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平成20年度京都文化芸術都市創生計画推進フォーラム記録

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2009年4月9日

フォーラム「文化芸術都市の創生~文化芸術を楽しむための懸け橋~」

(1)音楽に携わっておられる御自身のお仕事,音楽との接点について

【新井氏(パネリスト兼コーディネーター)】
 「文化芸術都市の創生 文化芸術を楽しむための架け橋」というテーマでお話を伺っていきたい。河野さんの音楽活動について,お話を伺いたい。本日はフォーラムの後,2台のピアノでの演奏もされるが,2台のピアノと1台のピアノでは,演奏は異なるのか。

【河野氏】
 2台のピアノは両方のピアノが対等で,協奏曲的に演奏することが多い。1台のピアノでの連弾は,オーケストラ的又は室内楽的な響きが出る。4手ではいろんな音が表現できる。
 私の活動については,ピアニストであるが,同時に短歌をしている。
 最近の活動としては,京都市立明倫小学校が統廃合された後の京都芸術センターで「モーツァルトに会いたい」というコンサートをしている。京都芸術センターには明倫小学校時代から受け継がれてきた,100年前のチェコ製のペトロフ社のグランドピアノがある。京都芸術センターで短歌のワークショップをした時に,ペトロフピアノの存在を知った。ペトロフピアノは,山本さんが修復を手がけられた。とても豊かな音の楽器で,この楽器で演奏会ができないかと思い,モーツァルトの生誕250年を記念した2006年に,モーツァルトの話を交えたコンサート,「モーツァルトに会いたい」を開催することになった。1回で終了する予定であったが,好評でシリーズで開催することとなった。シリーズ3回目に出演してくださった谷川俊太郎さんは,長年のモーツァルティアンであり,谷川さんがお話をされ,私がピアノを弾いた。平成21年3月20日にシリーズ最終回として,ピアノコンチェルトを予定しており,5回目となるこの回は,京都市交響楽団のメンバーの一部も出演する。

【新井氏】
 ペトロフピアノの修復をされた,山本宣夫さんのこれまでのお仕事を紹介してほしい。

【山本氏】
 私は,高校を卒業して,浜松のピアノ会社に勤め,4年間修業をして,ピアノを作る技術者になった。その後,京都の紫野にあるピアノ修理工房で,4年間修行をした。京都は第二のふるさとである。今から20年ほど前,ピアノの発明家,イタリアのクリストーフォリという人物が作ったピアノで,3台現存しているうちの1台を復元した。
 イタリア人が私の復元したピアノを日本で見る機会があり,イタリアでピアノが生まれたにもかかわらず,誰もイタリアで復元したことがないピアノを日本人が復元したことに,たいそう感動していただいた。とても良い音が鳴り,これぞ当時のクリストーフォリの音ということで,その音にも感動していただいた。
 このピアノの誕生は,様々な材料,人との関わり合い,因果関係が重なって作られ,音楽史上最大の発明であると言われた。ピアノの出現は評価され,その後,ピアノの歴史は始まってゆく。
 私は,ピアノ制作家と修復家という肩書きをいただいているが,それだけでは生活できないので,普段はピアノ調律師として,家庭のピアノの調律やコンサート活動の仕事もしている。現代のピアノを触っているから,古いものは関係ないというのではなく,古いものを見て,触っているからこそ新しい発見があり,現在のピアノに生かされていることがある。
 18歳からこの仕事を始め,最初の修行時代8年間は長かった。給料も少なく,同級生を見ていると,周りがうらやましく,もっと収入が多い仕事のほうがよいのではと思ったこともあった。ピアノ修復家としては,就業時間が終わってからが自分の時間で,家に帰ってから修復の研究をするので,24時間働いていた。この仕事を続けて42年間になるが,今までやってきたことを評価していただき,続けてきてよかったと思う。

【新井氏】
 山本さんがずっとこの仕事を続けてこられて,山本さんを支えてきたものは何かということが興味深い。ペトロフピアノの修復の費用はどうしたのか。

【山本氏】
 修復されていない状態でペトロフピアノを使ったコンサートが開かれ,修復のための寄付金を募られ,修復の費用に当てられた。

【河野氏】
 ペトロフピアノは現在京都芸術センターの所有になっているが,地元の明倫学区の方々がピアノを大切にされており,地元が中心となって寄付を募り,修復資金を集められた。私も京都芸術センターでのコンサートの時に寄付箱を設置した。お客様の中には寄付をしてくださる方がいて,みんなで修復に協力しようという試みがとても良い感じだった。

