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これまでの殿堂入り者

ページ番号279189

2023年3月29日

これまでの殿堂入り者

これまでの殿堂入り者


平成22年度 
吉田 義男氏(野球)

昭和8(1933)年7月26日生
山城高校から立命館大学を経て、昭和28年阪神タイガース(当時・大阪タイガース)入団。遊撃手として17年間不動のレギュラーとしてプレーし、ベストナイン9度、盗塁王に2度、打撃ベストテン入り7度を果たすなど、走攻守の三拍子揃った名選手として一時代を画した。現役時代の背番号「23」は阪神タイガースの永久欠番。
引退後、監督として3期にわたり、阪神タイガースを率い昭和60年には日本一に輝く。平成4年に日本野球殿堂入り。
また、平成元年から平成7年まで野球フランス代表の監督を務めるなど野球の普及に努める。


平成22年度 
衣笠 祥雄氏(野球)

昭和22(1947)年1月18日生
京都市立洛東中学校で野球を始め、平安高校(現・龍谷大学付属平安高校)の強肩捕手4番打者で春夏の甲子園大会で活躍。昭和40年、広島東洋カープ(当時・広島カープ)入団、強打のチームリーダーとして球団初を含む5度のリーグ優勝と3度の日本シリーズ優勝に貢献した。
昭和45年10月19日から連続出場を続け、昭和62年にはメジャーリーグ記録を破り、2215試合連続出場記録(当時)を樹立した。この年、国民栄誉賞、京都市市民栄誉賞を受賞した。平成8年日本野球殿堂入り。その不断の努力と不屈の精神から「鉄人」の愛称で親しまれる。現役時代の背番号「3」は広島東洋カープの永久欠番。


平成22年度
朝原 宣治氏(陸上)

昭和47(1972)年6月21日生
同志社大学出身、陸上100m競技において、日本記録を3回更新、世界選手権国際大会でも5回準決勝に進出するなど日本陸上短距離界のパイオニアである。オリンピックに4回連続出場し、2008年北京オリンピックにおいてリレー競技で銅メダルを獲得した。
京都市在住で、現役時代から練習している西京極総合運動公園などでスポーツ教室の実施にも精力的に取り組んでいる。


平成23年度
水野 彌一氏(アメリカンフットボール)

昭和15(1940)年6月13日生
京都市立光徳小学校、松原中学校、西京高校、京都大学大学院出身。
京都大学アメリカンフットボール部選手、コーチを経て監督に就任。関西学生リーグ優勝9回をはじめ、甲子園ボウル(大学選手権)優勝6回、ライスボウル(日本選手権)優勝4回に導く。同部の黄金期を築くとともに、我が国におけるアメリカンフットボール競技の認知度を飛躍的に向上させ、その普及に貢献した。
また、京都市教育委員、教育委員長を歴任するなど、青少年の健全育成、スポーツ振興に寄与するとともに、国内屈指の指導者として、スポーツ界のみならず幅広い分野で助言、指導を行っている。


平成23年度
釜本 邦茂氏(サッカー)

昭和19(1944)年4月15日生
京都市立太秦小学校、蜂ヶ岡中学校、府立山城高校出身。
昭和38年早稲田大学サッカー部で天皇杯優勝を果たし、同年、日本代表に選出され、東京オリンピック出場。その後、ヤンマーディーゼルサッカー部(現:セレッソ大阪)に所属し、日本リーグ優勝・天皇杯優勝など多くのタイトルを獲得。昭和43年に出場したメキシコオリンピックでは7得点2アシストの全得点に絡む活躍で大会得点王に輝くとともに、日本代表を銅メダルに導いた。
引退後は、プロサッカーチーム監督、参議院議員、日本サッカー協会副会長等を歴任。また、少年サッカーの指導等を通じ後進の育成に励んでいる。
日本代表国際Aマッチ最多得点記録(男子)保持者。平成17年、第1回日本サッカー殿堂入り。


平成24年度
山口 良治氏(ラグビー)

