京都市指定・登録文化財-美術工芸(上京区)

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2016年4月7日

京都市指定・登録文化財-美術工芸(上京区)

紙本金地著色曳馬図扁額 曽我直庵筆(しほんきんじちゃくしょくひきうまずへんがく そがちょくあんひつ)

 慶長15年(1610)に豊臣秀頼が武運長久を祈願して奉納したもの。2面1対となる総金地画面に,静動対照的な馬と馬丁を華麗な色彩で描く。

紙本金地著色曳馬図扁額 曽我直庵筆

紙本金地著色唐獅子図 4曲屏風 狩野山楽筆(しほんきんじちゃくしょくからじしず よんきょくびょうぶ かのうさんらくひつ )

 金地に巨大な唐獅子を描く。当初は障壁画の一部であった可能性が高い。桃山時代の画家狩野山楽の作。

紙本金地著色唐獅子図 4曲屏風 狩野山楽筆

紙本金地墨画楼閣山水図 6曲屏風 狩野山楽筆(しほんきんじぼくがろうかくさんすいず ろっきょくびょうぶ かのうさんらくひつ)

 金地墨画という手法を用いた作例としては最古の部類に属すもので,山楽の基準作例としても貴重。

紙本金地墨画楼閣山水図 6曲屏風 狩野山楽筆

紙本墨画竹林七賢・商山四皓図 6曲屏風 狩野尚信筆(しほんぼくがちくりんしちけんしょうざんしこうず ろっきょくびょうぶ かのうなおのぶひつ)

 右隻に商山四皓図,左隻に竹林七賢図を配す。共に中国古代の隠士を描いたもの。狩野探幽の次弟・尚信の,潤った墨色を持つ軽妙洒脱な壮年期の作例。

紙本墨画竹林七賢・商山四皓図 6曲屏風 狩野尚信筆

紙本著色花鳥図 6曲屏風 狩野永納筆(しほんちゃくしょくかちょうず ろっきょくびょうぶ かのうえいのうひつ)

 一双に春の景観を描く。筆者の狩野永納(1631~97)は狩野山楽を祖とする京狩野家の三代目。
紙本著色花鳥図 6曲屏風 狩野永納筆

絹本著色渡辺浄慶妙慶夫妻像(けんぽんちゃくしょくわたなべじょうけいみょうけいふさいぞう)

 室町時代末期における妙蓮寺の復興に寄与した同寺檀徒渡辺浄慶妙慶夫妻を描いた伝統的な大和絵肖像画の遺品。日蓮宗を信奉する近世初期の富裕な町衆を描いたものとして珍しいだけでなく,本格的な夫妻像の古例としても貴重なもの。制作時期は図上の妙蓮寺第12世日堅の墨書等から,浄慶没後,妙慶及び日堅の存命中,すなわち永禄8年(1565)以後,同13年(1570)までの間とわかる。

絹本著色渡辺浄慶妙慶夫妻像

絹本著色日親上人像(けんぽんちゃくしょくにっしんしょうにんぞう)

 本法寺の開山日親の肖像画の優品。本法寺第3世日澄によって,画面上部に法華経の経文,像右脇に像主名,下部に「日澄」と「日應」の願主名が記されたと考えられ,彼が制作の中心人物と推測される。制作年代は,日澄が第3世となった延徳元年(1489)から彼の没年(1515)までの間が想定される。また,本図の作者については,『等伯画説』の記述等から狩野正信と推測される。
絹本著色日親上人像

絹本墨画淡彩花鳥図 座頭屏風 狩野探幽筆(しほんぼくがたんさいかちょうず ざちょうびょうぶ かのうたんゆうひつ)

 座頭屏風は禅宗本山系寺院の調度の一つで,儀式の際に用いられる一対の小型の衝立。本作例は4面すべてに花鳥画を配したもので,1基に「梅に鳩図」と「蓮に鶺鴒(せきれい)図」,もう1基に「竹に雄鶏図」と「柳に尾長鳥図」が描かれている。簡潔で柔らかな水墨描写が顕著な本作は,江戸幕府御用絵師・探幽が慶安元年(1648)に制作したもの。
絹本墨画淡彩花鳥図 座頭屏風 狩野探幽筆

紙本墨画十六羅漢図(しほんぼくがじゅうろくらかんず)

 本図はもと壁貼付で,現在は4画面に分割され,掛幅に改装されている。「狩野法眼元信筆七十五歳」の款記と朱文壺形「元信」印があり,天文19年(1550)の制作とわかる。桃山様式の萌芽といってよい動的表現や部分的にやや形式化した描写も目につくところから狩野元信が高弟を動員して制作した工房制作と考えられる。
紙本墨画十六羅漢図

紙本金地著色男女遊楽図 6曲屏風(しほんきんじちゃくしょくだんじょゆうらくず)