【山本氏】
 ペトロフピアノは100年程前のピアノであるが,地元明倫学区には,昔のペトロフピアノの音を知っている人が健在で,多くいらっしゃる。修復した音が昔の音と違わぬよう,生き証人を満足させる音作りをするため,修復には非常に緊張と難しさを伴った。

【新井氏】
 私は京都市交響楽団の音楽主幹をしている。京都市交響楽団は,昭和31年に京都市が作った日本で2番目に古いオーケストラである。オーケストラは個人の育ての親がいることが通常だが,京都市交響楽団は京都市が作った。京都市が作ったということは,京都市民がつくったオーケストラだということ。全国では非常にめずらしい。京都市交響楽団の経営者は京都市民であり,市民が音楽家を支えている。
 平成20年4月から,第12代常任指揮者に広上淳一さんを迎えた。常任指揮者とは,いわばシェフのような存在で,音楽的な総監督,芸術的な責任を負う。
 広上さんが常任指揮者になられてから,いろいろなことを取り組んでいる。演奏会前には必ず開演前プレトークをしており,聴きどころの紹介をしている。演奏会終了後はレセプションを開催し,楽団員も参加してその日の演奏会のことについて語り,交流する場を提供している。京都市が音楽家を抱え,一つの政策的なことをしており,そこが他のオーケストラとは違っている。
 定期演奏会の他,コンサートホールに足を運んでいただけない方々のために,訪問演奏会,お出かけコンサートをしている。ジュニアオーケストラの指導,練習風景の公開,楽器講習会も行っている。私の仕事は,演奏家がより良い環境で,良い演奏ができるように手助けをしている。

【河野氏】
 京都市交響楽団の演奏会は,よく行く。子どもの頃は,京都子供の音楽教室の少年少女合唱団で京都市交響楽団と共演したこともある。その時聞いた京都市交響楽団のボレロの演奏に大変感銘を受けた。ヴァイオリンをギターのように抱えて演奏することにも驚いたし,ボレロのメロディーの美しさに感動した。

(2)音楽に携わる仕事をされている中で,皆さんに伝えたいこと

【新井氏】
 京都市交響楽団に来る前は,群馬交響楽団で仕事をしていた。群馬交響楽団は年間80回ぐらい,小学校への訪問演奏を行っている。私も,小学校の頃,学校にオーケストラが来て,講堂で演奏を聴いたときのことを鮮明に覚えている。地域にオーケストラがあり,生の音が聞けることは子どもにとって非常に良い。
 音楽活動をしておられる中で,河野さんが皆さんに伝えたいことは何か。

【河野氏】
 音楽家としてモーツァルトの専門的な勉強をして,いろいろな演奏をすればするほど,モーツァルトの良さ,凄さが見えてくる。200年,300年と楽曲が残っているには理由があり,その良さを皆さんと共有したいと願う。モーツァルトのピアノ協奏曲第23番は,譜読みしながら涙が出たほどよい曲である。
 現在は便利な世の中になっていて,パソコンに入力をしたら電子音で再生できるが,パソコンの電子音では伝わらないものがある。弾くことに苦労もするが,共感があるからこそ昔の楽曲の音符を音にした時に伝わるものがあり,皆さんと共有できるものがあるのだと信じて活動している。

【新井氏】
 河野さんは,「音楽」と「歌人としての言葉」の接点は,どのように感じておられるか。
   
【河野氏】 
 短歌は朗読をするので,声に出して読むことは,すなわち「音」であり遠いことかもしれないが,音楽とつながる。日本の音楽も同じだが,バッハの時代,西洋音楽では,言葉と音楽は密接に関わっており,切っても離せないものだった。言葉と音楽は両方とも大切である。