昭和18(1943)年2月15日生
ラグビーフットボール日本代表として、数々の国際大会に出場し、名フランカー・名キッカーとして活躍。その後、指導者として、当時無名であった京都市立伏見工業高校ラグビー部を、全国大会優勝4回を誇る強豪チームに育て上げる。
 その活躍は、映画・ドラマ「スクールウォーズ」のモデルとなった。教え子に大八木淳史氏、平尾誠二氏ら元ラグビー日本代表多数。


平成24年度
奥野 史子氏(シンクロナイズドスイミング)

昭和47(1972)年4月14日生
京都市立龍池小学校、城巽中学校、同志社大学大学院出身。
4歳のときに京都踏水会で水泳を始め、小学校1年からシンクロを始める。日本を代表するシンクロ選手として活躍し、1992年バルセロナオリンピックソロ・デュエットで銅メダル、1994年世界選手権ソロ・デュエットで銀メダル、団体で銅メダルに輝く。
現役引退後は、スポーツコメンテーター等として多方面で活躍。


平成25年度
藤田 信之氏(陸上)

昭和15(1940)年10月4日生
京都府立洛北高校出身。
ワコール女子陸上競技部監督として、全日本実業団対抗女子駅伝4連覇を含む5回の優勝を達成するとともに、京都府代表監督として、全国都道府県対抗女子駅伝4連覇を達成。また、女子陸上の中・長距離16種目(400mからフルマラソンまで)で日本記録を樹立させ、真木和選手をバルセロナオリンピック、アトランタオリンピック出場に、野口みずき選手をアテネオリンピック金メダリストに導く。
その後、藤田ランニングアカデミーを設立、フジスポーツプランニング代表、日本実業団陸上競技連合顧問、京都府スポーツ推進審議会委員等、幅広い活躍で陸上競技のみならずスポーツ全般の振興・発展に貢献する。


平成25年度
坂田 好弘氏(ラグビー)

昭和17(1942)年9月26日生
京都府立洛北高校、同志社大学出身。
府立洛北高校でラグビーを始める。1968年日本代表としてニュージーランド遠征メンバーに参加し、オールブラックス・ジュニアを相手に4トライを挙げて歴史的勝利に貢献。「FLYING WING SAKATA」として、世界にその名をとどろかせる。その後、ニュージーランドのカンタベリー大学へ留学し、カンタベリー州代表選手に選出されるなど、名ウイングとして国内外で活躍。
現役引退後は、大阪体育大学ラグビー部監督に就任し、以後36年間にわたり同大学ラグビー部の指揮を執る。また、2007年フランスワールドカップでは、世界を代表する20人のラグビーレジェンドの一員として開会式に出席。2012年には、1960年代の世界で最も優れたラグビー選手の一人として、日本人ラグビー史上初の「国際ラグビー殿堂」入りするなど、世界に認められた日本人としてラグビーフットボールの更なる発展に尽力する。大阪体育大学名誉教授。


平成26年度
桧山 進次郎氏(野球)

1969(昭和44)年7月1日生
京都市立西院小学校、平安中学校、平安高校(現:龍谷大学付属平安中・高校)出身。東洋大を経て、1991年ドラフト4位で阪神タイガースに入団。
2001年、球団新記録となる28試合連続安打を達成。また、2001年から2003年の3年間は選手会長としてチームを引っ張り、2003年のリーグ優勝に貢献。同年日本シリーズ優秀選手賞を獲得。近年は「代打の神様」の愛称で親しまれ、通算代打安打158本、通算代打打点111点はともに歴代2位の記録。
現在、野球解説者・スポーツコメンテーターとして活躍する傍ら、年に1度京都市で野球教室を開催する等、野球の普及に努める。


平成26年度
早狩 実紀氏(陸上)

1972(昭和47)年11月29日生
京都市生まれ。宇治市立槇島中学時代から陸上を始め、京都府立南八幡高校(現:京都八幡高校)、同志社大を経て、現在光華女子学園勤務、京都光華アスレティッククラブ所属。世界選手権大会(世界陸上)出場5回、2008年北京オリンピック日本代表。
全国都道府県対抗女子駅伝には選手・コーチ・監督として23回出場、地元京都府チームの優勝に貢献する。
現在海外を拠点にトレーニングを行っている。3000m障害日本記録保持者。


