上京区について
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2017年8月3日
区の変遷

上京区の歴史は古く、平安時代末期頃から京都の町を南北に分けた上辺(かみわたり)、下辺(しもわたり)の表現が用いられるようになり、それが中世になって、おおむね二条通を境として上町(かみのまち)、下町(しものまち)、あるいは上京、下京と呼ばれるようになったといわれています。
明治元年には、上京、下京を上大組、下大組と称し、翌2年には三条通を境として、上京33番組、下京32番組としました。
明治12年、「郡区町村編成法」によって京都を2区に分けて上京区、下京区が編成され、昭和4年には上京、下京の2区から左京、中京、東山が分区し、昭和30年には上京区から北区が分区し、現在の上京区(17学区)が構成されました。
地勢

上京区は、京都市のほぼ中央部に位置し、東は鴨川(賀茂川)、西は紙屋川(天神川)によって左京区、北区、中京区に、北は鞍馬口通、南は丸太町通を隔てて北区、中京区に接している横長の長方形をなす面積7.03平方キロメートルの地域です。
文化

区内には、伝統ある文化が現在も引き継がれており、千本釈迦堂、相国寺、北野天満宮などの歴史的遺産(平成19年4月現在 国宝12・重要文化財232・史跡名所6)や茶道界の家元三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)があります。
また、京都の産業を代表する「西陣織」は平安京の頃から宮中や公家、社寺、幕府等の庇護を受けて発展してきました。