【新井氏】
 京都のまちは,歴史と伝統がある。京都のまちに感じること,そして音楽界に求められていることについて,山本さんが感じておられることを伺いたい。

【山本氏】
 京都は受け継がれてきた古いまち並みがあるが,現在,同じようなまちをつくるとすると,果たしてつくれるものかと思う。ピアノに置き換えても同じことが言える。
 ピアノは300年前に生まれた。ピアノは現在に至るまで「進化した」と,よく言われる。最初のピアノは4オクターブしかなかった。木でできており,湿度に影響を受け,安定性がない。現代のピアノは,鉄で構成されておりとても丈夫で,大音響が鳴らせて,メカニック的にも弾きやすく安定性があり,楽器の機能だけから捉えると「進化」と言われるかもしれないが,私としては,「進化した」と言いたくない。その時代毎の楽器が表現しうる極限,最高の曲が,楽器に応じて生み出されているのだ。
 モーツァルトの時代のピアノは,5オクターブの音域で曲が生まれている。今のピアノは88鍵もあり,当時は今よりも20数鍵少ない中で,当時の楽曲が生まれた。楽器と曲は密接な関係がある。現在のピアノは安定していて,演奏家は安心して弾けるが,当時の楽器はとても華奢で,かき鳴らすと消えそうな,いつか弦が切れて壊れるのではないかという緊張感を持って演奏された。モーツァルトだけでなく,ベートーベン,ショパン,リストと現在に至るまで,その都度ピアノは完成された形,特色をもった形で変遷を遂げた。その時々の作曲家は,楽器からインスピレーションを得て,その時の楽器で表現しうる最高の曲を生み出していった。
 当時の楽器と今の楽器では,使っている材料が違う。私は20年前,ウィーンの博物館で,世界最初のピアノ,クリストーフォリを修復した。ピアノの中を解体し,2年がかりで直した。当時のピアノは,本来の白鍵が黒く,黒鍵が白い。ある本には,女性ピアニストの指が黒い鍵盤の上で白魚のように白く美しく見せるために,黒い鍵盤だったとあるが,真実ではない。第一,白魚のような指では,ピアノは弾けない。当時,白い部分に使う象牙は汗を吸うので鍵盤には良いとされていたが,象牙はとても貴重であったので,極力小さい面積の部分で使っていた。白鍵部分に象牙を使うとたくさん必要になるので,黒と白を反対に使ったのが本当の理由である。モーツァルト時代の鍵盤のハンマーは,小指の第一関節ぐらいの小さなものだったからこそ,コロコロと転がるような色彩を持つ音で奏でられていた。現在のピアノのハンマーはモーツァルト時代のハンマーより数倍大きく,鉄骨の支えを持つハンマーでガンと叩くので音が違う。モーツァルトらしく弾くためには,その時代のオリジナルのピアノの音を知らないと十分理解して弾けない。原典を知ることが大切。
 町家についても同じことが言える。古い町家は,古い良さがあり,非常に合理的にできている。京都の家は,夏は涼しく,冬は暖かい。町家は家の原典である。京都の町家は残していってほしい。ビルとビルの間に挟まれた町家が消えてしまわぬよう,京都市が町家を維持してくれるような政策をとってくれることを願う。

【新井氏】
 京都市では景観条例ができて,政策を進めている。町家を守ったり,京都のまちの景観を元に戻したりする取り組みをしている。


【河野氏】
 モーツァルト時代のフォルテピアノを弾いたことがあるが,とても魅力がある楽器である。音域によって音色が違う。音楽は,演奏する時の条件で,ずいぶん違う。モーツァルトの時代は,王侯貴族のサロンで演奏されることが多かった。ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器,また管楽器も現代のオーケストラの楽器とは違っていた。山本さんの修復されたピアノフォルテをこのコンサートホールで弾くと,環境が違うので,聞こえかたが変わってくるだろう。そして,モーツァルトはモーツァルトだけで聞くことが美しい。現在,私たちの耳は音の乱立に囲まれているが,モーツァルトの音楽は大音響で聴くものではない。モーツァルトの美しさは,最初は慣れないが,ずっとモーツァルトを聴いていると人間の耳はすぐ環境に適応するので,その本当の美しさ,凄さがわかってくる。大音響の世界と違うものをもっと知ると,随分と音楽の楽しみ方が違ってくるのではないか。

(3)音楽文化の振興,活力を生み出すために。 日常生活の中で音楽を楽しむために。

【新井氏】
 それぞれの楽器に合った演奏会場,ホール,環境を考えることは音楽を奏でる時に大切。オーケストラの最後の楽器はホールと言える。自分の楽器と言えるホールを持つことがオーケストラにとっては理想である。日本中のオーケストラが,それぞれの地域の文化,伝統に即した音の魅力を持つようになってきた。様々なオーケストラがあるが,それぞれの特色がある。このオーケストラではベートーベンを聞くと良いというような,個々の魅力の時代となってきている。 
皆さんにいろんな演奏会に来ていただき,音楽を楽しんでほしい。そのためには,好きというだけでなく,きっかけが必要と思っている。自分たちが,何かを始めようとする一歩進んだ努力が必要である。いろいろな文化,人間の生活態度の有り様を認めたうえで,一歩踏み出さないと新しい文化,文化の活力は生まれない。
 例えば,どのようなオーケストラも合唱団をもっており,年末に第九の合唱を練習しているが,もし,お母さんがその合唱団に参加するとすれば,夕飯を早めにつくって練習に出かけられるよう,平常から一歩踏み出て,家族の理解,協力を得ることが必要。
 文化の活力を生み出すことのお話を最後に伺いたい。山本さんはどのようなことをお考えか。

