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京都市中京区

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本能学区

ページ番号13398

2012年9月25日

面積:0.197k㎡
人口:4,097人 (平成17年2月1日現在)

 

本能自治連合会に執筆を依頼

 

本能町づくり「染の町本能」をめざして

 本能学区は東は西洞院通,西は堀川通,南は四条通,北は三条通に囲まれ,二十四か町で形成されております。明治2年,下京第二番と設定され,同年11月,空也町に小学校が創設,6年に南町に移転,本能小学校となりました。
 歴史に名高い本能寺は,応仁の乱以後百年の日本の大乱を平定した織田信長が,明智光秀の謀乱により寺に火を放ち自己の命を絶った所と伝えられております。その後,秀吉の洛中の改革によって本能寺は寺町に移され,跡地は大名達の邸宅が軒を連ね,その間に民家も住居するようになりました。
 東の西洞院川(明治37年暗渠),西の堀川(昭和53年から56年の間に暗渠)の水を利用し,染屋が集まる町になりました。東には室町の染問屋が集い,その染の職人たちの町として安定した時代を過ごしてまいりました。
 児童数も多いときは五百人を下りませんでしたが,全校で八十名に減少し,高倉校へ統合されました。本能校が廃校となり,学区内の中心がなくなった感があり,各種団体も非常にピンチを覚えましたが,一致団結,それぞれの活躍により区民の信頼に応えております。
 本能の校区に堀川高校があります。平成11年,当時最も新しい建物として再建され,全市から選ばれた能力のある生徒が学業に励んでおり,誇るべき学問の町となることを信じております。
 本能校跡地も京都市の跡地活用審議会において,福祉施設用地,高校教育施設用地として活用する方針が示され,本年(平成17年8月)に完成しました。一方,区内も染工場の跡地にマンションが林立し様相を一変しつつありますが,かつては染物の町と言われ全戸千戸のうち,七百戸が染に従事していました。繊維産業が受けた大打撃を乗り越えて,染の町本能を旗印に町づくり委員会が発足し,本能町づくりのしおりを基礎として,染の町の再興を図っております。卓越技術者,国が認定した染色技能士,伝統工芸士等も本能の住人として今もたくさん居住しております。
 平安遷都以来,千数百年の歴史を重ねてまいりました。貴紳の邸宅跡,室町時代の名僧空也上人の道場跡・空也堂,本能寺跡,江戸時代の各大名達の屋敷跡,明治に入っても手描友禅から型友禅を発明した広瀬備治翁の作業場跡等々。今新しく本能の住民として居住されたマンションの方々も,本能を歴史の町,染めの町として町づくりに協力され,立ち上がられました。力強い限りです。
 新しいもの,古いもの,それぞれ互いの良いところを理解して,渾然一体となって進んでこそ,町の発展につながることと信じます。

 

平成17年10月
本能自治連合会 会長 岡山 悟

 

 

本能寺跡

本能寺跡

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