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京都市消防局

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平成27年11月号 あの日あの頃

ページ番号189648

2015年11月2日


 私は,日本が経済の安定成長期であった昭和55年4月に,消防学校に入校しました。幸い体を動かすのは嫌いではなく,消防学校でのポンプ操法やロープ渡過もそれほど苦にはなりませんでしたが,当時,消防学校には30メートル10階建ての訓練塔があり,その最上階からのロープ降下訓練だけは…「今,やれ!」と言われたら,身が縮んでしまうかもしれません。

 消防学校卒業後に配置となった西京消防署では,新人ながら救助強化訓練に参加することができました。当時は救助強化訓練も毎日勤務で実施されており,陸上と水上を合わせると総勢50名程の大所帯で行っていました。私は,毎日,炎天下,ロープに無我夢中でしがみついていました。訓練に参加していたメンバーは消防レジェンドばかりで,「要救助者を救出する」ことに全力を尽くし,仲間として非常に強い連帯感がありました。他署の知らない人でも,私が救助強化訓練に参加している消防レジェンドの人たちとつながりがあるだけで認めてくれる…不思議な仲間意識もあり,私の消防人生のルーツと思い,感謝しています。

 体を動かすといえば,当時は非直日に各署対抗スポーツ大会が数多く開催されていて,新米はとりあえずフル参加が常識でした。テニス,駅伝,ソフトボール,バドミントンなどなど,お陰で他署の方に顔を覚えていただける良い機会でした。

 集まるといえば,花見,バーベキュー,一泊旅行,スキー会,ラーメン会などなど,とにかく職員同士の親睦を深めるお付き合いがたくさんありました。30年経った今でも続いているラーメン会は,早朝から開いているラーメン店に非番の帰宅途上に立ち寄り,チャーシューを肴にビールを飲み,締めにラーメンを食べるという,体にものすごく良さそうな(?)会です。今の健康志向な風潮とは真逆な生活を,私は送っていました。

 いずれにしても消防は「皆,兄弟」,体育会系のノリで,楽しくて厳しいところです。

 当時の消防署業務で忘れてはならないのは,受付勤務です。現在は当番員制になっていますが,隔日勤務者が昼夜交代で,消防署の玄関横に設けられた小部屋にて,災害等の受信,来客対応をしていたのですが,当務明けの朝に受付勤務に就くと,1当務分の市内の災害概要が音声で流れ,それを署内報告用に紙に記録しなければならないという,新人消防士にとって難業がありました。何せ業界用語の連続ですので,何を言っているのかわからず,ほとんど外国語の世界で,消防電話で他署の同期生にヘルプを求めたり,必死でした。

 私は,少しの毎日勤務を除き,ほとんど隔日勤務をしていましたので,さまざまな災害現場に出動し,数多くの「失敗」をしました。先輩方に多大な迷惑を掛け,また,失敗ではありませんが,ホース延長中に足場板が倒れて死に掛けたこともありました。その失敗の経験を自分の財産として,今も大事にしています。災害現場には同じものは2つとありませんが,現場到着時,周囲の状況をよく観察すると今までの失敗の経験により,どんな危険が潜んでいるのかが,何となく予測できるようになってきました。

 若い方には,いろんな業務を経験してほしいと思います。訓練も大切ですが,予防課員として企業の幹部の方と折衝したり,指令センター員として119番通報受信で冷や汗をかいたりして,視野を広く持てるようにしてほしいと思います。 

 私は,消防人として2度の大震災を経験しました。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災時,指令センターに勤務していましたが,「明日,神戸へ派遣」というときになって急遽中止となり,行くことができませんでした。2011年(平成23年)の東日本大震災時は第2次隊で宮城県南三陸町に派遣され,捜索活動に従事しました。消防生活35年で2回の震災経験を防災指導に生かし,大地震が京都に起きたときには被害が少しでも小さく済むよう,貢献したいと思います。

 消防学校卒業時には茶碗の洗い方すら知らなかった私を叱咤激励し,今日まで育てていただいた諸先輩方に感謝し,この原稿を書き終えます。




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