平成26年度
大村 加奈子氏(バレーボール)

1976(昭和51)年12月15日生
京都市立梅屋小学校、滋野中学校、府立北嵯峨高校出身
小学5年生時にバレーボールを始め、北嵯峨高校では、春高バレーにおいて同高初のベスト4進出(3位)に貢献。1995年にダイエーオレンジアタッカーズ(現:久光製薬スプリングス)に所属し、Ⅴリーグ優勝・黒鷲大会優勝など多くのタイトルを獲得。また、全日本代表として2度のワールドカップ及びオリンピック(アテネ・北京)に出場。2008年にはⅤリーグ出場試合が230試合となり、長期活躍選手として表彰される。
2010年4月から母校である北嵯峨高校に赴任し、保健体育教諭として教鞭を取る傍ら、女子バレーボール部において後進の育成に励んでいる。


平成27年度
佐野 優子氏(バレーボール)

1979(昭和54)年7月26日生                                                              京都府立北嵯峨高校出身。1998年にユニチカに入団後、国内では東レ、久光製薬、海外ではフランス・RCカンヌ、アゼルバイジャン・イトゥサチ・バクー、トルコ・ガラタサライ、スイス・ヴォレロ・チューリッヒに所属し、ベストリベロ賞、MVPなど数々のタイトルを獲得。2008年北京五輪、2012ロンドン五輪(銅メダル獲得)に出場。                                       現役引退後は海外チームでプレーした自身の経験を活かし、日本選手の海外移籍の代理人を目指すとともに、バレーボール教室を開催するなど競技普及にも積極的に取り組んでいる。


平成27年度
田本 博子氏(ソフトボール)

1974(昭和49)年1月3日生                                                               京都市立祥栄小学校、洛南中学校、明徳商業高校(現京都明徳高等学校)出身。卒業後は日立製作所に入社し、日立ソフトウェアソフトボール部で選手として、また2005年からはコーチとして活動する。                                  選手として2000年シドニー五輪(銀メダル獲得)に、コーチとして2008年北京五輪(金メダル獲得)に出場。              現在は、京都市立中学校において保健体育教諭として教鞭を執る傍ら、ソフトボール部の顧問に就任するほか、全日本U15女子ソフトボールの後進の育成に励んでいる。


平成27年度
作本 信夫雄氏(バスケットボール)

1948(昭和23)年6月25日生                                                              洛南高校出身。中京大学卒業後、母校のバスケットボール部コーチに就任。1989年から同部監督及び国体京都府少年男子監督を務め、監督就任後25年間でインターハイ、選抜優勝大会、国体において合計10度全国制覇。洛南高校を日本一の強豪校に育てるとともに、同高校から「竹内公輔・譲次兄弟」、「辻直人」、「比江島慎」、等多数の日本を代表する選手を輩出した。                                                                                     「京都ハンナリーズ」の支援にも尽力するほか、京都バスケットボール協会の強化部長、副理事長・副会長を務め、京都のバスケットボール界の普及と発展に貢献した。


平成28年度
太田 雄貴氏(フェンシング)

1985(昭和60)年11月25日生                                                              平安中学・平安高校(現:龍谷大学附属平安中・高校)、同志社大学出身。小学3年生からフェンシングを始め、小・中学と共に全国大会を連覇。平安高校時代には史上初のインターハイ3連覇を達成。高校2年生で全日本選手権優勝。2008年北京オリンピックにて個人銀メダル獲得、2012年ロンドンオリンピックにて団体銀メダル獲得。2015年フェンシング世界選手権では日本史上初となる個人優勝を果たすなど、数多くの世界大会で優秀な成績を残す。4大会連続となる2016年リオデジャネイロオリンピックにも出場。2016年現役を引退。


平成28年度
寒川 進氏(障がい者陸上)