 総金地の中屏風に,琴棋書画に見立てられた遊びに興ずる十二名の男女がリズミカルに配された,近世初期の室内遊楽図。人物のポーズや着物の文様・色,裾の形等に「彦根屏風」(国宝・彦根市所蔵)との共通項が多く,同時代の翻案作品と考えられる。さらに本図は後世の遊楽人物図に影響を与えている。保存状態の良好な近世初期の風俗画の佳品として貴重。

紙本金地著色男女遊楽図 6曲屏風

今宮神社沢瀉鉾吹散(いまみやじんじゃおもだかほこふきちり)

 吹散は剣鉾が差される際に棹頭から吊り下げられる一条の布地。制作年代,作者名が織り込まれており,綴錦の歴史を知る上での基準資料となる19世紀の貴重な作例。
今宮神社沢瀉鉾吹散

橘松竹鶴亀蒔絵文台及硯箱(たちばなまつたけつるかめまきえぶんだいおよびすずりばこ)

 北野天満宮での連歌において用いられた文台と硯箱で,硯箱の底に記された銘文によると,豊臣秀吉の右筆であった山中長俊が,河越弥左衛門なる人物に命じて制作させ,慶長2年(1597)に奉納したもの。作者,奉納年月,寄進者を明らかにする基準作例として貴重。
橘松竹鶴亀蒔絵文台及硯箱

梵鐘(ぼんしょう)

 当寺鐘楼に懸けられている鋳銅製の本梵鐘は,康暦元年(1379)7月に円阿弥陀仏の勧進により,京都の鋳物師と思われる大工藤井国安が制作したもの。鎌倉時代の様式を受け継いだ南北朝時代のもので,鋳肌がやや荒いものの形姿が整い,制昨年,作者,勧進僧が明らかにする点で貴重。

梵鐘

金銅菊桐文釣燈籠(こんどうほうおうきくきりもんつりどうろう)

 本釣燈籠は,北野天満宮に伝わる釣燈籠のうち,慶長2年(1597)という最古の銘文をもつもの。釣燈籠は桃山時代以後,鉄や銅を素材とした鍛造品が主流を占めるようになるが,本釣燈籠は2基ともに銅薄板による鍛造品で,そうしたなかでも早い時期のもの。また,銘文から,奉納者が伝承通り豊臣秀吉・秀頼父子に特定しうる。

金銅菊桐文釣燈籠

版本謡本 百番(嵯峨本)(はんぽんうたいぼん ひゃくばん さがぼん)

 本書は観世流能の謡本で,八坂神社所蔵本と同じく嵯峨本の一つ。嵯峨本は,豪商角倉素庵が慶長10年(1605)頃からほぼ10年間にわたって出版したもので,表紙などに雲母摺り絵を施し,本阿弥光悦の書風による版下を使用する点に特色がある古活字本。現存する数少ない百番揃いであり,出版文化史上においても価値が高い。
版本謡本 百番(嵯峨本)

ジャカード機  200口 荒木小平作(あらきこへいさく)

 ジャカード機は織機の上部に備え付ける紋織機のこと。本機は国産最初期のもので,西陣の近代化を考える上で欠くことの出来ないもの。
ジャカード機  200口 荒木小平作

上京文書(かみぎょうもんじょ)

 元亀4年(1573)7月の織田信長朱印状を最古として以後幕末までのものを含む。なかでも,中心をなす天正年間(1573~92)の15点は,桃山時代の京都を知るうえで興味深い文書。
上京文書

室町頭町文書(むろまちかしらちょうもんじょ)

 当町宛のものと上京中または立売組宛のものの2系統からなる。前者には室町幕府が発給した禁制等があり,後者には永禄12年(1569)の織田信長精撰追加条々等が含まれる。
室町頭町文書

聚楽教育会所蔵文書(じゅらくきょうかいしょぞうもんじょ)

 既に慶長から元和年間(1596~1624)には成立していたと考えられる上京の町組・聚楽組に伝わった文書を主とするもの。
聚楽教育会所蔵文書

ジャカード機  400口 ヴェルドール式

 ジャカード機はフランス人ジャカール(1752~1834)が発明。本機は20世紀初頭に鳥居清三郎等により輸入された,フランス・リヨン製造のもの。
ジャカード機  400口 ヴェルドール式

ジャカード機 1300口 ヴェルドール式

 フランス人ヴェルドールが発明したもの。西陣織物館蔵のヴェルドール式ジャカードとは口数が異なるものの,製造や製造会社は全く同じ。

ジャカード機 1300口 ヴェルドール式

ジャカード機 1300口 ヴァンサンジー式

 ヴァンサンジー式はそれまでのジャカードに比べ小型で踏足の軽い点に特徴がある。国産のヴァンサンジー式普及以前に輸入されたものの一つ。
ジャカード機 1300口 ヴァンサンジー式

