワットの電力を4つの焼却場で発電しています。そこで,6月に燃やすごみを出来るだけ貯めて,7月,8月にもっていき,しかも昼間に集中して燃やし,夜は最低限にしておこうとしています。そうしたことにより,結果として15%削減の効果が出せると考えています。
 現在,それぞれの事業所,職場において,一生懸命検討してもらっています。そうしたあらゆる努力をしていきたいと思っています。

(具体的な節電対策について)
記者
 現在検討されている具体的な節電対策とは。
市長 例えば,庁舎について原則4分の1を終日消灯する。あるいは,昼休みはコンピューターや事務機器の電源を抜く。昼間はバッテリーをできるだけ使う。あるいはエレベーターの台数制限はもとより,自動ドアは出来るだけ使わないようにするなど,京都市の関連施設においてありとあらゆることをやっていかなければならないと思っています。「真のワーク・ライフ・バランス」ということも掲げていますので,午後6時半になったら定時退庁日は原則消灯するといった取組など,相互に関連させながら実施していこうと思っています。
 私鉄で間引き運転が言われていますが,地下鉄の場合,電車を走らせるための電力は全体の3分の1です。3分の2は駅施設等の照明や空調です。午後1時から午後4時までの一番電力需要の多い時間帯に照明を落としたり,クーラーを2時間ずつ順番に止めたりすることによって15%節電を達成したい。
 電車の間引き運転については,電車の運行を一本止めても0.9%削減されるだけで,市民の皆様に非常に御迷惑をかける割には,電力の消費量が少ないわけです。従って,間引き運転よりも照明とか空調で徹底した節電をして,電力需要の15%節電を実現したいと思っています。

(節電の呼びかけについて)
記者
 どのように市民へ呼びかけをされるのか。
市長 これまでから,環境問題を含めて様々なお願いをしてきています。エアコンの28度設定により5%カット,冷蔵庫の設定温度を「強」から「中」にすることにより1.9%カットが出来ます。冬まで便座の保温・温水を切っていただくことで0.4%カットになります。あるいはテレビ画面の明るさを低く設定する。こうした一つひとつのことをお願いしていきたいと思っています。
 お配りするチラシには,その他にも炊飯器の保温をやめることによって2%カットできる,冷蔵庫を詰めすぎないようにすることによって0.1%カットできるといったことを具体的に書きまして,各家庭で15%節電を実現していただくように要請していきたいと思っています。
 また,緑のカーテン,あるいはすだれ,よしず等,京都の伝統的な暮らしの美学,生き方の哲学みたいなものを今一度見直してみようといったこともお願いしていきたいと思っています。

(節電の対象外となる施設について)
記者
 節電の対象外となる市の施設とは。
市長 関西電力は一律的に15%節電とおっしゃった。東電管内でも医療機関,福祉施設等は除外になっていますので,そうしたところは基本的には除外されるべきです。最大限の努力はする。しかし,15%という数字を機械的に適用しないように,我々も配慮しなければならないと思っています。
 対象外となる具体的な施設は,病院と保育所のような施設になるでしょうが,まだ細かく点検していません。

(節電の数値目標について)
記者
 15%節電の積み上げは計算されているのか。
市長 概ねの計算をしていますけれども,厳密な計算ではございません。例えば,水道事業単独で15%節電は無理です。水が供給出来ません。電気事業法でも水道事業は一律カットの対象になっていません。それらは,関電ももう少し柔軟に対応しますということをおっしゃり始めています。市民生活の安心・安全を確保する。これもまた最も大事な命題であります。同時に,15%といえども,それ以上努力できるところは努力していきたいと思います。
記者 15%節電を達成出来そうか。
市長 いわゆる事務系部門,本庁舎や区役所等では確実に実行します。それから,クリーンセンターも発電を集中することによって実現します。不退転の決意でやっていきたいと思っています。
記者 15%節電ができない所もあるが,市総体として15%達成を目指すという意味か。
市長 そういうことです。