1968(昭和43)年9月26日生                                                               京都市西京区在住。20歳の時にバイク事故で背骨を脱臼骨折、脊髄損傷により足の神経が麻痺し車いす生活に。入院中に車椅子バスケットに出会い、その後全国車いす駅伝に参加。2004年アテネパラリンピックでは1,600mリレーで銅メダルを獲得。                                                                                   全国車いす駅伝競走大会には京都Aチームとして長年にわたり出場。2009年・2010年にはエースとして2年連続の優勝を果たす。また、京都マラソン車いす競技にも第1回大会から出場しており、第3回・5回大会で優勝。現在も第一線で活躍を続けている。


平成28年度
野口 みずき氏(陸上)

1978(昭和53)年7月3日生                                                               高校卒業後、ワコールに入社。以降16年間を京都で過ごし、京都を「第二の古里」と呼ぶ。京都では桂川沿いや西京極陸上競技場、京都三条会商店街で走り込みを行い、京都三条会商店街は「金メダルロード」と呼ばれている。                    平成25年度京都スポーツの殿堂入りの藤田信之氏の指導を受け、2004年アテネオリンピック女子マラソンで金メダルを獲得。また2005年ベルリンマラソンで優勝し、女子マラソンアジア記録及び日本記録を樹立。(アジア記録・日本記録ともいまだ破られていない。)2016年現役を引退。


平成29年度
伊達 公子氏(テニス)

1970(昭和45)年9月28日生
京都市上京区出身。
京都市北区にあるテニスクラブ「セブンスリー」で テニスに初めて触れ、その後山科区のテニスクラブ「四ノ宮テニスクラブ」で練習を積む。
高校卒業後の1989年にプロ転向し、世界4大大会をはじめ、多くの国際大会で素晴らしい成績を残す。
1996年にいったん引退するものの、2008年に若い選手へ刺激を与えるため現役復帰。
現役復帰後も世界の舞台で活躍し、2017年現役引退。
エステティックTBC所属


平成29年度
柱谷 哲二氏(サッカー)

1964(昭和39)年7月15日生
京都市右京区出身、花園小学校、双ヶ丘中学校、京都商業高校(現京都学園高校)卒業。
Jリーグ創成期にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)のディフェンダーとしてチームの要となる活躍をした。Jリーグベストイレブンを3回受賞。
日本代表でもキャプテンを長く務め、72試合に出場。1993年には、アメリカワールドカップ出場を目前に逃すこととなった「ドーハの悲劇」をキャプテンとして経験。
現役引退後は、サッカー解説者などとしても活躍する。


平成29年度
平尾 誠二氏(ラグビー)

1963(昭和38)年1月21日
京都市南区出身。
陶化中学校でラグビーをはじめ、平成24年度に京都スポーツの殿堂入りされた山口良治氏の誘いで伏見工業高校に入学し指導を受ける。その後、同志社大学で大学選手権3連覇、神戸製鋼で日本選手権7連覇の原動力として活躍する。
卓越したプレーと端正な顔立ちから「ミスター・ラグビー」と呼ばれ、日本代表としてワールドカップに3度出場。
引退後は最年少で日本代表監督に就任したほか、神戸製鋼の監督などを務めた。


平成30年度
大畑 大介氏(ラグビー)

1975(昭和50)年11月11日生
大阪市城東区出身。東海大仰星高校、京都産業大学卒業。小学生のときに大阪ラグビースクールでラグビーを始める。ポジションはウイング。
主将として京都産業大学を率い、全国大学選手権大会等で活躍。卒業後、神戸製鋼入社。オーストラリア、フランスのクラブチームでもプレー。
大学生の時に選出されて以降、日本代表でも活躍。2004年、2006年には日本代表主将を務める。
2011年に現役を引退。
2016年にワールドラグビーから「ワールドラグビー殿堂」として表彰される。日本人では坂田好弘氏に次いで2人目。2013年にラグビーワールドカップ2019アンバサダーに就任。


平成30年度
波留 敏夫氏(野球)

