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京都市指定・登録文化財-有形民俗文化財(下京区)

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2020年4月6日

京都市指定・登録文化財-有形民俗文化財(下京区)

崇仁船鉾・十二灯装飾品(すうじんふねほこ・じゅうにとうそうしょくひん)

 崇仁船鉾・十二灯は,下京区崇仁地区より新日吉神社の祭日に曳き出される祭屋台である。同地域では現在,船鉾2基,地元でだんじりと称する十二灯1基を所有している。これらの祭屋台のうち2基の船鉾は,昭和30年代後半以降中絶していたものを,十二灯は第二次世界大戦中以降中絶していたものを地元有志の熱意により,かつて使用されていた木彫や金工品などを利用して復原したものである。
崇仁船鉾・十二灯装飾品

大船鉾装飾品(おおふねほこそうしょくひん)

 元治元年(1864年)の大火による焼失まで,祇園祭後祭の山鉾の最後尾を巡行していた大船鉾を飾っていた装飾品である。大船鉾は再興することなく現在に至っているが,焼け残った遺品類は,下京区四条町により大切に保管されてきた。鉾を装飾した懸装品をはじめ,神功皇后御神体人形とその周辺の調度品など121点が,幕末以前の制作年代と考えられるものである。懸装品の質は高く,綴織,紋織,刺繍などの技法を使った,前懸,後懸,水引,舵などが残されている。一部に改変跡などもみられるものの,ほとんどが作制当初の状態で保存されている。
大船鉾装飾品

綾傘鉾装飾品(あやがさほこそうしょくひん)

 綾傘鉾は,昭和54年に復興して巡行に参加した祇園祭山鉾で,現在は傘鉾を台車に建てる格好で巡行に参加しているが,元治の大火(1864年)に罹災する前は,傘を曳山(ひきやま)の上に載せた独特の形状であった。こうした曳山型の綾傘鉾は,天保5年(1834)に完成したもので,それ以前は,やすらい花の傘に似た傘と,棒を持った鬼形の踊り手を中心とした棒振り囃子の行列であった。伝存する遺品類は,この曳山型とそれ以前の綾傘鉾の両方のものが存在する。曳き車型となる以前の遺品としては,傘の頂部の飾りである鶏のつくりもの(木製・享保12年(1727)作),棒振り囃子の締め太鼓の演じ手(2名)がつけた飛出(とびで)面と癋見(べしみ)面(宝永5年(1708)作),そして傘の垂れ幕につけたと考えられる9統(すじ)の飾り房(文政11年(1828)作)がある。曳き車型の遺品としては,胴組の前掛,後掛,左右胴掛の4面の掛け物がある。いずれも黒と赤の羅紗地を縫い合わせた縞模様の上にカ紋を刺繍したものである。上部には縹(はなだ)色地に金糸で唐草文様を織り込んだ日本製の綴織が,下部には中国製と推定される紅地に唐草文様をあしらった緞子織がつけられる。以上,江戸後期の綾傘鉾の巡行の2つの形態をよく示す資料として貴重である。また,明治期のものではあるが,町内に残された資料である,「傘鉾再興ニ附行荘規則書」(明治14年)及び囃子の採譜である「祇園囃子」(明治7年)を附とする。

綾傘鉾装飾品

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