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京都市消防局

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平成27年7月号 ザ☆救助

ページ番号184237

2015年7月1日


 4月のある日,担当課長から突然,「ザ☆〇〇」の原稿の話をいただきました。

 何とか断ろうとしたのですが,課長命令ということで,若輩者ながら執筆をしたいと思います。

 私の入局からの配属履歴を挙げますと,消防隊に1年,救助隊に6年,救急隊に1年と,何とも中途半端な経歴をしており,「ザ☆〇〇」をどれにしようかと悩んだ結果,やはり一番経歴が長い「ザ☆救助」を選ぶことにしました。

 今回執筆させていただきますのは,救助事故での「辛かった現場」と現在「救急隊にいるわけ」について述べさせていただきます。


 ある夏の日,一日中,消防活動総合センターで救助訓練をした帰隊途上,H川右岸に人が倒れているとの内容の救助指令が入り,出動しました。一旦,出張所に立ち寄り,ラフトボート積載のうえ現場に向かい,現場指揮本部に到着すると,H川は増水のため右岸からの進入はできるが足場が悪いため救出は不能,また,日没直前ということでヘリコプターによる救出も不能,との判断が下され,ラフトボートを使用しての救出活動が下命されました。当時配置されたばかりのラフトボートを使えるのは人事異動直後もあり,私ともう一人の隊員の2名だけでした。活動現場に到着後,先着していた本部救助隊と共同で,要救助者のいる対岸まで数キロメートル線路上を,徒歩で使用資器材を搬送しました。

 対岸に着くと川にエントリーする場所までの落差数メートル,ボートに乗って対岸までは20~30メートルぐらいあり,大変困難な活動が予想されました。

 本部救助隊と共に,落差を降りてエントリーの準備は完了し,右岸にはN第1消防隊が到着し準備は整いました。応援のH救助隊が救命策発射銃を発射し,ロープを対岸に渡しボートをロープにつなぎ,いざ出発。濁流に揉みくちゃにされながら本部救助隊の副隊長である元教官,T消防士と私の3人で何とか要救助者のいる対岸に到着。しかし,これからが本当の救助活動。ロープのアンカーを替え,ボートと要救助者を上流へ移動し,次は4名で右岸から左岸へ。川を渡っているときのことは無我夢中であまり覚えていませんが,何とか無事に救助することができました。

 夕食も食べていない私とT消防士,救出後は当然,体がヘトヘトで,喉カラカラ状態で座り込んでいたところに,元教官が飴と飲料水を差し出してくれました。あのときばかりは,鬼教官が神様のように見えました。帰隊したのは午前5時前で,疲労のあまり交替までの記憶はありません。多くの救助技術を学んだ今回の現場ですが,一つの教訓として,自分の食糧と飲料水は常に確保しておくことを痛感した,辛かった救助現場の経験でした。


 昨年から救急隊として勤務しています。冒頭のとおり救助隊経験が長かったのですが,今は救急救命士を目指しております。今回はその理由を少し述べさせていただきます。

 あるとき,訓練中に不安になった時期がありました。救助現場で前線に行くことが多くなってきた頃,「この要救助者は,重症なの?軽症なの?命の危機が迫っているの?・・・分からん。」。救急の知識を全く持たない私が,救助現場の最前線で傷病者にしてあげられること,それはその場からとにかく早く救出するという,なんとも救助目線なことだけだったのです。救助現場では,救急隊員より救助隊員が最初に傷病者に接触することが多々あります。そこで観察等を行い,要救助者の症状を判断しなければならない場面が出てきます。そんなとき,私はどうしていいのかさえ分かりませんでした。結局は救命士に任せることになるのですが,救助隊員が救命士の資格を持っていたなら,現役救命士と同じ観察,判断,処置が可能になり,危険な現場に救急隊員を投入する必要もなくなります。

 今後,救命士の知識も習得した救助隊員も必要になるではないかと思います。そういったときにその一端を担えるようにと思い,現在,救急隊員として活動しています。

 将来,救命士になれるかは別の話として,今は救急隊員として現場活動から様々なことを学んでいます。

 厚かましくもこのような原稿を書きましたが,再びこのような機会がないように祈りながら,また救命士を夢見ながら,今後の消防人生を過ごしたいと思います。


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