1970(昭和45)年5月25日生
京都市山科区出身。京都市立大宅小学校・勧修中学校、大谷高校卒業後、社会人野球の熊谷組から、1993年プロ入り、横浜ベイスターズ(現DeNA)入団(外野手・内野手、右投右打)。1998年に、横浜ベイスターズの38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献。同年にプロ野球月間MVP、1999年にJA全農Go・Go賞(最多二・三塁打賞:8月 強肩賞:9月)を受賞し、2004年に現役を引退。
2006年横浜ベイスターズコーチ就任。2014年から中日ドラゴンズのコーチに就任し、打撃コーチを担当。
また、近年は京都において、「アスリートワールド学童野球教室」及び「波留カップ軟式学童野球大会」を開催している。


平成30年度
濱田 美栄氏(フィギュアスケート)

1959(昭和34)年10月29日生
京都市出身。京都市立藤森小学校・藤森中学校・日吉ヶ丘高校、同志社大学卒業。フィギュアスケーターとして活動し、同志社大学卒業とともに引退。その後、指導者に転身し、京都醍醐FSC及び関西大学アイスアリーナでコーチを務める。
これまで指導した選手は、2015年世界選手権銀メダリスト・2018年平昌オリンピック4位の宮原知子(敬称略、以下同様)や2004年四大陸選手権優勝の太田由希奈をはじめ、白岩優奈、紀平梨花など、関西圏の選手を中心に多数にのぼる。


令和元年度
岡島 秀樹氏(野球)

1975(昭和50)年12月25日生

京都市伏見区出身。京都市立美豆小学校、大淀中学校、東山高校卒業。

東山高校時代、甲子園選抜大会に2回出場。日本プロ野球では、巨人、日本ハム、ソフトバンク、横浜DeNA、メジャーリーグでは、ボストン・レッドソックス、オークランド・アスレチックスで活躍。2007年MLBワールドシリーズ優勝に貢献したほか、セリーグ優勝3回(うち日本一2回)、パリーグ優勝2回(うち日本一2回)に貢献。日本プロ野球在籍15年間で549試合に登板し、38勝40敗50セーブ74ホールドの成績を収め、メジャーリーグ在籍6年間(2007-2011ボストン、2013オークランド)では266試合に登板し、17勝8敗6セーブ84ホールドの成績を収めている。2016年7月に現役を引退。現在は、メジャーリーグ、日本プロ野球を中心とした野球解説者、講演活動や野球教室で講師を務める。


令和元年度
小田 美岐氏(ゴルフ)

1959(昭和34)年4月5日生

京都市南区出身。京都市立南大内小学校、八条中学校、平安女学院高校から同志社大学へ。

12歳から実家の練習場でゴルフを始め、高校、大学時代アマチュア通算38勝。1982年プロ入り。1983年に日本プロスポーツ新人賞を獲得。所属は、宝酒造を経て、現在はニッタ・ハース。1984年の美津濃ゴルフトーナメント、北陸クイーンズゴルフカップ、1988年の三菱電機ファンタスレディスゴルフ、東北クイーンズ、伊藤園レディスゴルフトーナメント、1991年の伊藤園レディスゴルフトーナメントで優勝。2006年に現役を引退。現在は、主に女子プロゴルフの解説やゴルフの普及活動など多方面で活躍している。


令和元年度
北村 友里氏(障害者水泳)

1978(昭和53)年9月14日生

京都市北区出身。京都市立柏野小学校、衣笠中学校、紫野高校、大阪保健福祉専門学校中退。

3歳から京都踏水会で水泳を始め、中学校、高校は水泳部だった。高校2年生の時に脳腫瘍が見つかり、手術後に放射線治療を行う。卒業後は専門学校で障害者スポーツの指導者を目指すが、入学してすぐに下半身の自由が利かなくなり、放射線治療の後遺症からの脊髄損傷と診断され、19歳で下半身麻痺(車いす生活)となった。2001年に日本身体障がい者水泳連盟の強化指定選手になり、初めての国際大会2002年世界選手権に出場し6位、2004年アテネパラリンピック女子100m平泳ぎSB5クラスでは6位入賞、同年京都市スポーツ栄誉賞、厚生労働大臣表彰を受賞。2008年北京パラリンピック女子100m平泳ぎSB5クラス7位入賞の成果を国際舞台で残す。現在は、京都大学の職員として勤務し、近畿身体障がい者水泳連盟の理事として大会運営にも携わるとともに、京都市内の小学校を中心に講演活動も行っている。また、マスターズの大会にも出場している。


