スマートフォン表示用の情報をスキップ

京都市消防局

言語選択を表示する

スマートフォン表示用の情報をスキップ

平成27年5月号 あの日あの頃

ページ番号181248

ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

2015年5月1日


 昭和54年4月2日消防学校に入校し,半年間の初任科教育を受けました。

 午前中は座学の授業があり,午後は消防訓練・救助訓練及び消防体育で,同期生が52名いましたので,消防訓練と救助訓練については26名が1チームとなり,2日に分けて交互に3時間実施されていました。

 消防学校入校当時,消防の仕事は消火活動が主な仕事で,他のことについては,全くと言っていいほど知りませんでした。

 半年間の初任科教育が終了し,南消防署に配属になったときには,救助隊にあこがれていました。しかし,南部救助隊の隊員から救助資器材の取扱説明を受けていると,テキパキといかにも「自分たちは,これらの機材を使いこなし,人命救助に従事しているんや。」という自信と行動が,私にはとんでもない人たちがいる部隊に見えました。どう考えてみても南部救助隊を希望するような状況ではありませんでした。その1年後には,南部救助隊員を命じられ,救助隊の一員になりました。そこからが消防人生の原点となるべき数々の現場活動が始まりでした。


 京都消防の救助隊は,昭和37年10月に北・中京・南各消防署に北部救助・中部救助・南部救助の専任救助分隊3隊が配置されました。

 日本の消防救助隊は,1950年(昭和25年)代から一部地域で編成され始め,昭和40年に横浜市消防局が特別救助隊(横浜レンジャー),昭和45年に東京消防庁が特別救助隊(レスキュー隊)を設置したのに合わせて全国の消防が設置を始めました。


 昭和61年4月の消防法改正により救助隊が法的(消防法第36条の2)に位置付けられ,更にこれを受けて同年10月に救助隊の編成,装備及び配置の基準を定める省令(昭和61年10月1日自治省令第22号。以下「省令」という。)が公布(昭和62年1月1日施行)されたことに伴い,同省令に基づき市町村が配置する人命救助を行うため必要な特別の救助器具を装備した消防隊を救助隊としています。

 消防組織法第4条第2項第16号(昭和61年4月)に,国が行う事務を規定しているものであり,「人命の救助に係る活動の基準に関する事項」は「救助活動に関する基準」として昭和62年9月21日に消防庁告示として出されています。

 つまり,昭和61年4月(消防法改正)までは,救助隊の法的な位置付けはなく,消防本部が救助隊と名前を付けていただけで,法的には「消防隊」でした。


 南部救助隊には,3年間在籍していました。その間,新聞に掲載された火災及び救助事故で,私が出動したものだけでも名神高速道路での交通事故が4件,水難救助が2件,火災が5件ありました。昭和57年7月の早朝に発生した名神高速道路上での4tトラックと2tトラックの追突事故では,輸送中の蜜蜂300万匹のうち,約200万匹が巣箱から逃げ出て空が黒くなっているなか,横転したトラックの運転手1名を早期に救出した事故がありました。現場を離れた後,事故処理などの作業に当たった警察官,公団職員と付近住民など十数名が蜂に刺され,名神高速道路が3時間にわたり通行止めになったそうです。

 その他にも,当時の救助隊は,炎上火災では救助隊2隊が出動していましたので,京都市内(当時の火災件数年間220件前後)の3分の2の火災現場に出動し,建物の内部検索活動では,いつも防火衣がドロドロになっていたのが思い出されます。

 そのときの現場経験が,現在にも生かされていると自負しています。


 3人の息子がいますが,長男以外は他の消防本部に就職し,全国消防救助大会にも出場するようになりました。「親の背中を見て育ってくれたのかなって。」と,いいように思っています。

 ある日,長男の子供に「叔父さんもお祖父ちゃんも消防士やのに,どうしてパパは消防士じゃないの?」って言うような会話ができるようになりました。



  • 目次

お問い合わせ先

京都市 消防局消防学校教育管理課

電話:075-682-0119

ファックス:075-671-1195