(関電に対する要望について)
記者
 関電にされた要求とはどのような内容か。
市長 まずは,例えば火力発電所の整備を急いでいただいて,可能な限りの電力量を全力で確保していただく。これが第一点であります。同時に,情報を徹底的に開示していただき,それに基づいて説明責任を果たしていただく。特に東電でも始めておられる需要と供給の状況をリアルタイムで明らかにしていただくといったことを,関電においてもやっていただく。こういうことを要請しております。それに対して,確約はされていませんけれども,前向きな意向を示しておられます。
記者 要請したのはいつか。
市長 本日です。
記者 説明責任というのは15%の根拠をもっと示せということか。
市長 それもあります。
記者 15%の根拠というのは,今のところ何と聞いているのか。
市長 原子力発電所が止まったままであり,火力発電所も故障しています。そして昨年8月のピーク時にプラス一定の増加ということも見込まれます。一定の余裕というものが必要です。同時に15%節電を要請しても強制力がありませんので,15%すべてができるということでもない。その部分の余裕も必要である。こういうことがおおむねではないでしょうか。
記者 なぜ5%とか10%じゃなくて15%かという数字については,関西電力から説明はされていないのか。
市長 そこは,よりきっちり説明をしていただきたいということを申し入れています。

(節電成果の検証について)
記者
 京都市として,今後,本庁舎や区役所での節電について,何らかの形で見えるように検証するのか。
市長 検証していきます。今年は新しい温暖化防止条例のスタートの年であります。今年の取組として,それぞれの事業所なり,オフィスごとに,どれだけ電気を使っているかの計測をモデル実施していくことを計画しております。計測器等が個別の事業所にあり,これは後で電気の使用量が分かりますから,それをきちっと検証すれば,環境モデル都市としての取組のひとつのリーディングケースになるのではないかなと思います。

(地下鉄における節電について)
記者
 地下鉄の間引き運転をしなくても15%の節電は達成できるということか。
市長 間引き運転はしません。間引き運転よりも,空調,冷房を午後1時から午後4時のピーク時の時間帯で落とす方が,節電の効果が大きいです。
記者 地下鉄の節電で空調を落とすというのは,ホームだけではなく車内の空調も落とすのか。
市長 車内の空調は落とさず,駅施設の空調を落とします。

(節電の数値目標について)
記者
 関西広域連合は10%,京都府は10%,京都市は15%と言っているが,市民はどちらを守ったらよいのか。
市長 より厳しい道を選択せざるを得ないと思っています。そのために私たちも丁寧に説明しますし,関西電力においても全力で説明していただきたい。
記者 京都府が10%と言っているのはおかしいという認識か。
市長 日本政府がCO2削減6%という時に,京都市はいち早く条例で10%削減するということを1997年に決め,2年前に11.6%の削減を実現しました。その時,京都府は10%削減とは言っておられなかったが,京都市は独自にやっていたわけです。ですから,何もかも数字を合わせて,同時に出発しなくても,そのことは意見の対立でも何でもないと思います。環境モデル都市として,あるいは自然と共生してきた日本人の暮らしの美学とか,生き方の哲学というものが,京都市民には脈々と流れている。これを今こそ活かしましょうと言っているわけです。
記者 市役所としては15%削減するという見込みはあるのか。
市長 全庁で15%削減を目標に努力していきます。強い決意です。
記者 京都府が10%だと言っていることに対してどのように見ているか。
市長 京都府が10%と言っていることを承知したうえで,それよりも高い目標を掲げて努力するということは,私は何らおかしくないと思います。経済4団体も率先してやっていこうと言っておられます。できれば楽な方の水準に合わせたいという気持ちもないと言えば嘘になりますが,大停電は絶対に起こさない,大停電が1回起こったら観光都市・京都として,また安心・安全のまち・京都としての信用が絶対に無くなってしまいますから,これは何としても避けねばならないと思っています。同時に,この夏,市民ぐるみで取り組むことが,環境と共生していく,化石燃料に頼らない生き方をしていくということに繋がると思います。先ほど申しましたように,エアコンを28℃設定にしたら使用電力が5%減る,冷蔵庫は強から中にしたら1.9%減る,夏は便座の暖房を入れる必要はない,トイレの温水を切ったらいい,あるいはテレビ画面の明るさは低く設定したとしてもテレビを見るのに何ら不自由もない,電源をこまめに切る,冷蔵庫の内側に暖簾を付ける,一つ一つそういうことを積み上げていったらできます。そういうことをみんなでやりませんかということです。
記者 節電を呼びかける際,京都府と京都市で言っている数字が違うと市民が混乱すると思うが,どう考えているか。
市長 一致する方がいいか悪いかで言えば,一致する方がいいと思います。ただ,京都市が,国よりも府よりもより高い目標を掲げて努力してきた歴史もあります。実績を上げてきたこともあるわけです。京都市民の意識は高いと思います。市役所もそのために全力を挙げます。

