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京都市市民参加推進フォーラム第13回会議 摘録

ページ番号35272

2022年6月28日

 

日時:平成18年2月11日(土・祝) 午後2時~4時

 

場所:こどもみらい館 第1研修室

 

出席:京都市市民参加推進フォーラム委員10名(川名委員,鈴木委員,不破委員,松尾委員,米丸委員は欠席) 傍聴者:16名

 

 

1 会議次第

 

1 開会
2 座長あいさつ
3 議題
市民参加推進フォーラムからの提案「市民参加こんなんえーやん宣言!(仮称)」(素案)」について
4 その他
5 閉会

 

[配布資料]
資料1 配席図
資料2 市民参加推進フォーラム委員名簿
資料3 市民参加推進フォーラム部会の取組について
資料4 「市民参加こんなんえーやん宣言!(仮称)」(素案)構成
資料5 「市民参加こんなんえーやん宣言!(仮称)」(素案)

 

 

2 摘 録

 

1 開会
2 座長あいさつ
<宗田座長>

 第2期フォーラムも終盤を迎えつつあるが,本日は,これまで第2期の委員を中心に市民参加について色々と検討してきた内容をまとめた,「市民参加推進フォーラム提案書(素案)」について審議する。
 これまでフォーラムでは,第1期のメンバーを加えて自主勉強会を実施してきた。自主勉強会も20回程度重ねて,色々な角度から市民参加を検討してきた。それから去年の夏には円卓会議を開催し,多くの市民の皆さん,主に京都市の審議会に参画されている市民公募委員に呼び掛けて集まっていただき,「公募委員制度や審議会の仕組みは本当に機能しているのか」ということを検討してきた。
 また一方で,もっと元気に京都市の市民参加を進めていくためにも地域で色々な市民活動をしている方たちの力を活かしていかなければならないという思いから,市民活動をされている人たちにも集まっていただき,地域,あるいは今活発に活動が広がっているNPOなどの市民活動の現状がどうなっているかについても調べてきた。そして今回,そのような検討作業を積み重ねた結果を「市民参加こんなんえーやん宣言!~京都市市民参加推進フォーラムからの提案~」として冊子にまとめたところだ。
 細かいことはこの報告書に沿って発言をさせていただくが,例えば,審議会の傍聴や公募委員制度もそうだが,「どうしたら市民の皆さんを巻き込んだ形で市政参加を進めていけるか」ということや,「どうしたらもっと市民の皆さんが身近にNPOやボランティア活動等の身近に市民活動に参加してくれるか」といったことを中心に我々は議論をしてきた。
 今回も休みの日にフォーラムを開催してみたら,多くの傍聴者に集まってもらえるかもしれないということを考えた。私が第2期の座長になってから,ちょっと異例のことではあるかもしれないが,最後に傍聴席の方から感想を聞くということをさせていただいている。今日はいつもより遥かに多くの方に傍聴にお越しいただいているので,全員からは感想を聞けないかもしれないが,「意見出しカード」をお配りしているので,そこに意見を書いていただきたいと思う。
 この他にも色々な工夫をしている。小さな工夫だが,今日は休みの日なので,私はネクタイをせずにきた。服装というものはそんなに重要なことではないかもしれないが,「参加する心構え」みたいなものを何か考えさせられる,ひとつのテーマだと思っている。市民参加に対する考え方は十人十色,百人百色であって,どういう形の市民参加がいいのかを4年間模索してきたが,それは答えが出るものではない。その人にあった形での参加の仕方があるということが一つの結論だと思うが,その意味で我々も「これだ」と押し付けるつもりはなく,自分自身でも模索しつつ,「こうすれば皆さんと一緒に何かできるかな」ということを考えているところだ。

 

3 議題
 市政参加推進フォーラムからの提案「市民参加こんなんえーやん宣言!(仮称)」(素案)について
<宗田座長>
 本日は,これまでの市民参加推進計画の点検・研究を取りまとめ,3月に作成予定している「市民参加こんなんえーやん宣言!(素案)」の審議を行う。
 まず事務局から提案書の説明をし,フォーラム委員による質疑応答をした後,傍聴の参加者の皆さんから意見をお聞きしたいと考えている。何か御意見があれば,受付でお渡しした「意見出しカード」に記入していただきたい。
 なお,この提案書の説明は事務局に説明をお願いするが,この提案書は事務局だけが作ったものではなく,ほとんどの部分をフォーラムのメンバーが執筆している。それを大島委員や市民公募委員の皆さんが切り貼りをしてまとめてくれたもので,必ずどこかを誰かが書いた形になっていて,従来の審議会が作成する提案書とは違ったものになっている。それでは事務局から説明をお願いしたい。