令和2年度
小西 美加氏(女子プロ野球)

1983(昭和58)年4月18日生

京都市上京区出身。京都市立仁和小学校、京都市立北野中学校、京都府立北嵯峨高校、龍谷大学短期大学部卒業。

2010年の女子プロ野球リーグ発足後、1期生として入団。初年度には最多勝、最優秀防御率、最多奪三振の投手三冠に加え、野手としても盗塁王のタイトルを獲得。その後も多くのタイトルを獲得し、MVPを2度受賞した他、10年目の2019年には4度目の最多勝に輝くなど、最年長レジェンド選手として常に第一線で活躍。IBAF女子野球ワールドカップに3回出場(2006年・銀、2008年・金、2012年・金)。2010年~11年兵庫スイングスマイリーズ、2012年大阪ブレイビーハニーズ、2013年~19年はウエスト・フローラ、京都フローラに在籍。2019年12月に女子プロ野球リーグを退団。その後、出会う子どもたちを笑顔にする活動「CONNY PEACE」を立ち上げ、国内外の普及活動に努めている。2021年4月に創部される京都文教短期大学・京都文教大学女子硬式野球部の総監督に就任予定。


令和2年度
坂野 晴男氏(車いす駅伝指導者)

1954(昭和29)年3月3日生

京都府舞鶴市出身。中舞鶴小学校、和田中学校、京都府立東舞鶴高校、大阪体育大学体育学部を卒業。

1979年に京都市教育委員会採用。以後、京都市の小学校・養護学校(現 総合支援学校)・高等学校(定時制)教諭、京都市教育委員会指導主事を務める。障害者スポーツ指導においては、2000年シドニーパラリンピック女子車椅子バスケットボールチームコーチ(3位銅メダル)、2008年北京パラリンピック男子車椅子バスケットボールコーチ(7位)を歴任。全国車いす駅伝競走大会では、第1回大会(1990年)から第31回大会(2020年)まで京都Aチーム監督として、優勝3回、2位4回、3位10回の成績を収めた。※第31回大会はコロナウイルス感染症の影響により中止。現在は、全国車いす駅伝京都Aチーム監督、車椅子バスケットボールチーム(京都アップス)コーチ、龍谷大学短期大学部・光華女子大学非常勤講師。


令和2年度
武田 美保氏(アーティスティックスイミング)

1976(昭和51)年9月13日生

京都市左京区出身。京都市立錦林小学校、京都市立近衛中学校、四天王寺高等学校、立命館大学卒業。

7歳から京都踏水会でアーティスティックスイミングを始め、その後、立花美哉氏とともに井村雅代氏が代表を務める井村シンクロクラブ(現 井村アーティスティックスイミングクラブ)で指導を受ける。1997年より立花美哉氏とデュエットを組み、2001年には世界水泳選手権福岡大会において、アーティスティックスイミングでは日本史上初となる金メダルに輝く。1996年アトランタオリンピックではチームで銅メダル、2000年シドニーオリンピックではデュエット・チームで銀メダル、2004年アテネオリンピックではデュエット・チームで銀メダルに輝く。日本人女子選手個人が持つ五輪メダル数では、立花美哉氏と共に歴代1位。2004年に現役を引退。現在は、三重大学特任教授、三重県ユニセフ協会名誉会長等を務めるほか、アーティスティックスイミング解説、講演活動や執筆活動等の多方面で活躍中。


令和2年度
立花 美哉氏(アーティスティックスイミング)

