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京都市左京区

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森京都 見どころ

ページ番号12394

2013年3月18日




   
  見どころ

 

百井の思子淵神社(ももいのしこぶちじんじゃ)


 安曇川の最南端の支流百井川に位置する神社で,古代に安曇川流域に住んでいた 7人姉弟たちがそれぞれ村を開き,そのうち百井を開いた一番上の姉が百井町の氏神様となり,氏子の守り神として本社中央にまつられている。毎年9月下旬の日曜日に行われる「湯上げ祭」は,大釜に湯を沸かし清めた笹束で湯をかき混ぜ,その笹についた湯を大きく撒きあげ厄払いをする素朴な行事です。

 

別所の三輪神社(べっしょのみわじんじゃ)

  別所上の町の蔵王権現を祀る金峰神社,中の町の三輪権現を祀る三輪神社,下の町の山王権現を祀る日吉神社の三社と毘沙門堂を一ヶ所に祀ってあります。三輪神社はご神体が山であるといわれており,杉とあて(あすなろ)の大木が境内にそびえています。神社の神主は別所に伝わるミヤザシキといわれる祭祀組織を主宰しています。街道沿いの鳥居から続く 150mを超える真直ぐの参道と,その両側に整然と棚田が広がっています。

 

花脊の大悲山峰定寺(はなせのだいひざんぶじょうじ)

 大悲山は,平安時代末期の久寿元年(1154年)山岳修験者である三瀧上人観空によって創建された峰定寺の境内として山全体が山岳信仰の地となっています。奈良の大峰山に似ているところから北大峰とも呼ばれています。峰定寺本堂は崖に臨んでいるので舞台懸崖造りになっており,工事雑掌には平清盛が任命されました。さらに大悲山周辺は古くは「鞍馬の奥」と称せられ,落人達の隠れ里で俊寛僧都の妻子が近くの谷で病没しました。境内に供養塔があり,この地は平家物語,源平盛衰記にもその名をとどめています。現在,聖護院の直末寺としてあり,毎年 9月17日に峰定寺開帳採燈大護摩供(護摩焚き)が行われます。大悲山は文化財建造物の本堂までの参拝道以外は入山禁止となっており,参拝の受付は4月から11月までの晴天の日に行われています。また,20人以上の団体は入山不可。

 

広河原の杜若家(ひろがわらのかきつばたけ)とカキツバタ

  広河原の一番南寄り・杓子屋町にある萱葺き民家。享保10年(1725年)の位牌があり,280年の歴史を刻んでいます。現在も斧はつりの大黒柱があります。  家の前の池には第 55代文徳天皇の第一皇子,惟喬親王のお手植えと伝えられているカキツバタの花が5月下旬から12月初旬まで道行く人の目を楽しませています。

 

久多の岩屋不動(くたのいわやふどう)

 久多川上流の“瀧谷”の手前“イヤ谷”で下車,地元の人しか判らない,不動明王をお祀りしている第一岩屋不動は,徒歩でぬかるんだ山道を歩き,急勾配の階段を上って,やっとたどり着きます。そこは,自然の岩石の洞窟になっており,何ともいえない荘厳さが感じられます。あと第二,第三の岩屋不動がありますが,そこは道なき道を,蔓を切り,小枝を払いながら進んで行かなければなりません。修験道の場として,厳しい秘境の地が地元住民によって守られています。


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京都市 左京区役所地域力推進室

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