 

[説明要旨]
資料3,4,5に基づいて,「市民参加こんなんえーやん宣言!(仮称)~市民参加推進フォーラムからの提案~(素案)」について事務局から説明を行った。

[意見交換]
<宗田座長>

 前回の部会から変更になっている箇所もあるので後ほど御意見をいただくが,我々はこの提案書案を既に何回か見ているのだが,今日傍聴にお越しいただいた皆さんは初めて見る方がほとんどだと思うので,傍聴の皆さんに少しでも理解していただくためにも,内容の紹介を兼ねながら,委員各位の意見を伺えればと思う。
 資料4の構成案というものが目次になっている。特に注目していただきたいのは第3章の「こんなことを話してきました」というところで,論点を5つあげている。第4章は「市民参加こんなんえーやん」ということで,京都市に対する提案と市民の皆さんへのメッセージを掲載していて,市民の皆さんに対する「こうなりませんか。こうしませんか」という提案を含めて書いている。まず,大島委員から御発言いただけないか。


<大島委員>
 この提案書は,編集や整理していく作業を市民公募委員の皆さんと私とで行ったもので,中身についても原則,フォーラム委員の皆さんに書いていただいた内容をベースに,かつ構成についても,随時御意見をいただきながら整理してきたものだ。タイトルについても藤澤委員のアイデアによるもので,その辺りは「手作り感覚」で作っている面もあるので,これまで他の審議会が提出している提案書のような「ぴしっ」としたものにはなかなか至らないかもしれないが,その分,時間と知恵とアイデアを使って作ってきた。その点を含めながら見ていただき,御意見をいただければと思う。


<千葉委員>
 私はテーマに沿って執筆したり,イラストを描いたり,といったようなお手伝いをさせていただいているのだが,大島委員や事務局の方々の努力に比べれば私はたいしたお手伝いはできていないと思っている。中身を読むと我々が話してきたことが本当に良く表現されていて,2年間,フォーラム委員として活動してきた集大成として相応しい中身だろうと思って喜んでいる。ただ,もっとたくさんの方に読んでいただくにはどうすればいいのかということをもっとじっくり考えたい。
 表現の仕方として,もっとビジュアルに訴えるような方法がいいかもしれないし,これからのあり方というものをもっと前面に出していくにはどうすればいいのかということなどについても,もう少しじっくり検討していきたいと思っている。


<宗田座長>
 千葉委員もそうだが,市民公募委員制度については,この夏に円卓会議に公募委員の方にたくさんお集まりいただいて,色々議論をしてきたことを踏まえ,P13の論点1「審議会と市民公募委員に見る市政参加の仕組み」という形で6ページに亘って掲載している。この市民参加推進フォーラムの公募委員の皆さんは4名おられるが,今や「市民公募委員」という区別がなくなってきていると思う。別に市民公募委員だから提案書の編集をお願いしたわけではないし,我々も皆さんと一緒に作ったものだ。そういう意味で市民公募委員とそれ以外の委員の区別がなくなってきたことはいいことだと思う。
 この提案書にも,審議会が「敷居の高いもの」と感じられている面があるのだが,私は「学識経験者」という言葉が気になっている。P13のコメントにも「法律の専門家の大学教授や弁護士さんなどの学識経験者がずらっと並んだ状態の中にぽんと入ったものですから緊張感がありました」とある。確かに審議会の委員は緊張感を持っていただかなければならないくらい責任のある仕事ではあるが,不用意に緊張感を感じてしまい,発言がしにくくなることは非常に残念なことだ。「学識経験者」という言葉が重いのであれば,別の呼び方があってもいいと思うし,医学や法律などの一部の専門家でなければわからないこともあるが,そうではない専門,もっと幅広く捉えた専門というものもあると思う。
現在では専門分野の領域も多岐に亘っているし,網の目ようにもなっているし,総合的にもなってきている。例えば大島委員のような御立場の方を「学識経験者」と呼ぶのか「まちづくりリーダー」と呼んだ方が適切なのかはよくわからないが,大島委員のようなオールマイティな人がフォーラムには必要なのであって,代わりに大学の先生を3人連れてきたからといって,役に立つかといえばそうではない場合もある。
 あるいはお互いの肩書きが先行してしまって,審議会の場でのメンバーの関係に「敷居の高さ」を生み出しているのかもしれない。公募委員以外の委員の呼び方を変えるということも含めて考えていく必要があると感じている。
 さて,論点2は地縁組織と志縁組織の連携について書かれているが,それではこの辺りについては乾副座長にお話いただきたい。


