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我が学区の身近な歴史舞台再発見/まちの歴史と地名

ページ番号29815

2013年5月21日

 上京では、長い歴史の中でいくつもの営みが積み重ねられてきました。その中で、まちの歴史や出来事が土地の名前としていくつも刻まれてきました。地名とともに、暮らしの中の言い伝えや古老の語りを通じて、まちの記憶が今も受け継がれています。今回は小川学区を紹介いたします。

小川学区

 かつては学区のほぼ中央を南北に小川が流れており、その流れに沿って小川通があります。小川沿いには裏千家・表千家・武者小路千家があり、そして一条戻橋の鬼女伝説にまつわる場所など、歴史的にさまざまな由緒のある地域です。

 地域の歴史は、学区内の町名などからもうかがうことができます。寺院や公卿屋敷にちなむ名称もいくつかありますが、寺院等は所を変えて現在も実在します。実相院があった実相院町、本満寺跡の元本満寺町、智恩寺の跡の元百万遍町、行願寺の革堂町などです。また白峯神宮のある場所には飛鳥井家の屋敷、小川小学校跡地で特別養護老人ホームのある場所には久世家の屋敷がありました。

 実相院が他所へ移った後は、刀剣鑑定などで有名な本阿弥家の邸宅となりました。それも現在は西陣の町家が多く建ち並ぶ町へと変貌しましたが、町内の東西の通りを本阿弥図子と呼んでいました。また元誓願寺通小川東入には狩野元信の邸宅があったそうで、跡地の家の根太板(ねだいた)には狩野の家紋が付いていたとのことです。隣町にある弁天様は邸宅内の祠ではないかといわれています。祠といえば大峰図子の大峰殿も行願寺の祠ではといわれています。小川学区、そして上京は歴史の上に又歴史と語りきれない地域であります。

 またお寺の周囲の水濠の水が小川に出る所が水落町と呼ばれるようになったとのこと。小川は、近年の下水整備により川が埋設されるまでは大雨でよく氾濫した思い出があります。こうした地域の歴史の話は、史実と異なる所もあるかと思いますが、言い伝えや幼少時代の古老の話として、今も地域の中で語り継がれています。

 

<市民しんぶん上京区版平成19年11月15日号に掲載>

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