1974(昭和49)年12月12日生

滋賀県大津市出身。京都市立岩倉南小学校、家政学園中学校、四天王寺高等学校卒業、同志社大学中退。

9歳から京都踏水会でアーティスティックスイミングを始め、その後、武田美保氏とともに井村雅代氏が代表を務める井村シンクロクラブ(現 井村アーティスティックスイミングクラブ)で指導を受ける。1997年より武田美保氏とデュエットを組み、2001年には世界水泳選手権福岡大会において、アーティスティックスイミングでは日本人史上初となる金メダルに輝く。1996年アトランタオリンピックではチームで銅メダル、2000年シドニーオリンピックではデュエット・チームで銀メダル、2004年アテネオリンピックではデュエット・チームで銀メダルに輝く。日本人女子選手個人が持つ五輪メダル数では、武田美保氏と共に歴代1位。2004年に現役を引退。現在は、アーティスティックスイミング日本代表のナショナルコーチ及び井村アーティスティックスイミングクラブコーチを務めるほか、多方面で活躍中。


令和3年度
福澤 達哉氏(バレーボール)

1986(昭和61)年7月1日生

京都市伏見区出身。京都市立下鳥羽小学校、伏見中学校、洛南高校、中央大学卒業。

小学校4年生の時に兄の影響でバレーボールを始める。
2005年、大学1年時に男子バレーボール日本代表に初選出され、2008年には北京五輪に出場。2009年に開催されたアジア選手権では、最優秀選手賞を受賞するなど優勝に貢献。同年に開催されたワールドグランドチャンピオンズカップで32年ぶりの銅メダルを獲得し、武器である「ジャンプ力」を活かしたプレーで、ベストスパイカー賞を受賞。
クラブチームでは、2008年からパナソニックパンサーズに所属し、国内史上初となる、天皇杯、Vリーグ、黒鷲旗の3冠を3度達成するなど数々のタイトル獲得に貢献。2015-2016年にブラジル、2019-2021年にフランスリーグでプレーするなど海外でも活躍した。
2021年7月、現役引退。現在は、パナソニックの社業に専念し、スポーツや海外での経験を活かして活躍中。


令和3年度
道永 宏氏(アーチェリー)

1956(昭和31)年10月8日生

兵庫県神戸市出身。神戸市立葺合高校、同志社大学卒業。

4歳の時に父母に連れられアーチェリーをはじめる。最初は興味本位で遊びとして弓を射っていたが、高校から本格的にアーチェリー競技を開始し、高校生時には全日本アーチェリー大会の一般部門に出場した。
同志社大学在学中の1976年モントリオールオリンピックに出場し、日本人選手としてアーチェリー男子個人で初となるメダル(銀メダル)を獲得。大学卒業後も競技を続け、1980年モスクワオリンピック代表を目指していたが、日本の不参加が決まり肩の負傷も重なって現役を引退。
引退後は、アーチェリーとは一時期離れたが、2009年に同志社大学アーチェリー部監督に就任し、2014年から2021年まで同志社大学非常勤嘱託職員として指導に当たる。全日本学生王座選手権では優勝2回、準優勝5回、またインカレでは優勝4回に導く。2021年の東京オリンピックにおいても同志社大学アーチェリー部の安久詩乃氏が最終選考会まで進んだが、惜しくも5位で出場は叶わなかった。


令和4年度
荒賀 知子氏(空手道)

1985(昭和60)年2月1日生

京都市右京区出身。華頂女子高校、京都産業大学卒業。

道場経営をする両親のもと、空手一家に生まれ育つ。3歳の頃から空手を始め、厳格な父の指導のもとで力をつける。

高校1年生(15歳)の時に史上最年少でナショナルチームメンバー入りを果たす。その後、インターハイ2連覇、高校選抜2連覇、さらに高校生ながら全日本選手権準優勝を果たす。

京都産業大学在学中の2004年、2006年の世界空手道選手権53kg級で優勝し、史上3人目となる連覇を達成したほか、2006年のアジア競技大会優勝。また、全日本選手権2位2回、3位3回。

2008年に現役引退。2007年から現在まで母校の華頂女子高校空手道部監督を務める。また、2012年からは全日本空手道連盟Jr.&カデットナショナルチームジュニアカデットコーチとして後進の指導に当たる。教え子に吉村涼句や澤島さくら、佐尾瑠衣花がいる。2022年現在、全日本空手道連盟理事などの要職を務める。