<乾副座長>
 提案書についてだが,コメントをここまでパッチワークをして,しかもきちんとしたストーリーができているということには感動している。つぶやきなどの言葉の断片を集めながらこれだけのストーリーができているというのはとても読んでいて面白い。普通の提案書に比べて,「なんで読んで面白いのか」というあたりが今回の提案の非常に大事な部分だと思うのだが,この提案は「こうすべきだ」とか「あるべきだ」という結論を書いているわけではなく,委員が長い期間をかけて「ああだな,こうだな」と話しをしてきて辿り着いたプロセス,つぶやきみたいなものを書いてあるからだろう。自分たちが議論したことの背景やプロセスなどを,物語を含めて書いてある。
 この提案を名づけるのであれば「共感を呼ぶ提案」というか「共感から始まる提案書」と言えると私は思っているのだが,市民がこの提案書を読んで,「そうだそうだ。自分たちもこんな思いを持つよな」とか「こんなこともあるのか」と共感してもらったうえで,結論部分にまで一緒についてきてもらうというような内容になっている。反論もあるかもしれないが,私はこの提案書をそういう性格のものだと思っていて,それを最初の段階できっちりと書いた方がいいと思う。「今度の提案はこういうつもりで作っています」というふうに。
 このフォーラムの議題は,専門家とそうではない人との間にそんなに境界がない。もっと言うならば,みんな「市民生活の専門家」と言っても過言ではない。もし専門家という言葉に価値があるとするならば「市民生活の専門家」だ。裏返しに,みんな素人といえば素人だ。このことは先ほど触れた「共感を呼ぶ提案書」の話と非常に密接につながっている。その辺りのことを読者に対してきっちりと伝えておきたいと思う。
 さて,論点2以降の話だが,大上段に構えた市民活動ではなく,地域の人たちが「こんなことが必要だね」と思って集まって動き始めた市民活動,言わば「小さな市民活動」と,もともと地域組織や地縁組織と呼ばれるところが,「地域を良くしたい」と思うなかで活動している市民活動が,「実は近い存在でありながら,連携しにくい」ということを竹下委員の体験談を題材しながら問題提起し,それでも尚且つ両者が一緒に歩くことの可能性と大切さを語っているというのが大きなストーリーとなっている。
 そのことを踏まえたうえでお願いしたいのだが,少なくとも竹下委員の活動と西嶋委員の「本能まちづくり委員会」もしくは「梅津まちづくり委員会」,長谷川委員の「大文字保存会」の活動事例は,短くてもいいから入れておかないと読者に分からないので,入れておきたいと思う。むしろ事例集を作ろうということは提案の中にも書かれてあることだが,この提案書自体が呼び水となるためにも,「今,こういう動きがあるよ」と私たちが代表事例として扱ったものについては,うまく掲載できないかなと思う。掲載するとすれば11ページ辺りに入れられないか。用語集だけではなく,「ここで語っていることはこんな物語をもとにしながら議論をしたよ」というものが欲しい気がする。当然,審議会や市民公募委員のエピソードもあるので,そちらの方も入れた方がいいかもしれないが。


<宗田座長>
 今,乾副座長の話を聞きながら思ったのだが,市民参加というと「政治的なこと」,あるいは「行政的なこと」に関わることのように思われるのだが,この提案書に書かれているように,「市民がしたい」と思っていることはそういうことではないのかもしれない。市民はもっと暮らしの視点に立っている。もちろん行政のことも大事だし政治も非常に重要なことではあるが,まずやらなければならないことは自分の家族のことであったり,仕事のことだったりするということではないか。それらの事柄を積み重ねていくなかで,将来的に行政との関わり,市全体との関わりということに至るのかもしれない。よく知らないままに新聞報道等を通じて固定した印象を持ち,それを個人の意見だと思って社会を批判したり,行政を批判したりするということが市民参加なのではなくて,しっかりと根を張ったうえで,小さくてもいいから花を咲かせてもらうような地道な活動が重要なのではないかと感じた。長谷川委員と西嶋委員には,まちづくりリーダーとしての専門性からフォーラムに参加していただいているのだが,長谷川委員の活動も西嶋委員の活動も長い年月をかけて根付いた活動であり,どちらの活動も生活実感ということが非常に重要なのかもしれない。それではお二人にお話いただきたい。


