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京都市消防局

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平成27年8月号 あの日あの頃

ページ番号186177

2015年8月3日



 私は昭和49年4月に消防学校に入校し,4箇月間の研修を受け,消防署勤務になりました。

 消防局に入って驚いたことがあります。それは,私の誕生日が京都市消防局の出初式の日と同じだったことです。今は,成人の日が振替休日になり,出初式の日が固定されていませんが,以前は1月11日と決まっていました。これも何かの縁というものでしょうか?

 消防局に入ってからこれまでに一度,出初式がオイルショックで中止になったことがあるんです。皆さん,御存知でしょうか?


 私は,消防局に入ってすぐ独身寮(現在は職員待機宿舎)の元町寮に住むことになり,最初に勤務した消防署は北消防署でした。

 当時,望楼勤務(火の見やぐら勤務)というものがあったのですが,京都市内で望楼があるのは,下京消防署と北消防署の2箇所だけでした。忘れもしません!あの平安神宮が火災に遭ったとき,私は望楼勤務していたのです。大きな炎が赤々と燃え上っていた光景が,今でも目に焼き付いています。


 私は,これまで,同一課(署)の新庁舎・旧庁舎の両方で勤務した経験が2回あります。

 1回目は消防指令センターです。

 以前は,消防指令センターは市役所北庁舎の2階にありました。(今の寺町消防出張所の東隣になります。)私が勤務し始めた2年後に,新庁舎(今の消防局本部庁舎)が竣工,コンピュータを使用する消防指令センターの運用が決まっていました。旧庁舎での仕事は,通常の指令センター業務とコンピュータ等を使用し,運用するためのデータ作成でした。

 新庁舎建設後,コンピュータ運用で指令センター業務が実施されました。いろいろな機器が配置され,今までになかった業務が増えました。


 2回目は伏見消防署です。

 以前は,師団街道墨染上る東側にありました。新庁舎運用前の配置替えで,私は淀消防出張所勤務から本署の庶務係になりました。備品等のデータ処理を担当しました。パソコン処理が主な仕事でした。まさかデータ等の作成を,2回も新旧両庁舎で実施するとは,思いもしませんでした。

 余談ですが,このとき,私は糖尿病を発病してインスリンを打つようになり,酒の飲む量を医師から制限されるようになりました。つくづく,人には一生に飲める量が決まっているのだと思いました。


 私が消防局に入った頃,出動指令は音声のみで行われており,消防署では若手職員がそれをメモに取り,出動する先輩に渡していました。それからコンピュータが導入され,指令場所等が印字されるようになり,隊員にプリントアウトしたものを渡すようになりました。さらにその後,消防車両のナビ画面に指令場所が写し出されるようになり,今に至っています。懐かしく思います。

 現在は,災害場所,発生時間,出動隊数等の情報を消防車両内で把握でき,現場に着いたときの判断材料等になり,現場指揮本部を運用する面でとても有効です。高齢化が進めば,機械に頼るということがもっと多くなってくると思われます。

 しかし,コンピュータはデータで構成・稼動しているもので,その元となるデータを入力するのは,結局のところ,私たち人間です。その入力方法を誤ったり,誤ったデータを入力していたら,コンピュータはただの箱でしかありません。

 コンピュータは,事務処理能力や情報の交換等において,私たちが考えていた以上に進んでいます。しかし,消防の現場活動という点から見ると,人が動いて意思の疎通を図ることによって長年の経験等が生かされることを考えれば,コンピュータ化によって,意思の疎通を図るということが薄れてきているのが現状です。

 また,健康という面で,自己管理能力が徐々に失われていっているような気がします。日常生活を見渡せば,至る所で運動を取り除く環境ばかりが整えられています。それに適応していく自分に驚異を感じる次第です。これで本当にいいのでしょうか? 社会はどんどんコンピュータ化されますが,私たち消防職員はしっかりとした体力等がいまだ現場では必要とされています。コンピュータ化による現代文明の有様を見るにつけ,「健康を自己管理する」必要性を感じることが,私に今も走ることを継続させていると思います。今後もそうしたいと思っています。

 コンピュータ化によって現場活動が楽になった反面,私たちも歳を取っていくのです。あと残り少ない日々ですが,現場活動をより効率的に実施するために,私はコンピュータの勉強にも励みたいと思います。

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ファックス:075-671-1195