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上京区の史蹟百選 頼山陽書斎/山紫水明処

ページ番号12331

2008年10月21日

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頼山陽斎 山紫水明処
頼山陽斎 山紫水明処

 丸太町橋の西端から上流側を見ますと,民家の間に藁葺の小さな建物があります。ここは幕末の儒学者として著名な頼山陽(1780~1832)が晩年に書斎としていた山紫水明處です。
 山陽は文化8年(1811)に広島から京都へ出て塾を開きました。文政5年(1822),ここ鴨川の西,三本木に水西荘を建てて定住します。文政11年に山紫水明處を建て,そこで『日本政記』を完成し,歿するまでの5年間を過ごしました。
 抹茶を好まなかった山陽は茶室風でない離れ家として建てさせています。赤松皮付で節のある粗末な柱を使いながら,細部には凝った意匠や高価な林料を用い,山陽の好みが反映されています。天井に葭を並べ,縁側の手摺は水に強い栗を使い,壁や障子の腰には竹綱代を貼って通風をよくし,明障子にガラスを嵌めるなど,山陽晩年の経済力も反映しているようです。
 室内は4帖半の主室と2帖の次の間に半坪程の板の間からなり,鴨川沿いに縁側があります。床の間の横には天袋と棚があり,その下の地窓の網代戸を開けると涼風が入り,冬は雨戸を閉めて寒気を防ぐ工夫がなされています。山陽は著作や詩作にふけるとともに,気の合った友人たちをここに誘い,煎茶や銘酒剣菱でもてなしたのでした。
 この珠玉のような小庵は,幕末の文人の好みを知る貴重な文化財として,国の史跡に指定されています。

DATA
・東三本木通丸太町上る 南町

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