<長谷川委員>
 大文字保存会というと古来の古いしきたりに阻まれて,施主だけで行うという古いしがらみがあるのだが,たまたま近年になって8月16日までの一年間を3年ほど前に登山者数を集計したところ,約25万人を超える登山者が山に入っていた。送り火を見に来るというよりも山頂に御堂があってそこにお参りにくる方とか四季折々の山を散策やハイキングに来られている。
 初めはそういう形だったのだが,だんだん山の荒廃が始まって,山道の施業などをするようになり,そういうところから市民参加がうまれてきた。竹箒を持ってきたり,落ち葉を拾ってきたり,落ちているゴミを拾ってきたりと,自然とできあがってきている。保存会がそれを知らぬ顔ということにはいかないので,それならば保存会ができるかぎり主体になって考えていこうということでグループができあがっていった。
 市民参加というものは行政に対する市民参加もあるだろうし,たまたま参加できるものがあるから参加するというものもあるだろう。現在,保存会では市民参加の輪が広がってきており,京都市民だけではなく他都市からも見学に来たりしている。先ほど言ったように市民の参加が自然に発生しているので,我々としてもうまく応えられないというところもあるが,やはり受け皿を上手に模索していくかということが必要だと思う。「ボランティアに来て下さい」というのもおかしいので,これからの市民参加を考えると,受け皿をうまく活用して,できる限り気兼ねなくやってもらうという形で進めていこうかと思っている。


<西嶋委員>
 このフォーラムは市民公募委員の影響がとても大きいのではないかと思う。第1期の公募委員もそうだが,第2期の公募委員は会議等に参加しにくい状況をお持ちの方々にも関わらず参加されている。事務局も参加しやすい環境を整えていて,例えば託児の手配等をしているが,藤澤委員に小さいお子さんがいても参加し続けてこられたことは,「お母さんでもフォーラム委員になれるのだ」というところで,大きい意味があるのではないのかなと思う。
 第1期のときに作成された「市民参加推進レポート」は,2年間のフォーラムの議論の結果がレポートになったのではなく,京都市の市民参加の推進に伴う中間報告のような形になっていて,我々が2年間の感想を述べたという内容になっているのだが,今回の提案書はそうではない。自主勉強会や部会,フォーラムで委員同士が頻繁に顔をあわせ,お互いに腹を割って話せるようになったからこそ,このような提案書を作り上げることができたのだと思うし,誰もが参加しやすい環境を整えているということは,他の審議会のいい手本になるのではないかと思う。江田委員は会社勤めをされているので,昼間の会合にくるということは難しいと思う。本来なら「もう私は無理だ」というところだろう。しかし,役所の方も時間帯などを配慮し,調整をしながらやってこられた。このような環境の中でも活動してこられたということは大きなことだと思う。竹下委員も千葉委員も色々な事情を抱えながらも参加し続けてこられた。本当に素晴らしい公募委員と二年間活動してきた経験は,本能まちづくり委員会にも取り入れることができるだろう。色々な立場の方々に参加してもらい,一緒に雰囲気を作って活動していくというフォーラムの活動は,色々と勉強になった。


<藤澤委員>
 私がフォーラムに参加して2年になるが,参加した当初は30代前半の若輩で,市民としての意識がまったく低い状態だった。フォーラムで勉強会などにたくさん参加させていただいて,私なりに市民参加というものを勉強させてもらったことは自分の身になったと思っている。ただ私と同世代の人たちがそうであるように,市民参加を感じていない人が京都市の中にはたくさんいると思うが,「それどころではない」という人も多いと思う。そのような人たち全員が興味を持って勉強会に参加したら,市民参加にもすごく興味を持たれると思うのだが,そうはいかないのが現状なので,提案書をわかりやすく,読んでもらいやすく,皆さんが手にとってもらいやすい状態に仕上げていきたいと思って色々とお手伝いさせていただいた。まだ完成には至っていないが,千葉委員のイラストなどがたくさん入ってくることによって,より手にとってもらいやすいものになってくると思う。そこで行政にお願いしたいのだが,できるだけ目につきやすいところ,引っ張り込みたい人がいるところにどんどん配布して欲しいと思っている。
 それと,私には小さい子どもがいるのだが,今日,この会場に小さいお子さんを連れたお母さんが来ていた。私はそれを見て,「同じような志を持った方がいるのだ」と少しうれしくなったのだが,お子さんの声を気になったのか,出て行かれたようだ。それが少し残念に感じた。そういう立場の方も引き込むことができればと思っている。


