キッズページ「京都市の水道の歴史 - 琵琶湖疏水」
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2024年8月15日
水道ってなあに?
京都(きょうと)、滋賀(しが)、大阪(おおさか)、兵庫(ひょうご)に住む多くの人が琵琶湖(びわこ)の水を利用しています。京都市では、疏水(そすい)をつうじて琵琶湖(びわこ)の水を運んでいます。くらしにかかせない水道水を安全なものにしょ理し、みなさまに届けること。水を清(せい)けつにして、公しゅうえい生を守ること。こちらは水道の大きな役目(やくめ)です。
住みよいくらしをささえるため、水道は大切なはたらきをしています。
京都市の水道水の
ほとんどは、琵琶湖(びわこ)
疏水(そすい)が運んできた水
からつくられます。
琵琶湖疏水(びわこそすい)の歴史を見てみよう!(年表)
第1疏水(そすい)の歴史 | |
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1881年(明治(めいじ)14年) | 北垣国道京都府知事(きたがきくにみちきょうとふちじ)が琵琶湖疏水(びわこそすい)をつくることをていあんする。 |
1883年(明治(めいじ)16年) | 田辺朔郎技師(たなべさくろうぎし)が疏水(そすい)工事のたん当者となる。 |
1884年(明治(めいじ)17年) | 疏水(そすい)工事の願(ねが)いを国に出す。 |
1885年(明治(めいじ)18年) | 国から工事のきょかがおりる。 第1疏水(そすい)工事が始まる。 |
1890年(明治(めいじ)23年) | 第1疏水(そすい)、完成。 |
1891年(明治(めいじ)24年) | 蹴上発電所(けあげはつでんしょ)ができる。 インクラインが動く。 |
第2疏水(そすい)の歴史 | |
1894年(明治(めいじ)27年) | かも川運河(がわうんが)ができる。 |
1895年(明治(めいじ)28年) | 京都に電車(でんしゃ)が走る。 |
1908年(明治(めいじ)41年) | 第2疏水(そすい)工事が始まる。 |
1912年(明治(めいじ)45年) | 第2疏水(そすい)、完成。 蹴上浄水場(けあげじょうすいじょう)ができる。 |
琵琶湖疏水(びわこそすい)
水道管の維持管理(いじかんり)
水道管( 配水管や給水管など)の維持管理(いじかんり)はとても大切です。
そのため、ろう水調査(ちょうさ)や、災害(さいがい)に強い種類(しゅるい)に取りかえる取組(とりくみ)などをしています。
京都市の水道のあゆみ
明治(めいじ)時代、京都から東京へ都がうつされました。そのため、京都の人口はへり、まちもさびしくなりました。北垣知事(きたがきちじ)は、京都のまちを元気づけるために、疏水(そすい)をつくることを提案(ていあん)しました。
第1疏水(そすい)が完成した後、舟(ふね)を使って人や物を運ぶ事業(じぎょう)が進み、まちはいきいきとなりました。また、水力を利用し、蹴上発電所(けあげはつでんしょ)などでエネルギーがつくられました。
また、第2疏水(そすい)の完成後には、 蹴上浄水場(けあげじょうすいじょう)で浄水(じょうすい)しょ理した水道水がつくられ、上水道(じょうすいどう)のサービスが始まりました。この後も、たくさんの水が使われるようになったため、新しい浄水場(じょうすいじょう)がつくられていきました。
こうして疏水(そすい)ができたことによってまちは活気をとりもどし、人々も安全に水道を利用できるようになった一方で、疏水(そすい)工事にはきけんがともなったため、多くのとうとい命がぎせいとなりました。
現在(げんざい)では、高い技術(ぎじゅつ)を取り入れて、より良(よ)い水をつくる努力(どりょく)を続けています。「安全、安心」で「おいしい」京都市の水道水を、よろしくお願いします。
お問い合わせ先
京都市 上下水道局総務部総務課
電話:075-672-7706
ファックス:075-682-2711