紙本著色十六羅漢図 渡辺始興筆(しほんちゃくしょくじゅうろくらかんず わたなべしこうひつ )

 本図は立本寺の本堂仏壇後壁に描かれる十六羅漢図である。筆者の渡辺始興(1683~1755)は18世紀前半の京都で活躍した画家。近衛家熙(予楽院)に仕え,禁裏の画事も担当するなど,当時の京都画檀にあって高い地位を占めていた。本図は始興が64歳の時に描いたものであり,始興の基準作として重要である。また,始興が京の寺院に障壁画を描いたことは文献にも記されるが,本図は建造物とともに現存する貴重な例と言える。

紙本著色十六羅漢図 渡辺始興筆

木造金剛力士像面部残欠(もくぞうこんごうりきしぞうめんぶざんけつ)

 金剛力士像のうち吽形の面部の残欠である。ヒノキ材の寄木造で3材を矧いでおり,木寄せの方向等から,当初は2体一対のうちの右方像(向かって左側)であったと考えられる。裏面に墨書銘があり,文永10年(1273)8月に,仏師法橋覚円によって造立されたことが判明する。本像が伝来した立本寺は元亨元年(1321)の創建で,当初の安置寺院から移された経緯等は不明。作者の法橋覚円は,『弘安三年長谷寺建立秘記』に記される奈良・長谷寺の十一面観音像再興に参画した「上野法橋覚円」にあたる可能性が高く,運慶の流れを汲む慶派仏師の1人と見られる。岐阜・即心院蔵の清凉寺式釈迦如来像が平成14年の修理で,文応元年(1260)の「覚円仏子」の作であることが判明したが,本像はそれに次ぐ2例目の実作品。残欠ながら,鎌倉末期の慶派仏師の事績を伝える貴重な遺品。
木造金剛力士像面部残欠

紙本金地著色萩芒図(しほんきんじちゃくしょくはぎすすきず)

 6曲1双の総金地の屏風に,秋草の萩と芒(すすき)を描く作品である。両隻の端に押される「等伯」印は,桃山時代に活躍した絵師,長谷川等伯(1539~1610)の基準印で,慶長4~8年(1599~1603)まで使用が確認されるため,本図もこの時期の制作と考えられる。右隻には白い花を付けた萩が,左隻には芒が描かれている。両隻とも右から左へ吹き抜ける風が表現されており,丁寧な描写と卓越した構成力,加えて背景の金地の効果で,たいへん華やかな画面となっている。 等伯の金地著色画(金碧画(きんぺきが))といえば,智積院障壁画(国宝)が有名だが,現存作品数は少なく,本図は数少ない等伯の金碧画として貴重である。
紙本金地著色萩芒図

板絵著色忠度最期図 西川祐信筆(いたえちゃくしょくただのりさいごず にしかわすけのぶひつ)

 本図は北野天満宮の絵馬所に懸けられた西川祐信(すけのぶ)(1671~1750)筆の絵馬である。銘文墨書は薄れて判読が困難だが宝永8年(1711)4月下旬の年紀があり「宿坊能貨(のうか)」と記される。同社の『宮仕(みやじ)記録』宝永8年4月20日条にある「能貨入来,明日大絵馬打申候」が本図に該当すると思われ,翌21日に懸けられたと判明する。奉納者の安井多重郎については未詳。本図の主題は『平家物語』巻第九の「忠度最期」で「源平合戦図屏風」等の『平家物語』に取材した絵画でも取り上げられる。西川祐信は絵本や肉筆美人画で知られた京都の浮世絵師で,祐信の確実な在銘本は38歳まで確認できないが,絵本や肉筆美人画で次第に頭角を現し,当時「浮世絵の聖手なり」と称賛され,鈴木春信などに多大な影響を及ぼした。祐信は晩年に数種の武者絵本を出版し,肉筆画も小品の美人画が多いが,本図は大画面の武者絵も破綻なく描ける技量がうかがわれる祐信壮年期の貴重な基準作である。
板絵著色忠度最期図

板絵金地著色曳馬図 渡辺始興筆(いたえきんじちゃくしょくひきうまず わたなべしこうひつ)