<宗田座長>
 おっしゃるとおりだ。本当に残念だ。託児の環境を整えるなど,色々な方法を我々も考えてこなかったわけではないが,やはりお母さんに審議会などの場で堂々と意見を言っていただけるということが,これからの時代は本当に必要だと思う。男女共同参画社会という掛け声のもとに,京都市の審議会も女性委員の比率を最低3分の1にするという,どちらかの性別が3分の1以下にならないようにするというものがあるのだが,数の問題ではないと思う。多様な立場の女性が参加できるようなモデルを作っていかないと各種団体の女性委員の方がずらっと揃うような状態になる。それが悪いといっているわけではなく,それも本当に必要なのだが,若い世代の母親を委員として受け入れる際のあり方のようなものは,これから検討をしていかなければならないと思う。竹下委員はいかがか。


<竹下委員>
 私も先ほどお子さん連れの方に「少しくらい愚図っても大丈夫ですよ」と声をかけたのだが,「子どもがどうしても我慢できないようなので出ます」とおっしゃられて,退出されたようだ。せっかく土日にフォーラムを開催したのならば,やはり託児についても配慮するべきだったと反省している。
 提案書についてだが,私の住んでいたところは田舎で住民のほとんど全員が町内会に入っていて,住んでいる人の全員の顔が認識できるようなところだった。そこでは市民参加は義務になっていて,ほとんど全員の方が市民参加を何らかの形でされている。一見理想的なところなのだが,それが義務やノルマになっていて,自分の気持ちから発生したものではない市民参加だと思う。やはりこれからは自分の自主的な気持ちで市民参加ができるようなまちづくりをしていければいいのではと思っている。
 それと第三者の立場で私自身の活動を振り返り,色々と反省すべき点がいっぱいあったということに気づいたことは,この二年間の成果だと思っている。梅津や本能のまちづくりのウェーブが湧き上がって,田舎の方にまで届けばまた京都市もどんどん変わっていくのではないかと思う。新しい気持ちでまちづくりに参画していけるような,そういう可能性をすごく感じていて,また皆さんに元気をもらったと思っている。


<宗田座長>
 そのウェーブを運ぶのは竹下委員のような方なのかもしれない。地域における女性の役割というものはもっと重要になってくるだろう。それでは江田委員から,参加しにくいと言われるサラリーマンの立場から一言お願いしたい。


<江田委員>
 参加しづらかったといえばそうなるのだが,この年齢になると少々融通を利かせられるようになってきたので,場合によっては休暇を採って参加させていただいた。他の委員の方々と違って,私は仕事の専門から言えばフォーラムとは全然関係ない立場で,特別に市民活動をやっていたわけではないので,どちらかというと「客観的に見ていた」という形だったかと思う。それだけに本音を言わせていただいたし,改めて提案書に掲載させている自分の発言を読むと,「余計なことも言っていたな」と思うところもあったので,もっと考えて発言しなければならなかったなと思いながら読ませてもらった。ただせっかく提案をまとめたので,色々な方に見ていただきたいと思っている。その点で言えば,どこに何が書かれているのかがすぐにわかるようなものを入れておかないと読むのがしんどいと思う。論点1から論点5まであるので,論点1は何が書かれていて,論点3は何を書いているのだといったあたりをわかりやすく示さなければならないのではないかという気がした。旅行パンフレットのように,「ここは何が書いてある記事だよ」と,何か印をつけなければならないのではないかと思った。その点が,今後,編集会議で考えていかなければならないところだと思う。
 それともう一つ感じたのが,私も定年を迎えたが,私のような年代の市民を,いかに市民参加の現場に引っ張り出してくるのか,というあたりがポイントになってくると思うので,その点を皆さんで考えていただければ,我々の年代も参加しやすくなるのではないかと思っている。


<宗田座長>
 定年になると参加しやすくなるというというお話だったが,現役だとどうなのだろうか。そこを突破しなければならないのだが。


<江田委員>
 定年になったからといって参加しやすいかといえば,そうではないように思う。逆に「今さら」という面もあるし,「我々に何を期待しているのか」ということがわからないという面もある。以前に意見を出させてもらったが,「定年を迎えたんだから,町内の役員をやりなさい」と急に言われても務めにくい面がある。具体的に何を期待しているのかを示していただければ参加しやすいのだが,ある日突然,町内の役をやれといわれても全然わからないと思う。その点を考慮しながら参加させていくことが必要かもしれない。


