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ツラッティ千本について

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2012年2月20日

 千本地域では,長年にわたって住民の手による同和問題解決への取組が進められてきました。それは地域内にとどまらず,部落解放研究北区集会(きたけん<現:まちづくり集会>)という形で,広範な市民ぐるみの取組としても展開されてきました。

 京都市人権資料展示施設ツラッティ千本は,同和問題をはじめ広く人権問題を学習する場として,1994年(平成6)12月1日に開設し,地域の歴史やきたけんの取組,住民主体のまちづくりの様子などを紹介しています。

 江戸時代末から明治の初め,村年寄の元右衛門とその子・益井茂平は,被差別身分の廃止を明治新政府に訴え,また,楽只小学校の前身となる寺子屋の建設や眼病院の開設など,住民の生活向上のために尽力しました。

 1922年(大正11)の全国水平社創立に際しては,この地に住む南梅吉が初代委員長に選出され,その居宅に総本部が設置されました。

 1950年代後半からは住環境改善事業が本格的に始まり,20年余りで不良住宅の密集状態は解消され,地域は市営住宅の団地に姿を変えました。

 いま千本地域では,「千本ふるさと共生自治運営委員会(じうん)」による「共生・永住・自治」をテーマとしたまちづくり運動が展開されています。一方,1972年(昭和47)に「部落問題を市民ぐるみの課題に」を掲げて始まったきたけんは,すでに30回を超え,同和問題やあらゆる差別の問題を考え,人権尊重の行動の輪を広げています。

 ツラッティ千本では,地域で取り組まれてきた部落史研究活動の成果,まちづくり運動の歩み,北区・上京区の学校や地域で取り組まれている「人と人,人とまちをつなぐ」活動を展示で紹介するとともに,各種団体の学習会や研修会を受け入れています。

 

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