(原発の再稼動について)
記者
 福井県の原発の運転再開について,京都府の山田知事と関西電力の意見が違っているが,どのように思うか。
市長 やはりこれは国が現時点でのより適切な安全基準を示して,電力会社に厳守させるべきだと思います。同時に,県民,国民に不安感を与えない,そういう取組をしてもらうことが一番だと思います。
記者 原発の運転再開の是非は,その後に考えるべきということか。
市長 将来的に原子力エネルギーに過度に頼らない社会というのは必要だと思いますが,当面の間,安全を確保したうえで,原子力エネルギーに頼らざるを得ないのが日本の現状ですから,それらについて国の責任ある行動を求めていきたいと思います。同時に電力会社も国としっかりと協議をされて,安全対策を取られ,それを京都府知事にも住民にも示していくべきだと思います。

記者会見資料(平成23年6月15日)

「仙台七夕まつり」での祗園祭山鉾の囃子等の披露について

文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課 電話761-7799

産業観光局観光部観光振興課 電話222-4133

 この度,京都市では,財団法人祗園祭山鉾連合会(吉田孝次郎理事長)との連携の下,東日本大震災で甚大な被害を受けられた東北地方の皆様への支援の一環として,ユネスコの無形文化遺産に登録されている京都祗園祭山鉾の囃子等を「仙台七夕まつり」で披露します。
 また,今回の祗園囃子等の披露に合わせ,京都から多くの方に現地を訪問していただき,「仙台七夕まつり」の盛り上げと東北地方の復興支援に繋げるため,特別に企画された旅行商品を「祗園祭と行く!仙台七夕まつり応援ツアー」として積極的にPRします。

1 趣旨
 祗園祭は,平安時代の貞観(じょうがん)11年(869年)に始まった。この年は,疫病が全国的に流行し,「貞観地震」と言われるマグニチュード8.5の大地震が東北地方を襲ったと伝えられている。当時の朝廷は,これらの災いを引き起こす怨霊を鎮めるため「御霊会(ごりょうえ)」という儀式を行い,当時の国の数である66本の鉾を神泉苑に立て,日本全国の平安が祈願された。これが祗園祭の起源だと言われる。また,祭で奏でられる祗園囃子は,中世の戦乱や江戸時代の大火で度々途絶えることのあった祗園祭の復興の象徴であり,京都の人々に元気を与えてきた。
 一方で,七夕行事は,中国からもたらされた星に対する信仰が日本の祖霊信仰等と結びついたものとされ,特に東北地方では,祖先や亡くなった方の霊を祭るという意識が強いと言われる。今年の「仙台七夕まつり」は,「復興と鎮魂」をテーマに,東北地方が元気を取り戻すことを願い開催される。
 約1,100年前に国の平安を祈願するために始まった祗園祭が,東日本大震災からの復興と犠牲者の鎮魂の祈りのもと行われる「仙台七夕まつり」に参加することを通じて,京都から被災地へ元気と癒しを届けるとともに,復興の機運を高める。

2  内容
 平成23年8月6日(土曜日)から8日(月曜日)までの3日間,仙台市で開催される「仙台七夕まつり」に,関係者総勢40名程が参加し,以下のとおり祗園囃子等を披露する。(詳細については今後調整)
【派遣内容】
○長刀鉾:日和神楽(ひよりかぐら)(お囃子)
(山鉾巡行の前日夜,巡行の好天を祈願するため,宵山で賑わう町を祗園囃子の一行が練り歩くもの。)
○綾傘鉾:傘,駒形提灯
※ この他,山鉾連合会において,祗園祭のパンフレット,手ぬぐい等を持参し,現地で配布する予定。
※ 祗園囃子の福島市での披露についても検討中。

3 「祗園祭と行く!仙台七夕まつり応援ツアー」
 今回の祗園囃子等の披露に合わせ,京都から多くの方に,仙台市をはじめとする東北地方を旅行していただき,「仙台七夕まつり」を盛り上げたいとの趣旨で,旅行会社に新たな商品企画を呼び掛けたところ,現在企画中の旅行会社もあるが,現時点で近畿日本ツーリスト,JTB,トップツアーの3社に,「仙台七夕まつり」へのツアーを企画していただいた。
 京都市としても,これらの企画を「祗園祭と行く!仙台七夕まつり応援ツアー」として積極的にPRし,仙台をはじめとする東北地方の復興を観光の面からも支援していく。