<宗田座長>
 求められて参加していくことが理想なのだが,なかなか求められるものではない。
 我々もそうだが,あまりやりたくないものは求められるが,本当にやりたいものからは滅多に求められないという面があるので,待っていてはいけないと思うのだが。強く働きかけていかなければいけないところがあると思う。


<西嶋委員>
 これから団塊の世代が定年を迎えるが,リタイアしてから「地域や自分の住んでいる都市のために何かやりたい」と思う人が何パーセントくらいいるのだろうか。「旅行にいきたい」とか「趣味をしたい」という話は良く聞くが,「地域のために」といった話はまず聞かない。


<江田委員>
 団塊の世代はどちらかというと「仕事一本やり」で生活を送ってきて,町内に溶け込んだりする経験がないので,急に「町内の役をやれ」と言われてもしんどい。例えば,我々の年代の市民を対象に,「あなたのやりたいことは何ですか」といった内容で行政がテーマを募集して,同じ考え方を持った人たちを集めて,ちょっとでいいから予算を措置して「やってごらんなさい」と任せてみてはどうか。“遊ばせる”と言えば語弊があるが,そういった作業をさせてあげられれば,参加してくる人も多いのではないかと思う。年間5万円でも10万円でもいいので。そういったことを通じて参加を求めていくということも必要ではないかと思う。


<西嶋委員>
 年齢層から見て,「50代くらいになったら自由がきく」とか「30代は無理だ」といった事情があるのだろう。50代くらいの方に,江田委員がおっしゃるようなことをしてあげれば,リタイアしてからもっと地域に力を注いでもらえるようになる。地域にとってもものすごく必要なことだ。


<江田委員>
 私の周りの例で言えば,57歳くらいで会社の役職から外れるので,そのあたりの人材をうまく活用できればいいのではないか。60代前半くらいの年齢層の方をうまく誘導していければと思う。


<西嶋委員>
 活動に参加するのは,55歳を過ぎてからということか。


<宗田座長>
 そもそもリタイア直前の男性も,奥さんと仲がよければ特に問題がない。手に職があって将来それをずっと続けていけるようならばそれも問題ない。それから隣近所と仲のよい方はほっておいても地域の役をされる。ところが奥さんとも仲良くない,手に職もない,隣近所との付き合いもないという方がNPOや市民参加やボランティアに暇を持て余してこられる。今の江田委員のお話はそういった方たちのリハビリみたいなものだ。そういうステージが必要だということだ。
 私は吹田市の総合計画の審議会の副座長を務めているのだが,委員の三分の一が公募委員でそのほとんどがリタイアさせた男性の方たちだ。そういった方たちを公募委員として参加させるステージまで持ってくることは大変なことで,正論を押し通そうとされる方たちが多い。それが悪いわけではないが,「どう協調していって合意形成を図るか」ということ,「分かり合おう」というところに欠けているところがある。今,敢えてこのテーマに時間を割いているのは,数年後にそういう方たちが町中に溢れるときがくるからだ。審議会にも来られると思うし,地域でも役職を務められるだろう。だからそれに対して我々がどういう対応ができるか,仲間に取り込んでいけるのか,というところが高度経済成長期の日本の清算をする意味でも,この社会をノーマライズしていくときに必要なことだと思う。


<大木委員>
 私は京都が右も左も分からない段階でフォーラムに参加させていただいたので,出遅れているのだが,提案書を非常によくまとめていただいてありがたいと思っている。 
 私はこの提案書を読んでいてわくわくする。私はこの報告書を作ると聞いたときに,「市政に市民が関わること」に関する報告書が書かれるのだと思っていたのだが,できあがったものはまったく違っていて,地域の人たちを全部巻き込んで,リーダーシップを持って起爆剤として活動していくような人,いわゆる「ソーシャル・アントレ・プレナー」が必要だという話にまとまっていて,それがすごく良かったなと思っている。市政参加には色々な捉え方があると思うが,この提案書を通じて,一人ひとりが元気になっていくというような方向付けができるのではないかと感じていて,たくさんの人にこれを読んでいただければいいと思う。ただ,この前に読んだときよりも盛りだくさんになっているので,全部読むのは結構大変なので「どうするのだろう」と思う面もあるのだが,私も良い勉強をさせてもらったと思っている。「ソーシャル・アントレ・プレナー」の話ならば違った視点でコメントを書いたのに,と今さらながら思ってもいるのだが。


