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京都市北区

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リレー学区紹介-金閣学区

ページ番号56207

2009年2月1日

金閣:大北山の麓 風光明媚なまち

金閣寺の写真

(市民しんぶん北区版「いきいき北区」 平成10年9月15日号より転載)
市政協力委員連絡協議会会長の矢澤昭さんと社会福祉協議会会長の加地貞夫さんにお話をお聞きしました。

歴史と自然に恵まれて
 金閣学区は,昭和40年の第二衣笠小学校開校に伴い第二衣笠学区として誕生しました。区域は,明治22年の市制・町村制施行により衣笠村に合併するまでの大北山村と小北山村の一部からなり,北は鷹峯,東端には紙屋川,南東は小松原,等持院,南西は右京区と接し,大北山の峰々の麓に立地しています。
 学区内には,応永4年(1397),足利義満が創建に着手した北山殿を元とする鹿苑寺があり,金閣寺の名称で親しまれています。平成6年には世界文化遺産にも登録され,昨年創建600 年を迎えました。また,8月16日の夜,伝統行事である左大文字の送り火や,4月の第1日曜日には,京都で一番早い春のお祭りといわれる「北山お弓祭り」が,安産の神様として親しまれている敷地神社(通称わら天神)で行われるなど,多くの名勝,旧跡に恵まれています。

「開墾魂」
 学区の西部,原谷地域は大北山の一盆地となっており,終戦後中国東北部から引き揚げられた19戸の方々が入植され,一面の山林原野を開墾されました。現在は,市街化地域として宅地化が進み,当時の面影をほとんど,とどめていませんが,農協ひろばに建立される開拓記念碑「開墾魂」が入植者の辛苦を今に伝えています。

その名ゆかしい金閣小学校
 金閣小学校は,人口増に伴い地元有志の募金により用地を確保し,昭和33年に衣笠小学校宮敷分校として開校,40年には第二衣笠小学校として独立しました。また,43年には当時の氷室池を自治連合会が地元の協力を得て水利権を買い取り,市教育委員会に寄贈,運動場が拡大されました。
 更に,47年には「第二衣笠」の校名変更を図るため,知名度も考慮し,学区民の過半数の賛成を得て,現在の「金閣小学校」と改称されました。生徒数は昭和54年の千49人をピークに減少しましたが,原谷地域の宅地化により今年は 741人,22学級まで回復しました。クラブ活動やPTA活動も大変活発に行われています。半数以上の生徒は,原谷地域から学校との標高差が百メートルもある峠道を1時間前後かけて通学しています。 峠付近の道路も改良され,今後も宅地開発やマンション建設が予想され,しばらくの間は,区内で数少ない生徒数の増加傾向にある小学校となっています。

環境・美化推進
 発足当時25か町約2千 100戸であった世帯も,現在は,35か町約3千 700戸にまで増加し,連合会も,第二衣笠自治連合会,金閣自治連合会(昭和47年),そして現在の金閣社会福祉協議会(平成4年)と変遷してきました。「凶悪犯罪のない町」「火災のない町」「ゴミのない美しい町」を目標に21の各団体とともに,常に今日的な問題に正面から取り組んでいます。昭和50年には環境整備協議会を組織し,春秋の京都市美化運動へ参加しました。また,環境整備,保健協議会,PTA,長寿クラブや各町で美しいまちづくりを実行しています。特に空きビン回収については,過去3年間「モデル事業学区」として年間50トンもの回収実績をあげ,全市的取組のさきがけとなりました。

お年寄りにやさしく
 現在 638人おられる75歳以上の方に,社会福祉協議会が中心となって,布団の丸洗乾燥事業や一人暮らしのお年寄りへのお食事会を実施しています。また,学区内には,老人福祉施設「原谷こぶしの里」や「市衣笠老人デイサーピスセンター」があるなど,お年寄りにやさしい学区となっています。
 今年度は,京都市の実施している「生涯学習フェスティバル」事業のモデル学区として,高齢者と学区民のグランドゴルフ会や婦人同好会の作品展など,盛りだくさんな取組を予定されています。
(写真:金閣寺)