【参考】

お囃子の画像

お囃子

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日和神楽

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(参考)貞観地震と祗園御霊会について

【貞観地震】(推定マグニチュード8.5)
 平安時代に編纂された我国の正史である「六国史」の一つである『日本三代実録』の貞観11(869)年5月26日の条(くだり)に「陸奥国地大震動」の記事がみえる。
 陸奥(むつ)国は一般には現在の青森県及び一部の岩手県をさすが,平安時代の陸奥国は,現在の青森県,岩手県,宮城県,福島県を指しており,平成23年3月11日に発生した「東日本大震災」の被災地と合致する。

 記事の概略は以下のようである。
 「(貞観11年)5月26日,陸奥の国,地大いに震動す。流光昼のごとく隠映(互いの影を映す)す。しばらく人民は叫び,伏して起きることあたわず。あるいは家屋が倒れて圧死し,あるいは地が裂けて埋もれる。崩れ落ちるものは数知れず,海は唸り,その音は雷に似る。海水は浜辺から数十百里の内陸にまで至りその端は知れない。原野も道もすべて海となり,舟に乗る遑(いとま)もない。山に登ることも及び難く,溺死者千人ばかり。資産,稲の苗ほとんど一つとして残るものなし。」

【貞観地震前後の災害】
867(貞観9)年
  1月20日 豊後国鶴見山が噴火し,沙泥が数里四方に積もる。

867(貞観9)年
  1月27日 地震あり。2月1日にも地震あり。
  5月11日 夜,阿蘇山で奇光が見られ,翌日朝震動する。
  5月13日 地震あり。
  7月25日 地震あり。
  8月14日 地震あり。
  9月6日  地震あり。
 10月15日 地震あり。

868(貞観10)年
  4月13日 地震あり。
  5月19日 地震あり。
  7月8日  播磨で地震。諸郡官舎・諸寺堂塔悉く倒壊。この月,度々地震。
  8月10日 地震。この月度々地震。
  9月7日  地震あり。
 11月27日 地震あり。
 12月1日  地震あり。
 12月10日 地震あり。
   12月16日 地震あり。

869(貞観11)年
  5月26日 陸奥で未曾有の大地震。(貞観地震)大津波が押し寄せ1000余人が死亡。
  9月7日  紀春枝を検陸奥国地震使に任命し,判官と主典をそれぞれ一名ずつ随伴させて被災地へ派遣する。
 10月13日 詔(勅命)を発し,死者を埋葬させ,被害の大きい者は租調を免じ,あまねく賑救を行う。
 12月14日 「肥後国の地震風水」及び「陸奥国の常に異なる地震」の災害異変に対し,天皇伊勢神宮に奉幣す。

870(貞観12)年
  7月29日 山城綴喜郡山本郷で山が裂け,小山が出来る。
        この年,肥後で地震,風水害。舎宅悉く倒壊。

 以上のように,貞観地震の前後,国内では相次ぐ震災,噴火,飢饉などが全国で発生していることがわかる。

*資料は『日本三代実録』他

【祗園御霊会】
 怨霊のことを御霊といい,これを退散させる祭りを御霊会(ごりょうえ)と称して,貞観5年(863)に崇道天皇(早良親王)らの御霊を祭ったことが「日本三代実録」にみえるが,祗園社の名ではっきり記されているのは『祗園社本縁録(ぎおんしゃほんえんろく)』で,貞観11年(869)6月7日のことである。悪疫を鎮めるために,勅命(勅祭)により,ト部日良麿(うらべのひらまろ)が日本全国六十六ケ国の数に応じた66本の鉾を神泉苑に立てて牛頭天王をまつり,祗園社から御輿を送って災厄除去を祈ったと伝えられ,これが祗園御霊会(ぎおんごりょうえ)の始まりだったといわれている。
 この「祗園社本縁録」は林屋辰三郎氏をはじめ,いずれの先学もこの記事を肯定している。したがって,これを祗園会の起源としている。

【貞観地震と祗園御霊会】
  ⇒ 現在知られている古文書だけでは,祗園御霊会の始まりが貞観地震にあったか否かは,確定することは難しいが,少なくとも地震発生から祗園御霊会が初めて行われる間までに朝廷に地震の情報が入っていた可能性はある。
 また,同年9月には役人を現地に派遣し,12月には,この災害異変に対し,伊勢神宮に奉幣していることからみても,この貞観11年に起こった未曾有の災害が契機に,勅祭としての祗園御霊会のみならず,全国に御霊信仰が広がっていったであろうことは容易に考えられる。

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