<宗田座長>
 ちょっとソーシャル・アントレ・プレナーについてお話いただけないか。今後,住民運動を行うときの一つのスタイルなるものなのだが,現代社会では「何か行政に対して要求する」という形式の活動は古くなってきてしまった。一般市民にはあまり人気がなくてやりたがらない。それではそれに代わって,どういう形の参加の方式,スタイルがあるのか,どういう形で行政あるいは地域,市民団体に対して関わりを持っていくのかということを,皆さんがそれぞれ模索していると思う。その答えの一つがソーシャル・アントレ・プレナーという選択肢だ,というお話だと思うが。


<大木委員>
 ソーシャル・アントレ・プレナーとは,人を巻き込んで何かをしていこうとする人のことを指す。社会には様々な機関があって,行政や地元の企業,大学,NPOなどもあるが,それらをコーディネートしながら,自分ですべてを行うのではなく,アライアンスを構築していくことのできる人材,広いネットワークを持っている人たち,それが「社会起業家」と言われる人たちの概念だ。このフォーラムの委員の方々は,広いネットワークと高い意識を持っていて,ソーシャル・アントレ・プレナーとしての資質が高く,これからも活動を続けていただきたいと思う。


<宗田座長>
 そういう意味ではここにいらっしゃる長谷川委員や西嶋委員もソーシャル・アントレ・プレナーの実績があるわけだ。それがビジネスになればコミュニティ・ビジネスとなるし,非営利活動であればNPOとなるということだ。


<大島委員>
 ところで今後の段取りなのだが,今月中に編集会議を開催したいと思っていて,できればこの場で提案書の構成は固めてしまいたいと思っている。ただ文章表現で長い文を短くしたり,細かな語句修正は今後も行うが,特に3章と4章については固めていきたい。その点について,今日,決めていければと思う。


<宗田座長>
 その前に傍聴の皆さんから意見を伺いたいと思う。


<千葉委員>
 会社勤めをしていてなかなか市民参加との両立を図れない現状があるという江田委員の御指摘は,そのとおりだと思う。私自身も会社に勤めるようになって,時間を合わせることは大変なことだと感じている。ただ,私の参加している消防団にはそのような立場の方が何人もおられる。消防団は月に2回,必ず参加しなければならない日があり,どうしても仕事があると「仕方ない」ということになるのだが,参加できるときは参加するという,緩やかな拘束がある。そこに行かないと気持ちが悪いというか気分が悪い。自発的に参加する気持ちと,「行かないといけないから参加する」という義務のような気持ちが半々にあるのだと思う。どちらか一方だけではないと思う。やはり「市民参加はどんどんしなければならないものだ」というような仕掛けがどこかで必要だと思う。あまりにも本人の自由な意志に任せると,なんとなく近づきにくいものになってしまうと思う。
 それと2年前に思っていたことだが,「2年間で何かの結論を出して,こうあるべきだという答えを出すことが自分の使命なのだ」と思いを持って最初は参加していたが,一生懸命どうやって市民参加を進めていけばよいかということを考えてきた結果,「いまここに至っている」という報告をすることだけでも,すごく価値があるものなのだと今になって本当によく分かってきた。
 引き続いて第3期の委員をされる方には,更に議論を積み上げていっていただきたいと思うし,私も委員の任期が終了しても,傍聴などで参加させていただきたいと思っている。


<乾副座長>
 千葉委員がおっしゃった話はものすごく大事なことだと思う。確かに強制されたくない,自由に参加したい。でも地域で活動している人や市民活動で頑張っている人たちは,なかば嫌だと思いながらも,「参加してみたら面白い」「自分が求められていることの嬉しさを感じる」といった微妙で絶妙なバランスの中に存在しているようだ。求められる自分や自分と人との関係の中にいる自分みたいなものができあがったときに,結構,みんなうまくやっているという事実は,非常に大事な話だと思う。簡単なコツはないとは思うのだが。
 それと先ほどの定年の方の事例についてだが,すごく手間隙がかかることだし,地域の人や市民活動をしている人にとっては,「なんでそんなことをしなければならないんだろう」と思う人もいるかもしれない。しかし「あなたが必要だ」と言ってあげないと出てこないぐらい,みんな臆病なのだ。自信もないし,求められていないところに出ていくということはものすごく怖いわけだ。だから一人捕まえて「あなたが欲しい」と言ってあげればおそらく出てくると思うし,出てきたら人との関係ができあがって嬉しくなって,参加が続くと思う。しばらくの間は非常に手間隙がかかるのだが,中心になる人たちを育てるに当たっては,ひと手間かけないといけないと思う。竹下委員もそのような経験があると思う。お母さん達のなかで「あなたがいてくれたから助かった」と一言かけることで次から頑張ってくれるという,そのような当たり前のことを数多く作って人を巻き込んで行くことが,非常に大事なコツなのではないかと感じた。


