新指定・登録文化財 第30回京都市文化財

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2016年4月7日

  京都市では京都市文化財保護条例に基づき,文化財の指定・登録を毎年行っています。

 平成24年3月に京都市文化財保護審議会から答申を受け,新たに4件を指定し,2件を登録しました。(平成24年3月30日告示)

 これにより,京都市指定・登録文化財は全部で486件になりました。(平成24年4月1日現在)

*〔 〕内は,文化財の所有者名です。

有形文化財(建造物)

五社神社本殿

五社神社本殿 1棟 (登録)

〔京都市西京区下津林楠町 五社神社〕  

   五社神社は,西京区下津林に所在する。当社は旧下津林集落の東南に鎮座し,天手力男命(たぢからおのみこと)をはじめ10座の諸神を祀る。当社の創建は詳らかではないが,本殿前東側に建つ石灯籠に暦應二年(1339)の刻銘があり,中世には成立していたことが推測される。 現在の本殿は棟札により文化6年(1809)に建築されたことがわかる。

   建物は奥行にくらべ間口の広い一間社流造(ながれづくり)で,身舎(しんしゃ)正面の柱を省略して一間とした二間社の変形とも考えられる。本殿の細部に着目すると,素木(しらき)造りで彩色をほとんど用いず,柱上の組物は舟肘木(ふなひじき)にとどめるなど,装飾が控え目である一方,神座のある内陣の正面に対しては装飾的考慮が払われており,特に内陣の正面性が強調されている。また,身舎側面中央柱の柱頭の納め方として,柱頭に大斗(だいと)を据え,妻虹梁(つまこうりょう)の眉を含み込んで支持するという,構造的な特徴として,あまり例がない納まりをもつ。

   当本殿は,単純かつ素朴な形態を温存しつつ,建築各部で洗練された変則的手段を用い,平面形式や構造技法の独自性をもつ建物といえる。建築年代も明らかであり,覆屋の中に建ち保存状態も良好であることからその価値は高い。

美術工芸品(工芸品)

木製五輪塔
製五輪塔 1基 (指定)

「入道西念」「己卯歳平治元年十二月九日施入僧寂念」等の墨書がある

〔京都市左京区久多 久多自治振興会〕

   本品は,ヒノキと見られる針葉樹の芯の部分を軸とした竪一材から彫成されており,地輪の下に基壇が備わっている。空輪と地輪,基壇に納入孔があり,X線撮影で,空輪には舎利らしき物質が,地輪,基壇にも納入品が確認された。空輪から地輪には梵字が墨書されており,基壇には「己卯歳/平治元年/十二月九日/施入僧寂念」,「入道西念」などの墨書がある。平治元年(1159)12月9日は,平治の乱が勃発した日に当たり,年紀を信頼すれば,本品は平安末期に遡る五輪塔の遺品と言える。

 五輪塔の現存遺品は平安後期から確認されるが,年代の判明する例は少なく,本品は木製としては現在知られる最古の五輪塔であり,納入品が確認された最古例でもある。墨書の「入道西念」,「施入僧寂念」は,それぞれ峰定寺の開祖である観空西念と,常盤(大原)三寂と称される藤原為業(ためなり)であった可能性がある。

   以上,本品は銘文により製作年代が推定できる平安末期の貴重な五輪塔の作例であるとともに,木製五輪塔として,また納入品が確認できる最古の遺品として貴重である。

美術工芸品(考古資料)

三条せと物や町界隈出土の「桃山茶陶」

三条せと物や町界隈出土の「桃山茶陶(ももやまちゃとう)」(中之町出土品) 970点 (指定)

〔京都市中京区上本能寺前町 京都市〕 

   平成元年に京都市中京区三条通柳馬場東入中之町の立会調査で多量の「桃山茶陶」が出土した。中之町には,慶長末年~寛永年間の屏風や絵図から,焼き物屋が存在し,「せと物や町」と呼ばれていた。出土地点は,三条通に面した屋敷の裏側の穴や井戸からで,完形品がほとんどなく,窯道具が認められることから,まとめて窯買いした製品を選別し,廃棄した商品と推定できる。

    出土品は美濃・瀬戸産の製品が多く,黄瀬戸,瀬戸黒,志野,鼠志野,織部(織部黒・青織部・鳴海織部・赤織部・黒織部・総織部・志野織部),美濃伊賀,美濃唐津などで,他に唐津・高取産や京都産軟質施釉陶器,焼締陶器,輸入陶磁器,土師器が認められる。器種としては,茶碗や向付など,茶の湯の席で使用されるものが大半を占め,産地を越えて共通する意匠も多い。これらは共伴する土師器皿から,元和年間(1615~24)の年代が与えられる。

