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京都市上京区

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思いっきり上京~地名・町名の由来

ページ番号48918

2013年5月21日

 上京区の町名は、由来が容易に想像の付くもの(神社仏閣、昔の役所や職業に因んだものなど)から名前を見てもよく分からないものまでバラエティに富んでいます。

 普段は単に住所を示すだけの町名も、その由来を知れば、平安京遷都以降連綿と続く豊かな地域の歴史が浮かび上がってきます。町名はいにしえから引き継がれた、地域の、ひいては区民の財産といえるでしょう。

この新コーナーは、上京区基本計画推進部会の一つである「ふれあい上京21部会」の取組として、地名・町名を切口に、上京区17学区の魅力を地域に暮らすみなさんから広く発信していきます。どうぞご期待ください。

成逸学区 ~社寺に因んだ町名~

 平安遷都は京都に一大都市を誕生させましたが、成逸学区はその北の外れ、貴族の狩猟地でした。平安時代中期に現在の大宮通をはさみ西に櫟谷七野神社、東に水火天神社、北に若宮八幡宮、大宮通り沿いに比叡山東塔竹林院の里坊である安居院(あぐい)が創建され、成逸学区の大様は平安時代末期に一応形作られました。しかし、現在に繋がる町称を附した京坊の形態が整うのは応仁の乱の後です。学区内の町名の多くが前出の4社寺に因んでいます。七野神社周辺では、南北の参道に沿って北半分に竪社北半町、南半分が竪社南半町、東西の参道に沿って社横町、東社町、中社町、境内を突き抜ける道にある社突抜町、また、安居院周辺では里坊の前にあった前之町、仲之町、北仲之町、若宮八幡宮周辺では参道の大宮通に沿って若宮竪町、東に東若宮町、西に西若宮北半町、西若宮南半町、水火天神社周辺では上天神町、下天神町、天神北町などなど、町名で社寺に対してどのような位置にあるかが分かります。

(川田雄司)

水火天満宮

室町学区 ~「院」の字がつく町名の由来~

 室町学区の町名の中に「院」の字が付く町名があります。岩栖院町・継孝院町・大心院町・禅昌院町・宝鏡院東町の5ヶ町です。宝鏡院東町は現存する宝鏡寺の東側に位置する町ということで納得です。その他の4ヶ町には現在、寺院等はありません。それならと古い文献(『京都坊目誌』)を調べてみました。

○岩栖院町…細川満元が住居し、出家して名を岩栖院と号し、岩栖院を建立する。後に寺院は京極北に移転し、現在は町名のみ存在する。

○継孝院町…禅宗宝鏡寺に属する尼僧寺院があった由。いつの日にか荒廃し、現在は町名のみ存在する。

○大心院町…足利管領細川政元が出家して大心院宗貞と号し、この地に大心院を建立。後世妙心寺中に移し塔頭となり、今も存続する。院名のみ残り大心院町と命名された由。

○禅昌院町…「往昔禅昌院町と呼べる禅刹あり。故に町名として名付けられた」とあります。

(廣瀬賢治)

今でも古い町名掲示が残っています

 

20年10月号