令和4年度
荒賀 龍太郎氏(空手道)

1990(平成2)年10月16日生

亀岡市出身。京都外大西高校、京都産業大学卒業。

道場経営をする両親のもと、空手一家に生まれ育つ。3歳の頃から空手を始め、厳格な父の指導のもとで力をつける。

小・中・高・大・全日本選手権と、日本一を決める大会の全てにおいて優勝経験があり、全日本選手権では19歳で男子組手史上最年少優勝を果たすなど、日本空手界の数々の記録を打ち立てる。以降、全日本選手権5度優勝は同種目史上最多タイ。

相手が1回突く間に3回突きを出す驚異的なスピードの攻撃技を得意とし、「スピードドラゴン」と形容される。

空手の東京オリンピック採用が正式決定した直後、2016年世界選手権で悲願の優勝を果たす。以降も2018年のアジア競技大会で2連覇を達成。2021年の東京オリンピック75kg級で銅メダルを獲得。

2021年 京都市スポーツ最高栄誉賞受賞

2022年、現役引退。現在は母校の京都産業大学空手道部監督として後進の指導に当たるとともに全日本空手道連盟理事などの要職を務める。


令和4年度
福士 加代子氏(陸上競技)

1982(昭和57)年3月25日生 

青森県北津軽郡板柳町出身。青森県立五所川原工業高等学校卒業。

五所川原工業高校で陸上を始め、2000年にワコールへ入社。2002年に3,000mと5,000mで当時の日本新記録をマーク、10,000mでも日本選手権6連覇を果たすなど、「トラックの女王」と呼ばれた。

ハーフマラソンでは2006年に当時の日本新記録を樹立。トラック種目で2004年のアテネから2012年のロンドンまでオリンピック3大会連続出場。

2008年の大阪国際女子マラソンでマラソンに初挑戦し、2013年の世界選手権モスクワ大会で銅メダルを獲得

2016年のリオデジャネイロオリンピックにマラソンで出場し、日本の女子陸上選手で初めてオリンピック4大会連続出場を果たした。

その他、全日本実業団対抗女子駅伝では20年間で通算 108人抜き、世界選手権は5大会出場するなど、日本女子長距離界の第一人者として活躍した。

2022年1月30日の大阪ハーフマラソンを最後に、第一線を退く。

2002年 京都新聞スポーツ賞受賞

2011年 全国都道府県対抗女子駅伝競技大会における京都府チームの一員として、京都スポーツの殿堂団体特別表彰受賞

2013年 京都市スポーツ最高栄誉賞受賞

2022年1月、現役引退。現在は、ワコール女子陸上競技部スパークエンジェルスのアドバイザーとして活躍中。

特別表彰

団体特別表彰

 長年市民スポーツの振興に寄与してきた団体等に対して、特別表彰を実施。

 平成22年度  京都市体育協会(現京都市スポーツ協会)、京都市体育振興会連合会

 平成23年度  皇后杯全国都道府県対抗女子駅伝 歴代京都府代表チーム

特別功労表彰者

 京都スポーツの殿堂第10回を記念して特別功労表彰を実施。

 令和元年度  今井 良春氏(卓球)、川勝 主一郎氏(ラグビー)、田淵 和彦氏(フェンシング)、森 貞夫氏(サッカー)。

 令和2年度  細川 磐氏(バスケットボール)

 令和3年度  伊東 輝雄氏(陸上競技指導者)、津山 捷泰氏(空手道指導者)

 令和4年度  荻野 由信氏(陸上競技指導者)、松久 ミユキ氏(体操競技者、新体操指導者)

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お問い合わせ先

京都市 文化市民局市民スポーツ振興室

電話:スポーツ企画担当(庶務担当):075-222-3134、スポーツ企画担当(施設担当):075-222-3135、スポーツ活動推進担当:075-222-3137、京都マラソン担当:075-222-3138

ファックス:075-213-3367

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