<宗田座長>
 「人格」という言葉があるが,人格というものは色々な場面で違ってくる。会社人間というものは「会社的人格」というものがあって,家庭では「家庭的人格」というものがあって,もう一つ「社会的人格」というか「地域的人格」というようなものがあるわけだ。サラリーマンの方は長年,会社的人格を基調とされてきているから,会社的人格のまま,地域や家庭に入っていく場合もあり,それを変えていくということは結構難しいことだと思う。「あなたが欲しい」という言葉をかけて上手に地域に入ってきてもらって,地域社会的人格というものを上手にその人に演じてもらえるような演出をすると,その人も地域社会のなかで「みんなから好かれるやさしいお父さん」というような愛され方ができてくる。そういう演じ方ができるようにもってこないといけない。
 市民社会の中で市民社会的人格というものをどう作っていくのかということは難しいテーマだと思うのだが,「市民社会をつくる」ということは,「市民参加を推進するための市民参加的人格とはどのようなものか」ということにつながるのだと思う。これは男性だけではなく,女性でも独身で仕事をしているときの人格と,妻として,母親としての人格が違っていて,その人格の使い分けがうまくなされていくと,もっと女性の参加も広がっていくと思うのだが。


<西嶋委員>
 消防団に置き換えて考えると,リタイアされた人に「あなたが必要だから消防団に入ってくれよ」と呼びかけられても,消防団に入って査閲訓練のようなことを60歳にもなって,やれと言われてもやらないと思う。だからそれなりの地域の受け皿を地域活動の中で考えていかないといけない。60歳くらいからでも力を十分に発揮してもらえるような地域活動を考えていかないと。


<宗田座長>
 それでは休憩を挟んで意見交換を行いたい。

 

 

【提案書素案に対する傍聴者からの主な意見】
○1枚紙で,3分間で理解できるものを追加で付けて欲しい。
○分量が多いので,キーワードをもっと強調したり,見出しやレイアウトの工夫で,「ここに何が書いてあるのか」がわかりやすいようになると良いと思う。
○障害がある方々への,またこころを少々病んでいるような方々,いわゆるユニバーサル視点をもった参加型提案は?その点をもっとわかりやすく書いて欲しい。
○提案書は当フォーラムベースの内容に見えるが,他の審議会などの課題や,あるべき姿を提案して欲しい。
○他都市で進んだシステムでやっていることなどの参考事例も知りたく思う。
○フォーラムの目的・目標や現状課題が書かれていないように思う。具体策や事例が欲しい。
○せっかく幅広い活動をされている委員さんが集まっておられ,またフォーラムでの活動を重ねてこられているので,その活動をもっと詳しく濃く知りたいし,そこでのよりミクロで具体的なエピソードが,各論点の中での成功例や失敗例のような形で紹介されれば,より「市民参加」について、輪郭がはっきりする気がした。
○各々の論点につながっている部局の紹介を記入していただけるとうれしい。例えば、学校を通じた参加などであれば,教育庁の○○課や老人のことなら高齢課などハンドブック的な役割までとり入れると欲張りすぎるか?
○提案書はせいいっぱいのおもいが込められていていいと思う。
○各々の論点につながっている部局の紹介を記入していただけるとうれしい。
○「市民参加推進」という内容からか,委員の方々の質からか,軽い乗り,タッチで話し合われた事などが文になって,とっつきやすいものだと感じた。

 

【その他,市民参加に関する意見】
○レイアウトの改善やマイクの使用を行うなど,傍聴者への配慮や工夫が必要だと思う。
○傍聴の意見を聞いていただけるチャンスは流石のこの会議会だけだ。他の審議会ではせめてアンケートだけでも,と思うのだが,そのアンケートは集めるだけでなくせめて議事録を広報資料室でも公開するようにして欲しいものである。

お問い合わせ先

総合企画局 政策推進室 市民参加推進担当
電話: 075-222-3178 ファックス: 075-213-0443

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