   本品は,窯跡以外では最大の出土量であり,中之町が主として美濃・瀬戸産の茶陶を扱う陶磁器商店(瀬戸物屋)であったことを裏付けるだけではなく,需要に応じて全国に向けて茶陶を流通させる要であったことを示す。伝世品にないものも存在し,流通段階での取捨選択を示唆するものとして,「桃山茶陶」の全容を明らかにしてゆく上で,本品は必要不可欠な存在と評価できる。

民俗文化財(無形民俗文化財)

建仁寺四頭茶礼

建仁寺四頭茶礼(よつがしらされい) (登録)

〔京都市東山区小松町 建仁寺四頭茶礼保存会〕 

 建仁寺四頭茶礼(よつがしらされい)とは,毎年4月20日の栄西禅師の降誕会に続いて行われる四頭茶会での喫茶儀礼である。

 正客4名にそれぞれの相伴客8名の合計36名に対し, 供給(くきゅう)の雲衲衆(うんのうしゅう)(修行僧)が給仕する。醤油で炊いた蒟蒻などを盛った縁高(ふちだか)と抹茶入りの天目茶碗を配った後,口に茶筅を挿した浄瓶(じんびん)を持って,客人が捧げ持つ天目茶碗に湯を注ぎ,茶筅で点てる。この時,供給は正客の前では胡跪(こき)(左立膝)するが,相伴客の前では中腰のままである。

 この作法は,すでに室町時代の『条々聞書』(1528年成立)に「菓子はふち(縁)高にすはり候也、七種五種、長老の前けんさん(建盞)の上にふち高をすへて被出候也」「天目も茶を入候て盆にすへて持て出候、是を一ヅツ被取候、扨とうびんに湯を入、口に茶せん(筅)をさして持て、湯を天目に入て、そとふりて被通侯、喝食小僧の役にて候、立ながら茶せんをふられ侯」とみえ,現在の四頭茶礼とほぼ共通する。

 建仁寺では,江戸時代には開山忌の食事儀礼の一部として行われていたが(『東山建仁禅寺月分須知』),昭和29年より,降誕会に茶礼のみ独立した四頭茶会となった。

 茶の湯が成立する以前から伝わる喫茶儀礼で,椅子による唐礼から畳の上での坐礼への過渡期の形式を伝え,貴重である。

記念物(史跡)

妙光寺境内

妙光寺境内 (指定)

〔京都市右京区宇多野上ノ谷町他 妙光寺〕  

 右京区宇多野に所在する臨済宗建仁寺派の寺院。弘安8年(1285)に,花山院師継(かざんいんもろつぐ)の別業(べつぎょう)を寺に改め,入宋僧無本覚心(むほんかくしん)を開山として創建された。至徳3年(1386)には京都十刹の第8位に列せられている。室町時代後期には荒廃したが,寛永~寛文年間に京都の豪商打它公軌(うだきんのり)・景軌(かげのり)父子が檀越(だんおつ)となって再興し,その盛観は安永9年(1780)刊行の『都名所図会』にも描かれて著名であった。

 当寺は創建以来移転しておらず,法灯も塔頭に移ることなく本山として継承されている。このような例は,京都十刹でも真如寺と当寺のみである。また,明治以後の移築などによって現存しない建物があるものの,近世に再興された当時の境内景観を極めて良好に残している。貴族の別業であったという前史を含め,十刹の歴史と景観を今に伝える稀有な事例である。

文化財環境保全地区

五社神社文化財環境保全地区

五社神社文化財環境保全地区 (指定)

〔京都市西京区下津林楠町 五社神社〕 

 五社神社は,西京区下津林に所在する。当社の創建は詳らかではないが,本殿前に建つ石灯籠に暦應二年(1339)の刻銘があり,中世には成立していたことが推測される。境内地は,南面する本殿の南側に,拝殿,舞台等が軸線上に配され,これ以外に,明治初期以前には当社と習合関係にあった旧永福寺の本堂(現観音堂)も併置され,これらで境内の中核部が構成される。境内配置で注目されるのは,本殿の前方に建つ舞台と観音堂が,境内の軸線方向と直交,相対して建つこと,また舞台が拝殿に接近し,両者が橋掛(はしがかり)で連結されていることである。この配置は舞台で上演される神事芸能の際に機能的に相互関係をもつよう構成されたものとみられる。

 以上のように,当社は明治以前の神仏習合の性格の強い寺社景観を現在も保持しており,建築群がもたらす景観ばかりでなく,その配置構成に神事芸能の際の機能的な相互関係が推察されることなど,個々の建物の使い方や地域の風習を伝えることに特徴をもつ。また,これら一連の建物を取り囲む樹木も一体となって,優れた境内環境を形成している。

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