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京都市北区

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リレー学区紹介-柏野学区

ページ番号56220

2009年2月1日

柏野:機音響くまち

柏野の町並みの写真

(市民しんぶん北区版「いきいき北区」 平成11年4月15日号より転載)
市政協力委員連絡協議会会長の前川禎男さんと社会福祉協議会会長の中村勉さんにお話をお聞きしました。

「かへの」森
 柏野学区は,かつては愛宕郡大宮村の南西,千本釈迦堂を中心とする「千本廻り」と呼ばれ,その名は「紫野なるかへの森」と藤原為家が詠んだように,古くは「かのへ」と言われ,京の七野の一つに数えられました。 明治8年,東紫竹大門村と合併,同22年の大宮村へ改称後,大正7年,京都市に編入されました。当時は,人家はまばらで,ほとんどが田畑や空地でした。直径5mの水車や牧場もあって,のどかな風景が広がっていました。 昭和初期にかけて,住宅建設が進み,寺之内通には荷馬車が通うなどにぎわう一方,現在の下柏野児童公園の隣には土俵が残り,子供たちの遊び場となっていました。


「世界にひびく西陣織の」
 学区内の人口増に伴い,昭和14年,第二待鳳校(現紫野校)から第四待鳳校が独立,同16年には「柏野国民学校」と改称されました。柏野小学校の誕生です。 上京区に接し,面積約0.23㎞と北区で最も小さい柏野学区には,約千 400世帯,4千人の方々が住んでおられます。 「世界にひびく西陣織の」と校歌にもあるように,最盛期にはほとんどの世帯が何らかの形で西陣織にかかわり,町中から「出機(でばた)」の機音が響いていました。 何かあればすぐ集まるなど,高い連帯意識で結ばれています。しかし,残念ながら最近は一時ほどのにぎわいはなく,出機も各町内でも数えるほどに減少しているようです。同じくピーク時には千人もいた児童も,今では150 人余りにまで減少しました。 学区内には,御土居の跡や門前横に鳥居のある福正院があり,お地蔵さんも多く見られます。また,いくつかの町内では,毎年11月3日に,町内安全を祈願して玄武神社にお参りする 「お千度(せんど)」が今でも続けられています。

世代をつなぐ
 柏野学区では,社会福祉協議会のもと,16の各種団体が連携をとりながら活動しています。
 平成5年からは,北区で最初となるお年寄りへの配食サービスを開始しています。毎月第二土曜日を「いきいきサタデー」とし,社会福祉協議会の役員でもある28人のボランティアが,32人のお年寄りのお宅に給食を届けています。昨年からは,柏野小学校の子供さんが自主的にボランティアに参加しはじめました。これは,お年寄りとの「ふれあい」を通じて,次代を担う子供たちに地域活動をつないでいく大きな役割を果しています。 このほか,ふれあい餅つき大会や年3回の会食会,地元病院の協力による血圧測定などいろいろな取組が行われています。 伝統産業である西陣織の低迷により,風情ある町並みに響く機音も,どこか寂しげに聞えますが,幾多の試練に打ち勝ってきた歴史とまとまりのよさで,今後とも,「柏野の心意気」を受け継いでもらいたい学区です。
(写真:由緒ある町並み)