琵琶湖疏水の水を京都へ引くことは,昔からの京都の人々の願いでした。しかし,土地を正確に測って図面を作成したり,長いトンネルを掘るには十分な技術がありませんでした。琵琶湖から水を引く計画を実現させたのは,第三代京都府知事に就任した北垣国道でした。北垣は,幕末の戦災と東京遷都により衰退した京都を復興させるため,琵琶湖疏水を計画しました。琵琶湖疏水は,大津市三保ヶ崎の琵琶湖取水口から山科・蹴上を経て京都市内に通じる運河で,明治18(1885)年6月に着工し,同23年4月に第一期工事が完成しました。総工費は約125万円で,同時期の京都府の年間予算の約2倍でした。水路は蹴上で二つに分かれ,鴨東運河により岡崎・夷川船溜を経たのちに鴨川出合いに至る幹線と,東山を北上し洛北地域を迂回して小川頭に至る枝線(疏水分線)に分かれています。
ここでは,琵琶湖疏水の計画と建設の過程を示す資料を展示しています。その中でも疏水建設の中心となった北垣国道のほか,測量技師の島田道生,土木技師の田邉朔郎を取り上げています。田村宗立と河田小龍の絵画は,琵琶湖疏水の工事の様子を生き生きと描いています。


(第1展示室北西側)
大型の展示資料が多く展示しています。

(第1展示室南東側)
疏水工事に関連した絵画などを展示しています。
明治16(1883)年11月に開かれた京都府の勧業諮問会に北垣国道知事が提出した起工趣意書には,琵琶湖疏水建設の目的として1.製造機械,2.運輸,3.田畑のかんがい,4.精米水車,5.防火,6.井泉(上水),7.衛生(下水)の七つが挙げられていましたが,明治21年に田邉朔郎と高木文平がアメリカに水力利用法を視察しに行った際に水力発電を見たことにより,琵琶湖疏水を開削する目的に,水力発電が新たに加えられました。
完成後の琵琶湖疏水の利用方法は大きく分けて三つありました。一つ目は電気事業でした。蹴上発電所は日本で最初の事業用水力発電所として建設され,琵琶湖の水を使って電気を起こし,電灯をともしたり機械を動かす動力に利用されました。二つ目は運河事業でした。運河を開削し,大津や伏見,大阪との間で米・炭・木材・石材などが船で運搬されました。また,観光客を乗せた遊覧船も多くありました。高低差がある蹴上と伏見墨染にはインクラインが設置され,台車に船を載せて行き来させました。三つ目は水力事業でした。疏水の水は,京都御所や東本願寺では防火用利用され,別荘や公園にも引水され池や小川がつくられたほか,精米や紡績,伸銅などにも利用されました。このように,琵琶湖疏水のおかげで京都の人々の生活はたいへん便利になりました。


(第2展示室北側)
水力発電,庭園への引水,運河など,琵琶湖疏水の役割に関連するパネルや,インクラインのレールなどを展示しています。

(第2展示室西側)
大型モニターを用いた映像展示や,インクラインの模型を展示しています。
明治38(1905)年に日露戦争が終わると,西郷菊次郎京都市長のもとで,三大事業が行われました。三大事業とは,1.第二琵琶湖疏水を開削して,多くの水や電力を得る,2.上水道を布設して衛生を良くする,3.烏丸通・四条通などの主な七つの道路を広げて電気鉄道を走らせる,というものでした。しかし,多額の経費を必要としたので,フランスで集めた外債を財源として実施され,明治45(1912)年に完成しました。三大事業によって京都は,現在の町の基盤がつくられされました。


(第3展示室)
リニューアルオープンに伴い新設致しました大正4(1915)年の蹴上付近の復元模型を展示います。

(第3展示室西側)
御所水道の建設や松ケ崎浄水場の創設など,水道事業の展開について展示います。


(2階廊下西側の展示)
現在の琵琶湖疏水の写真を展示しています。中央の地図で,写真の場所を確認していただけます。

(2階廊下東側の展示)
琵琶湖疏水に関連する記念碑や,扁額などの写真を展示しています。

(1階屋外展示)
御所水道の鉄管や,測量に用いられた石点(ベンチマーク)などを展示しています。

(地階屋外展示)
第一期蹴上発電所で使われた水車と発電機を展示しています。

(1階の図書閲覧室)
ここでは,琵琶湖疏水や水道に関するビデオ,図書を閲覧できます。

(2階のAVホール)
約40名までビデオ等を鑑賞できます。ご利用を希望される場合は,事前のお申込みが必要です。
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