【山本氏】
 20年前,モーツァルト時代のピアノ,クリストーフォリピアノを博物館で修復し,今まで聞いてきたモーツァルトの音楽とは違うと気付き,その出会いによって自分の人生が変わった。現在もその音を日本で知ってほしいと願い,ピアノフォルテのコレクションを始め,修復を続けている。
 修復時に,最も材料の違いに気を使う。材料が手に入らない場合は障害,壁になるほど,材料は大事である。ピアノのハンマーの革を再生するにしても,今のなめし革はすぐに作れるが,当時は1枚の革をなめすのに,何か月もかかった。いろんな薬品につけて油を抜き,そして牛乳につけて,といろんな手法を1枚の革に施しながら脂肪分の抜けた,繊維だけの革を作る。当時の皮が欲しいので,大学の研究機関にその当時の技術書を持ち込んで再生することを頼んだが,その再生した革では当時のオリジナルの音色にはならなかった。山羊の革の質が昔と違うので,違う音になってしまった。現在の修復技術では,当時の革は作れない。
昔のもので,再生できないことが沢山ある。今残されているものはもう作れないので,残っているものを大切にし,次の世代に継いでゆかねばならない。
世界的ピアニスト内田光子さんは,2年前,ウィーンに置かれている私の修復したピアノを見て,「モーツァルト時代のこんなに素晴らしいフォルテピアノを見た事がない」と言って感動され,そのピアノを弾いてくれた。新しい材料,新しい技術で修復されたピアノでは,世界的ピアニスト内田光子さんの心を動かすことはできなかったと思う。内田光子さんが私が修復したピアノでコンサートをしてくださったことは,私にとっても最大の喜びである。この仕事を続けてきて本当に良かったと思った。
京都にもペトロフピアノ以外にも古いピアノが小学校の片隅に沢山眠っている。その古いピアノは現在売ってもお金にはならないが,今作ろうとしても作れない。昔の技術を再現することはできない。昔の音色は,コンピュータでは取り戻せない。取り戻せない技術が使われたピアノがほこりをかぶってたくさん眠っている。私が全部それらを修復することは不可能ではあるが,それを大事にして,いろいろな形で次の世代に架け橋として渡していきたい。

【河野氏】
私の通っていた嘉楽中学校周辺の地域も,昔豊かだった時代に地域の寄付で高価なピアノを買った。その当時,ピアノはとても高価なものだった。嘉楽中学校もスタインウェイピアノがあったが,今はもうない。
音楽だけ,和歌だけというように,京都の人は昔から何か一つのことだけを専門的にやっているのではなく,いろんなことを複数やっていて,それが凝縮されている。20世紀以降,西洋音楽が入ってきて,それも文化の嗜みのうちの一つとなった。昨日は京都市交響楽団を楽しみ,今日はお茶を楽しんでいる人もいる。そのようなことができるのは,とても豊かだと思う。
 京都市交響楽団のレセプションは演奏会の感想が語り合える,良い取組である。短歌でも「歌会」というものがあり,非常に楽しい。歌会では,皆さんが一首ずつ歌を作ってきて,無記名でどの歌がよいのか投票をし,ある一首について,みんながいろいろな意見を言う。同じ歌でも,解釈が人によって異なり,また解釈が同じでも,感想が異なることがある。音楽も,「良かった」といっても,どこが良かったのか人によって解釈が全然違う。音楽を聴いたとき,どこが良かったのかを話すことで,音楽への広がりが出てくるのではないか。

【新井氏】
 京都には伝統があり,皆さんで支えていく姿勢,みんなで寄付をして創っていこうとする風土がある。その中に,京都市交響楽団をはじめ,いろんな演奏活動がある。そのような風土の中で文化芸術都市を良い形でつくりあげたいと念願している。「京都に生まれてよかった,京都に住んでよかった。」と言える,音楽と文化を楽しめる文化芸術都市を皆さんと協力して創って参りたい。
 今後も,皆さんが今,自分がいる平常から一歩踏み込んで,ちょっとしたきっかけを作って文化芸術を楽しんでいただけたらと思う。

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