 本図は寛延3年(1750)2月に北野天満宮へ奉納された絵馬で現在は絵馬所に懸けられる。同社の『宮仕(みやじ)記録』寛延3年2月23日条にある「能悦(のうえつ)旦中ヨリ一間余之絵馬掛申度(もうしたき)旨,常円(じょうえん)立合」が本図に該当し同日に懸けられたと見られる。奉納者の長野美末については未詳。筆者は,画面中央下部の落款(らっかん)から渡辺始興(しこう)(1683~1755)と知れる。始興は近衛家熙(いえひろ)(予(よ)楽院(らくいん))に仕え,禁裏の画事も担当するなど,18世紀前半の京都画壇で高い地位を占めた。写実性を絵画に取り入れつつ,既成の流派体制に縛られず様々な様式や技法を研鑽した始興は,18世紀半ばに活躍する円山応挙の先駆的存在として高く評価されている。本図の主題は馬を曳く仕丁(じちょう)の姿を描いた曳馬図で,絵馬に多く見られるが,典型的な激しい動勢はなく,足踏みする馬とその手綱を曳く仕丁の姿に極めて自然な動きと力の加減が描出される。

板絵金地著色曳馬図

金銅三鈷杵(こんどうさんこしょ),金銅独鈷杵(こんどうとっこしょ)

 本作は, 圓浄宗(えんじょうしゅう)大本山廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)(以下廬山寺(ろざんじ))に伝来した二口の金剛)杵(こんごうしょ),三鈷杵(さんこしょ)と独鈷杵(とっこしょ)である。三鈷杵は,円形の張り出しの強い鬼目(きもく)など平安時代後期の特徴がよく見られ,この時期の優品として知られる奈良国立博物館蔵(川端康成氏旧蔵)金銅三鈷杵に近いが,これに比べ,やや温和な作風を示すことから,12世紀後半の製作と考えられる。独鈷杵は,鬼目は楕円形になるなど鎌倉時代の特徴が認められるが,前代の作風も残っており,現存遺品では13世紀前半の製作と見られる東福寺蔵金銅独鈷杵に近く,製作時期も近いと考えられる。本作は,木製木瓜型厨子(もっこうがたずし)に祀られ,廬山寺住持・良秀(りょうしゅう)(~1584年)筆の『由緒書』を伴っている。『由緒書』によれば,比叡山延暦寺第18世天台座主(てんだいざす)元三大師良源(がんさんだいしりょうげん)が鬼退治に使用した法具で,三鈷の鈷部(こぶ)の欠損は,鬼が食いちぎったものとされている。良源は,平安時代に活躍し,比叡山中興の祖として知られる高僧で,廬山寺の開基とされる。本作は,良源在世時まで遡るものではないが,三鈷杵が平安時代後期,独鈷杵が鎌倉時代に遡る貴重な一具として,指定にふさわしい作例であり,一方,現在この二杵と不可分の関係にある『由緒書』と木製木瓜型厨子は,廬山寺における元三大師信仰の展開を考えるうえでも極めて示唆に富む資料であるため,二杵に合わせ,附として加えることにする。
金銅三鈷杵
金銅独鈷杵

朝鮮通信使関連資料(ちょうせんつうしんしかんれんしりょう)

 本資料は,相国寺の塔頭慈照院に伝来した朝鮮通信使の遺墨類である。江戸時代,朝鮮通信使は,慶長12年(1607)を第1回として,文化8年(1811)まで12回にわたって来聘した。朝鮮との折衝に当たり,幕府は京都五山の碩学僧から適任者を選び,対馬の以酊(いてい)庵へ派遣した。慈照院からは5名の僧が以酊庵に赴任しており,中でも別宗祖縁(べっしゅうそえん)(1658~1714)は,元禄13年(1700)5月から同15年6月まで以酊庵に赴任し,加えて正徳元年(1711)の通信使に接伴僧として江戸まで同行した。多数の朝鮮通信使の遺墨類が同寺に伝来するのはこのためである。 本資料の核となるのは,別宗が正徳元年の通信使から贈られた肉筆詩箋等71点を「韓客詞章(かんきゃくししょう)」と題して4巻の巻物にまとめたものである。正使趙泰億(チョテオク)などが別宗の人柄や詩文の才能を称賛した詩が大半で,富士山や淀の水車等,景観を詠んだ詩も見られる。使節が持参した朝鮮製と思われる料紙を使用しており,良好な保存状態と言える。また,別宗は天和2年(1682)の通信使来日時にも,京都・本圀寺で,通信使と詩を交しており,その肉筆詩箋も「風雲際会」と題した巻物2巻にまとめられている。このほか,現在二曲屏風3隻に貼り交ぜられた書画類48点は,最後の通信使となった文化8年(1811)の使節に関連するものが多い。朝鮮通信使の遺墨類は,通信使の往還路などで,文人墨客等が詩文の唱応や揮毫を求めたため,各地に伝存しているが,本資料ほど大量かつ良質な肉筆詩箋が伝来した例は稀であり,通信使と接伴僧の親密な交流がうかがえる点で重要な資料と位置付けられる。また,書画類についても,以酊庵輪番僧を輩出した寺院ならではのまとまりを見せており,貴重な資料と言える。
朝鮮通信使関連資料

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