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京都市北区

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リレー学区紹介-中川学区

ページ番号56219

2009年2月1日

中川:北山丸太のふるさと

中川の町並みの写真

(市民しんぶん北区版「いきいき北区」 平成11年7月15日号より転載)
自治会長で市政協力委員連絡協議会会長を兼ねられている森下敦男さんにお話をお聞きしました。

街道に沿って
 中川学区は,近世,西明寺領であった葛野郡中川村と,仙洞御料である小野郷十村のうち,杉阪村,真弓村の三地域からなります。 明治22年,杉阪,真弓は,隣接する小野,大森と合併して葛野郡小野郷村になった後,昭和23年,中川村とともに京都市に編入され,同時に,杉阪,真弓も中川通学区となりました。周山街道(国道 162号)が開通するまで,杉阪,真弓は丹波へ通じる山国街道により京見峠を越えて,また,中川は菩提道によって,それぞれ京都市街と結ばれていました。

歴史と伝統の三地域
 中川は,清滝川が町の中央を流れていることから,その名が付きました。「清滝川の両岸の山は急で,狭く谷に落ちている。雨の量が多くて,日のさすことの少いのが杉丸太の銘木が育つ,一つの原因ともいう」。川端康成原作「古都」には,こう記されています。 杉阪は,往来する人々から関所税を徴収する「率分関(そつぶんせき)」も設置されるなど,長らく交通の要衝として栄えました。また,平安三蹟の一人,小野道風を祭る道風神社や硯の水に適するという和香水があり,歴史を感じさせます。 真弓は,坂上田村磨呂が「杜仲(はびまゆみ)」で弓を作ったことから命名され,十数戸の住宅が田畑の中,間隔をおいてたたずみ,林道であった持越峠も整備が進み,生活道路として市街地への往来に利用されています。また,真弓は北山杉の発祥地として,中川地域は北山磨丸太の流通の地とされています。

環境を守る林業
 学区全体としては,全国的にも数少ない林業専業者が中心となる地域ですが,同様の奈良県吉野や秋田とは異なり,大都市に隣接し,通勤通学エリアでもあることから,市内へ通勤する世帯も見受けられます。 人口は少ないものの,面積は北区全体の6分の1を占め,大半が山林であることから,全市の酸素供給源になるとともに,保水力にも優れ,災害防止にも役立っています。こうした豊かな自然を破壊すれば,都市生活にも悪影響を及ぼすことにもなり,今後も,北山丸太の産地であるとともに,地球環境を守る役割も担っていく地域となります。

まちおこしのために
 核家族化が進み,市街地に居住して仕事だけ学区内に通う若い世代もあり,中川小学校の児童数が30人を切るなど子供の減少を食い止めることが大きな課題となっています。このため,今年4月からは,京都市で初めて,学区内の保育園を衣笠保育園の分園として指定を受け,市街地の子供たちとの交流を深めています。また,中川バイパスの開通により道路状況は改善されましたが,地域の活性化を図るため,従来の夏まつりをまちおこし事業として行うとともに,銘木北山杉産地としての振興に努めています。

がんばる若い世代
 中川学区では,自治会が母体となって社会福祉協議会や女性会,老人クラブ等の各種団体が地域の活動を行っています。
他学区に比べて,若い世代が中心となって活動し,特に消防団は20代の精鋭がそろっています。ただ,小人数で他学区と同様の活動を行うことは並々ならぬご苦労があり,また,快適なまちを維持していくためには,あらゆる相談が自治会に持ち込まれています。 森下会長は,「北山丸太を供給し続けていくことで,日本人の心のよりどころである和風建築の伝統を守りたい。そして,日本の文化を守る一翼を担うという使命感にも燃えている。技術革新が難しく,和室離れも進むなか,より一層,北山丸太のPR活動を積極的に行うとともに,より魅力ある学区づくり,地域の活性化のためがんばっていきたい」と話しておられました。
(写真:町並み)