銅駝学区

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2012年9月25日

面積:0.307k㎡
人口:2,803人(平成17年2月1日現在)

 

銅駝自治連合会に執筆を依頼

 

明治近代化の基地

だるま堂

 「銅駝」の名称は,漢の洛陽から西域への起点に駱駝の銅像があり,平安京も中国の都制に倣ったので,二条より北,中御門辺り迄の左右両京の坊名を「銅駝坊」と称していたことに由来して,明治二年九月二十一日に開校した「上京第三十一番組小学校」を,明治八年に第二代目知事植村正道が,「銅駝校」に改名したと伝えられています。
 その後「銅駝校」は戦後の学制改革で銅駝中学校となり,昭和五十五年以降は銅駝美術工芸高等学校となりました。「銅駝」は,東西文明の接点として美術工芸にもゆかりのある校名と言えるでしょう。校地は鴨川河畔より東山を望む絶好の位置を占めています。
 また,「銅駝」は時を経て,もう一つの東西文明の接点を担う舞台にもなりました。今も学内には維新の旧跡や公卿下屋敷の旧地や藩邸跡なども残り,門倉了以の作った高瀬川は江戸から明治期の物流の主役を果たしました。明治の始めには舎密局(理化学研究所),織殿,染殿,勧業場,療病院(府立病院の前進)などが置かれ,島津源蔵による島津製作所,前田又吉による京都ホテルも開業し,明治半ばには市役所も設置され,あたかも明治近代化の基地の様相を呈しました。
 現在,銅駝自治連合会は学区内の各町や各種団体などの親睦協調の要として機能し,「銅駝会館」と「銅駝史料館」を自治活動や各種の同好の場所として管理運営しています。史料館は明治初期と国定化以前の教科書類と地元資料を多数収蔵し,中には近衛篤麿が学校に寄贈した「通鑑鋼目」や,明治天皇が東幸に際して下賜した「天杯」も含まれています。

元木戸邸

 自治連合会の年間行事は,盛大な「区民盆踊り大会」や秋のハイキング,体育振興会が主催する「区民体育祭」などがあります。また高瀬川保勝会が行う「高瀬川舟まつり」や鴨川公園の美化を促進する「鴨川みそそぎ会」の活動,体育振興会が催す高齢者を対象とした「歩こう会」も定着してきました。
 近年は学区内にマンションの増加が著しく,その新住民と旧来の住民との「融和」にもこれらの諸活動が役立てば,と願っています。

平成17年2月
銅駝自治連合会 会長 大橋 堅造

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